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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「きりしま事件」と鶴彬(つる あきら)

2008-07-13 04:47:59 | 歴史を考える
 以下は、ネット上の別のところで、「和尚」さんというハンドルネーム(文字通り住職さんです)の方とのやりとりから派生したものを、独立した文章にしたものです。和尚さん、ありがとう。

    

 鹿児島での冤罪事件といえば、県会議員選挙を巡る違反事件のフレームアップが近年有名ですが、これを第二の「きりしま事件」という人たちがいます。
 では、第一のそれは何かというと、1943年6月、俳句同人誌「きりしま」の同人など37人が治安維持法違反で検挙された事件のことです。
 検挙の理由はというと、食糧難から馬肉を食す心境を詠んだ句を「厭戦的」と判断したり、
     
     熔岩に苔古り椿赤く咲く
 
 という句の「赤く」の言葉をことさらに取り上げて、共産主義の賛歌であるとこじつけたものでした。

 

 この第一の「きりしま事件」が、全くの濡れ衣であったことは今では明らかなのですが、これらの同人誌に目を通し、検挙成績を挙げるために勝手なこじつけを行い、検挙の指揮を自らとったのは当時の鹿児島県警察部特高課長であった奥野誠亮という男でした。

 この名前に聞き覚えはないでしょうか。
 そうです、戦後のどさくさでその責任を免れたこの男、戦後、国会議員となり、文部大臣や法務大臣を歴任しているのです。
 こんなところにも、日本の戦後処理が、たとえばドイツなどに比べ、全くいい加減であったことが示されています。
 ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察)の要員とほぼ同様の位置にいた人物が、日本では、戦後、政権の中枢に位置するのですから驚きです。

    

 ところで、以上は俳句に関する弾圧事件ですが、川柳の方にも当時の治安維持法の犠牲者がいるのです。
 鶴彬(つるあきら)1909~38 という川柳作家で、当時の労働者の置かれた状況や反戦歌などを詠んだため、治安維持法で検挙され、獄中の病で、弱冠29歳で命を落としました。

 彼は、以下のような句を作っています。

 
 
   墨をする如き世紀の闇を見よ 

   重役の賞与となった深夜業
   もう綿くずも吸えない肺でクビになる
   みな肺で死ぬる女工の募集札

   つけ込んで小作の娘買ひに来る
   修身にない孝行で淫売婦

   旗立てる事が日本に多くなり
   人間へハメル轡を持って来い
   高粱の実りへ戦車と靴の鋲
   屍(しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい
   手と足をもいだ丸太にしてかへし
   万歳と挙げた手を大陸においてきた
   胎内の動きを知るころ骨がつき
      (残された妻の胎児の話)

   暁をいだいて闇にゐる蕾
   地下へもぐって春へ春への導火線
   枯れ芝よ! 団結をして春を待つ

    

 今年は彼の没後70年です。
 来年は生誕100年で、映画化が企画されているようです。








コメント (1)
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