本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。
全国で、梅雨後期の豪雨が猛威をふるっております。
夏が来る前には、次の季節と前の季節とが激しくぶつかって、集中豪雨が起こるものですが、今年は何か、そのスケールが大きいように感じますが、その経緯はまた後日にでも。
さて、夏になると思い出すのは、私の祖母のことです。
母方の祖母からは、神の子人間としての、大切な精神を教えていただいたと感謝しております。
本日は私事であり、幸福の科学の布教には直接関係しないかも知れませんが、生涯反省を含めて、つづらせていただきたく存じます。
思えば私は、とても信心深い家庭に育ちました。
今では、そのことにとても感謝しております。
しかし幼少年期の私は、神仏への信仰に対しては、どこか冷めているというか、一定の距離を取っていたと思います。
神仏を信じていなかったわけではないのですが、「努力以上に幸せになろうとするのは、欲が深いのではないか?」という思いがあったと、今になって思えます。
ですから子供心に、すぐ神仏に頼ろうとするこの家族を、「もっと、人間としてやることがあるんじゃないか。」と、当時は思っていた節があります。
そんな冷めた私でしたが、今は亡き母方の祖母だけには、まったく頭が上がりませんでした。
祖母は子どもの頃から体が弱く、ろくに学校にも行っていない方でしたが、頭が良く口がたち、そして、ちょっとした痛みなどは、祖母がマジナイを唱えると、チョッチョっと治してしまうような、そんな不思議な力も持っていました。
このマジナイは、真言宗のマントラだと、生前に祖母は言っておりました。
そんな祖母と、高校時代の夏の午後に、私は神仏について話をしたことがあります。
私は祖母に、
「先祖供養が大事だと、おばあちゃんたちはすぐに言うけど、自分のことは、自分でやらないといけないじゃないかな。」
「人としてやれる努力があると、僕は思うけどな。」
と、問いかけました。
「ふ~。」
と、ため息をつき、祖母は私に問いかけました。
「お前には、大切なことが理解できていないようじゃ。」
「あの入道雲を見なさい。」
そう言って祖母は、夏の空を指差しました。
「夏の入道雲は、どんどんどんどん天に昇り、とても勢いがあるように見える。」
「じゃがな、昇りつめた入道雲は、いずれ自分の重さで、雨になって落ちていくんじゃよ。」
「覚えておきなさい。」
「所詮、人間は弱い。」
「神仏を否定したり、信仰を笑う・・・ということは、あの入道雲のようになるんじゃよ。」
すると、晴れていた空はにわかに曇り、ドシャブリの夕立が始まりました。
祖母は、
「なあ。バァの言うた通りじゃろ。」
と、ニコっと、微笑みました。
そして、祖母はこう話を続けました。
「お前の言っていることは、一見正論に聞こえる。」
「じゃが、それはな・・・、神仏と、競うことになるんじゃよ。」
「神仏と競うものは、やがて自分の重さで堕ちて行く。」
「覚えておきなさい・・・。」
ということで本日は、7月12日(日)御生誕祭御法話のお知らせに続き、経典『幸福のつかみ方』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。
(ばく)
〈演題〉 「信仰からの創造」(Creation from Faith)
(※タイトルは変更になることもございます)
〈日時〉 2020年7月12日(日) 13:00(予定)
〈本会場〉 総本山・正心館
〈中継会場〉全世界の幸福の科学の支部・精舎・拠点・衛星布教所
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=190
地上での学問は、時代が過ぎ去っていくと使えなくなっていくものです。しかし、「心の学問」とでも言うべき宗教の教えは決して古くならないものです。
いつの時代にもたいせつな教え、たいせつな考え方というものがあり、いつの時代も、それに向けての魂の修行というものがあります。そして、そのたいせつな心の教えを真に学ぶために、どうしても必要なことがあります。
それが「仏神というものを信じる」ということです。
仏神というものを信ずる心がなければ、宗教というものはそもそも成り立たないものなのです。
宗教は、あの世の世界というものの存在を前提として、初めて成り立つものなのです。そして、あの世の世界に霊的存在があるということをも当然の前提としています。
霊的世界のなかには、人間的な属性を持った霊から仏にそば近き高級霊、そして仏そのものへと至る階梯があるということを、どの世界的な宗教も認めています。これが宗教の世界です。
したがって、目に見えないものを信ずるという勇気を持たないでは、宗教というものはとうてい理解できないのです。
信じてこそ初めて、自分の心というものをひもといて、心の王国への鍵を開けるということが可能になってくるのです。信ずるということを通して初めて、心の世界が開け、心の教えというものを学ぶべき資格というものが与えられるのです。
みなさんはよく信ずることが難しいとおっしゃいますが、それはそれほど難しいものではありません。多額のお金がいるわけでもなければ、何年も学校で勉強しなければ得られないものでもなく、また特殊な才能がなければ得られないものでもありません。ただあなたの心の態度を変えるだけなのです。
目に見えない世界があるということを信ずるか否か。信ずると思った瞬間に、いままであなたに閉ざされていた世界が、眼前に広がっていくのです。それは無限の可能性です。自分の目の前の閉じられた小さな世界から、はるかな昔から人類が営々と培っていた精神の世界が広がっていくのです。
これが無限の可能性へのパスポートであり、そして、その世界にはいるためのキーワードは、ただ「信ずる」というこの言葉であるのです。
全部がわからなければ信ずることができない、という方もいます。しかしその方は間違っています。
信仰ということ、すなわち「信じ仰ぎみる」という行為と、証明という行為は同じものではありません。証明されたから信ずるというのでは、それは科学の実験と同じです。
それは信ずるという行為ではなくて、「こうなったらこうなる」という結論を受け入れるということ、それを知識として手に入れるということであって、本来の信ずるということとは、まったく別なものだと言ってよいでしょう。
「信ずる」という行為は、人間のなかにある、もっとも偉大でもっとも美しい行為でもあります。信仰は美しいのです。信ずる姿は尊いのです。
そこに初めて、人間が物質ではない、肉体だけではない高貴なる存在であるという自覚が生まれてくるのです。
『幸福のつかみ方』(大川隆法著 幸福の科学出版)P212~219
大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。
1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。
81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。
86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。
説法回数は2,900回を超え(うち英語説法130回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,500書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。
また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 、「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 、「光り合う生命。-心に寄り添う。2-」(ドキュメンタリー・同年8月公開) 、「世界から希望が消えたなら。」(実写・同年10月公開) 、「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020 年公開) など、18作の劇場用映画を製作総指揮・企画しているほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている。
ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。
しょーもないブログにお声をかけてくださって恐縮です。
人生を真剣に生きるということ、同意いたします。
しかし私は、信念を持って、神を信じておりますが、いかがいたしましょうか。
本業を云々ということは、私のことをご存じなのでしょうか?
ひょっとして、ご同業の方でしょうか?
ご迷惑をおかけしたことがあるなら、謹んでお詫びいたします。
ただどうでしょうか?
渉さんは、神様を信じていないのでしょうか?
「いらっしゃるものはいらっしゃる」「この世界や生命が、偶然できたものとは、とても思えない」「人間には、尊い神の生命が宿っている」と心底思うことが、何かに頼ることになるんでしょうか?
私は医療職ですが、人をただの肉片とは、どうしてもどうしても思えないのです。
そういう「神の子の視点」でもって、私は患者さんや同僚の方々に接しているつもりです。
私にとってこのブログは、その日々の気づきのおすそ分けでございます。