幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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セミの鳴き声と夏の終わりのハーモニー。

2019-08-20 00:10:01 | 命の不思議

クマゼミ3

クマゼミの羽化

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ここ数日、少しだけ、暑さが和らいだような気がします。

高知でも、あれほど「シュワシュワ」と騒がしく鳴いていたクマゼミの声が聞かれなくなって、「ジージー」と金属系の鳴き声のアブラゼミや、ツクツクボウシの鳴き声が聞かれるようになっています。

セミって、とても不思議というか、気温によって、なくセミが決まっているようなのです。

最高気温が30℃を軽く超えるような、梅雨明け直後から8月上旬の夏の盛りはクマゼミの独擅場で、ほかのセミは鳴きません。

どうやら猛暑では、ほかのセミでは暑すぎる気候らしいのです。

ですので、朝からクマゼミが鳴きだすような日は、最高気温35℃以上の猛暑日を覚悟しなければなりません。

そんな猛暑大将なクマゼミですが、昨年の夏のような、37℃を超えるような酷暑だと、さすがのクマゼミも暑すぎて鳴けないらしくて、昨年は「セミも鳴かない暑い夏」だったのですね。

そして今後、アブラゼミが主流になってくると、最高気温が30℃前後の暑い夏で、ツクツクボウシだと、もう少し涼しくなって、夏の終わりが見えてきます。

そして「カナカナ」と美しく鳴くヒグラシが鳴きだすと、もうすぐ秋ということになるわけですね。

そのように、少し涼し気に鳴く、ツクツクボウシやヒグラシの鳴き声を聞くと、何かもの寂しいと思うと同時に、「何かをせねば!」と思ってしまうのは、まだ私の心の中に、子供のころの「やり残した夏休みの宿題の記憶」が、生々しくも鮮明に残っているからでしょうか?(爆笑)

「夏休み 虫取り」の画像検索結果

さて、そのようにセミは、種類によって、繁殖のための行動に、気温と言う厳しい制限があって、しかもセミの成虫は、わずか2週間足らずの寿命です。

彼らにとっては、ほぼすべての条件とも言える「活動できる気温」が、自分が生きている数日間に、どれだけあるかを考えれば、結構過酷な確率というか、理不尽な思いをするセミ君も多いのではないかと思ったりします。

となると案外、「子孫を残せるセミ」というのは、ものすごく低い確率の、ある意味で「選ばれたセミ」なのではないでしょうか?

さあ、セミと言えば、5年とか7年、種類によってはそれ以上の長期間、真っ暗い土の中で暮らす幼虫の期間があって、わずか数週間に、長い幼少年期の修行の全てを賭けているわけですよね。

そういう、セミの理不尽な運命を考えれば、「もう、ウルサイにゃぁ。」とか、「聞くだけで暑くなるぜョ。」と思いがちなセミの鳴き声ですが、セミですら自らの運命を受け入れ、懸命に生きて、数億年に渡り、脈々と命を繋いできたのですから、私も「唯一、創造神の心を理解できる可能性を持つ」と言われる、万物の霊長のはず人間ならば、セミに負けるわけにはいかない、と思えて来ます。 

「昆虫の変体」の画像検索結果

さて、昆虫の主流は「変態」をします。

変態と言っても、気色の悪い「ヘンタイ」ではなくて(笑)、幼虫~さなぎ~成虫と、体の形が変わることです。

なぜ変態するのかは、おそらく生物界では謎だろうと思うのですね。

いつぞやの講演会の質疑応答で、大川隆法幸福の科学グループ総裁がこのことに触れたことがあって、「昆虫の変態は、人間に転生輪廻を教えるため」らしい。

「この世で肉の身体でうごめくことを教えているのが、普通は醜い幼虫で、肉体的な死が、身動き取れないさなぎの状態、そして羽化し、美しく大きく羽を広げて、自由に空を飛び回るのが、本来の姿である霊界での魂としての人間」ということ。

「千年は一日の如し」と言われる神の視点から見れば、たかが数十年の寿命の人間など、私たちがセミを見るが如く、儚くもまた、愛おしく思っていらっしゃるでしょうね。

こういうことを言うと、神様を信じない、科学万能の現代文明を誇る方から見れば、「おいおい。」な内容かも知れませんが、偶然を信じない信仰心のある方には、「すべては神仏の慈悲」と思えるから不思議です。

「宇宙」の画像検索結果

 

さて、神様を信じる方は、「宇宙も生命も、神が創った。」ということを信じていますが、「偶然」は信じられません。

一方、神様を信じない方というのは、「偶然」を信じている方と言えます。

しかし、「宇宙も、生命も、偶然出来上がって、脈々と歴史を繋いでいる」という証拠が、さあ一体、どこにあるというのでしょうか?

ということで本日は、経典『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、人生と信仰についての一節をご紹介いたします。

          (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

「美し国の旅人」~恍多-Koutaが英霊に歌う

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人間は人生観や人生の目的を常に考える存在ではありますが、それは一大問題であるため、「大宇宙のなかにおいて、自分はどのような存在なのか」ということを明確につかむまでは、人生観や人生の目的を確立しえないのです。  

もし、唯物論者の言うがごとく、母親のお腹のなかに生命がいきなり発生して、六十年、七十年を生き、やがて火葬場で焼かれると、人生がそれで終わりになってしまうのならば、それなりの考えを持って生きていかねばならないでしょう。  

ところが、宗教家たちが言うように、「あの世、実在界という世界があり、魂はあの世からこの世に生まれ変わってきて、何十年かの人生を生きる。そして、この地上を卒業したあとも、実在界において、さらなる魂の向上を目指している」というのが真実ならば、とるべき考え方は違ってきます。  

人生を学校教育にたとえた場合、いくつかの見方があると思いますが、唯物論の考え方は、「小学校の六年生がすめば義務教育は終わった」というような考え方でしょう。それは、人生を小学校のなかに閉じ込めているのです。  

しかし、「霊界という世界があり、人間は永遠の生命を持って転生輪廻している」という考え方は、「小学校を出ても、中学校があり、高校があり、大学があり、大学院があり、そして社会に出てからもさまざまな学びがある」というように、連綿と続く学習の場として人生を考えることになります。  

こうした二つの定点から人生を見た場合、どちらが人間の進化や向上に役立つかといえば、結論は明らかでしょう。永遠の進化を目指すという観点に立ったときに、人間ははるかに向上していくということです。  

人生は一回かぎりであり、人間は、わずかな期間だけしか生きていない、線香花火のような存在だとするならば、人生には重大な意義も目的も見いだせないのではないでしょうか。  

その短い期間を線香花火のように燃え尽きるために、人間はさまざまな快楽に耽り、物質欲におぼれ、放恣な生活をしてしまうのではないでしょうか。また、誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか。  

わずか数十年の人生であるならば、「自分が楽しまなければ損だ」という考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。  

しかし、永遠の人生であれば、「人のために奉仕したことが、やがては必ず自分自身の魂の糧となって戻ってくる」と考えられるのではないでしょうか。

『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P16~19

セミの声色々

  

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