幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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神さまと神の子の『奇跡を感じよう』(加筆再掲)

2019-08-21 00:30:32 | ばくちゃんの独り言

 

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

このブログ、その名の通り、高知に暮らす幸福の科学信者による、私設布教サイトです。

日々微力ながらの投稿生活ですし、真似事以上のものではない布教活動でございますが、少しでも、世の方々の生きる力になれるお仕事の、お手伝いをさせていただければ本当にうれしいですし、それは何より、私自身の心が、神さまへの感謝で満たされる思いがいたします。

「それって、神の子の特権なのでは?」って、私は思うんですね。

さて、私自身の信仰を振り返るとき、私は決して、努力型の人間ではないんですけれども、はい、由緒正しき怠け者だとは思うんですが(笑)、その反面、「人は努力した以上に、幸せになっちゃいかんだろう。」とか、「それって、欲だろう。」「でも、努力した分は、ちゃんと何かを得られないといけないだろう。」という発想をする人間なんですね。

心の傾向性からすると、結構な現実派で、案外唯物的でもあるし、恥ずかしながら、あんまり神々しくないタイプ(爆笑)でもあります。

 

ただ、そういう心境だと、「これこれ、ばくちゃんさん、それじゃぁ、奇跡はおきませんよ。」と、幸福の科学の支部長さんとかに、ご教導いただいたりするんです。

「それってどういうこと?」と、幼い信仰頭脳の私は、日々・・・、いやぁ、日々でもないですねぇ。(笑)

時折考え続けていたんですけど、(爆笑)、最近になって、「やっぱり信仰って、最後は神さまに、委ねないといけないんだなぁ。」と、50歳を過ぎたあたりから、やっと、ぼっちぼっちですけれども、ほんの少しだけ、思い至れるようになった次第です。

たとえ努力したとしても、その結果は委ねないといけない。

そう思えるようになると、なんだか、大いなるものみたいなものが、とても身近に感じられるようになったのが、不思議ですね。

ほんのちょっと前までですと、「う~ん、やっぱりいやじゃぁ!」「ここまで頑張ったのに、なんで委ねないと、いかんのじゃぁ!」と、心の中で駄々をこねていたんでありましょうけれども、ちょっとは、神の子として、進歩できとるのかなぁと思えるようになりました。

これって、神の子としての、魂の成長なのでしょうか。

そうそう、いつものように話が変わりますけれども(笑)、水滴と水滴って、触れたら一瞬で合体するじゃないですか。

ああいうのって、神さまと人間の関係を、表現しているんじゃないかなって思うんですよね。

この世界は、神さまからのメッセージに満ちているように、私には思えますし、そして、人間は神さまの子ですから、本質的には同じだと思うんで、人間は神さまを信じることで、神さまと一体になることができるんではないかとも。

「神さまを信じ切る」とか、「委ねる」という心って、自分という小っちゃな水滴が、大きな水滴と一緒になるとか、大河となって流れていくとか、そういうドラマティックな、人生の転回が起きている瞬間なのではないかと思うんですね。

 

「水滴 | 写真の無料素材・フリー素材 - ぱくたそ」の写真

そしてこれが、「信仰の最後の姿なのかな?」って、初老のオジいになって、ほんの少しわかったような気がするんです。

いや、永遠の生命を持ち、この世とあの世の転生輪廻の法の中で、永遠の旅人である神の子の修行には、もっともっと高い境地があるはずでした。

今の私には、その境地がどのようなものかは分かりませんが。。。

とにかくも、「少しでも、世の中を潤せる人間になれたらいいな。」って思いますし、「潤えました。」と言って下さる方が、少しでも増えてくれたらうれしいって思っています。

本日は、大分での御法話の抜粋が見つかりましたので、謹んでお届けいたします。

                 (ばく)

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奇跡を感じよう

脚本家に訊く、映画「世界から希望が消えたなら。」の魅力 天使のモーニングコール 1439回 (2019/4/27・28)

 

何せ奇跡を感じようと言っているのですから、そういう単なる自助努力の教えで話をしようとは思っておりません。 ちょっと違う形でお話をしてみたいと思います。

そういう自己防衛の思いから、苦しみが出てるんだけども、これから逃れよう逃れようとしてあがいているうちはあなたがたは、実は、その苦しみから逃れることはできませんよと。 本当はできないんですよと。 諦めなさい! 諦めなさい。。。 人を責めるのも諦めなさい。 自分を責めるのも諦めなさい。 自分の子どもを責めるのも諦めなさい。 「今、目の前に、自分の目の前に起きている現象は、すべて、これは起きるべくして起きているんだ」ということを、受け入れなさい。

「今、起きている事態は何か、他の人の原因や、あるいは自分自身の、何かのミスによって、たまたま起きたことではないんだ」と。

「今、起きて自分を苦しめている、あるいは自分の頭を占領しているこの問題は、実は、起きるべくして起きている、自分に今、必要だから、こういう課題が現れてきたんだ」と、思っていただきたいんです。 それが一つは、例えば病気っていうのでも、そうでしょう。病気をする。 これは努力して病気になる人は少なかろ

うけれども、「まさか」と、考えてもなかった時に病気になるようなもんですね。 不養生だったり、運動不足だったり、ストレスが多かったり、栄養が悪かったり、いろんな理由もありましょうけども、この世的には説明はつくと思いますが、病気をするには、病気をする、現在、病気というのが出てきた理由が、実はあるんです。 現れてきたのは、今、現れてきたのは、それが現れてくる必要があるから現れてきたんです。

今の年齢の、あなたの立場で、それがそういうふうにして、現れてくる必要があるから、現れてるんです。 それから、たとえば、受験で不合格というようなものが、出てきたとしたら、それは単に運・不運だけの問題ではなくて、何かを、あなたに必要な課題を、そこで教えようとしているんです。 それは、過去の努力不足を教えようとしてるかもしれないし「もっともっと世間の厳しさを知りなさい」と教えているのかもしれないし、あるいは、「これを機会に将来、決して、自己慢心することなく、転落することなく精進せよ」と、教えているかもしれない。

ただ「現れてる現象は、偶然ではないんだ」と、「あなたに必要なものが今、現れてきてるんだ」と、どうか、知っていただきたい。 子どもの出来が悪くても同じです。 あるいは、子どもに障害があって生まれても、やっぱり、実は何か理由は必ずあって、それが現れてきている。 夫婦の間で問題が起きても、それは今、そういうふうにして、出てくることは何か意味があるんです。 それが現れてきていることには、現れてきている意味があります。 夫婦で争いが起きる。理由があります。 意味があります。

何かを教えようとしています。 それは何かが、今、問題として、出てこなければいけない時期が来たから、それは出てきて、その問題の中に、夫婦の葛藤の中に、何かを教えようとしているものがあります。 それを読み取ってください。 それを読み取らないと、それを自分自身を責める道具や、他人を責める道具に使ってはいけません。

そういう意味での分析的なものの考え方、原因を追究して分析して、善悪を分け、分別をつけ、いろいろと分析して、説明して、そして「こうすれば解決する」っていうふうな、判断の仕方は、確かに、会社でやってるような仕事ではよくある、やり方ではあるんですけども、仕事のレベルではそういうふうにいろんな問題解決のアプローチを、やっていかなければならないんですが、その仕事の世界ではなくて、仕事から一歩離れた宗教の世界の中においてはですね、「そうした問題も、ある意味があって生じている」と、考えるべきで、逆に今度は、それを、「結論を出してしまおう」と、「即、結論を出してしまおう」と、思うのをやめてください。 現れてきているには現れてきてる理由があるんだから、この現れたものを、受け入れてください。

「とうとう自分の人生の問題集のひとつが出てきたんだな」と、「今、出てきたんだな」と、いうかたちで、それを静かに受け入れる心を持ってください。 そして、「この世に偶然なるものは何もないのだ」と、いうことを、知ってください。

だから、「すべてが、会社仕事風に解決するもんではないんだ」ということです。 それを受け入れて、受け入れた先に、実は道が開けてくるんです。

それを受け入れて、「こういう現象が私に起きた。たまたま、何でこんな私に」「これほど、勉強した自分に」「これほど、家族を大事にした自分に」「これほど、親孝行した自分に」「これほど、美しい自分に」まあ、いろいろありましょうけれども、「こんな問題が起きたのか」と、思うかもしれませんが、静かに受け入れてみてください。

そして瞑想の時を持ってみてください。 心を止めて、あれこれ考えるのではなく、分別智で考えるのでなく、実は分別で、善か悪か、プラスかマイナスか、前か後ろか、右か左か、分けて考えて結論を出そうとして、焦っている心が苦しめているんです、自分をね。

その時に、まず一切を受け入れて、そして判断を下さないで、「ここにすべて、宇宙の意志が今、自分に対して現れているんだ」というふうなことを考えてください。 過ぎてしまえば、意味は分かってきます。 この世に生きているうちに意味が分かることもあれば、この世を去った世界に還って、その意味が分かることもあります。 それは、なんとも言えませんが、「受け入れるということも、勉強の一つなんだよ」ということを、知ってください。  

大宇宙の意志が働いて、今自分に新しい課題を、与えてられている、その意味を、静かに受け取ることが大事です。 何か、あなたの今世の、魂の修行のために、必要な内容が、その中に、含まれているはずです。 必ずや、そうなんです。

だから自己防衛の考えで、全部を解決しようと思わないで、会社的な仕事のかたちで問題を解決しようとしないで、今度は逆に、受け入れる。そして、その中に、大宇宙の意志を感じ取る。 あるいは、神の心を、仏の心を感じ取る。

あなたがたは、「人生に何の問題もなく、まっしぐらにスーッと成功さえすればいい」と考えがちだけども、そんな人生計画の人なんて一人もいないんです、実は。

だから、進んでいく先にある落とし穴がたくさんあるんだけれども、事前に教えるわけにもいかないんです。 「ここに落とし穴がありますよ」と最初から知ってたら、そんなのよけて通るの簡単なことでしょ? 勉強にならないんですよ。 だから意地悪だけども、ごめんなさいね。 意地悪だけれども、落とし穴に落ちることになってるんです。

必ず引っかかる。 必ず引っかかるんだけれども、落ちた時に考えてくださいと。 偶然落ちたんじゃないよと。 落とし穴は掘られてありました。最初から。 それはあなたに必要な落とし穴だから。 そこに落ちてから、お尻をしたたか打って、ちょっと夜空を眺めて、考えてください。

そういう時期が、人生には何度か、必ず、必要なんです。 その時期を通り越さなければ、本当の意味での、自分も分からなければ、他人も分からないんです。 他人の気持ちが分からないんです。

そういうことを、経験を通さないと、見えてるようであって、見えてないんです、本当の世界の姿が。 そういうところで、落とし穴に落ちて、出れなくなって、心細くなって、夜空を眺めて、星空を眺めて、一晩を明かす。

その時に、初めて見えてくるものがあるんです。 自分がいかに、多くの人に与えられ、支えられてきたか」ということを、「自分がいかに、他の人の協力というものを、見落としてきたか」ということを、「自分自身の手柄にしていたことの中にも、実はそうでないものもあったんだ」ということを、そういう、孤立無援の気持ちの中で、人は発見するようになります。 そうした大きな気持ちの中に包まれたときにですね、あなたがたは今、宇宙の力と一体になるんです。 その時に、大宇宙の力と一体になります。

言ってることを、復習しましょうか? 「すべてを、委ねなさい」と言っているんです。 「すべてを、仏に委ねなさい。 すべてを、エル・カンターレに委ねなさい」と言っているんです。

「主よ、私が苦しんでいるのは、決して、他の人のせいでもなく、自分自身のミスでもなく、仏が意地悪をしよう、としてるわけでもなく、今世、この世に命をうけた意味を教えるためであるんだと、いうことを、私は受け入れて、悟りたいと思う」と、「だから主よ、御心に委ねます」と、いう気持ちで、じたばたするのをやめて、判断を下すのをやめて、静かに受け入れなさい。受け入れた時に、浮力がわいてきますから。

生きていく力が、グーッと上がってきます。 その時に、奇跡が訪れてきます。 今まで自我力で頑張っていて、苦しんで苦しんで、世の中が地獄に見えて、自分が地獄の底であがいていたと思ってたのが、実はそうでなかったことが分かります。

鳴門の渦潮のなかで、きりもみになって溺れていたと思ったのが、畳の上で寝転がってただけだ、ということが分かってきます。 だから「大きな力に、大いなる力に、委ねる」という気持ちを持ってください。 そうすれば、あなたがたは自然自然に、気がつかないうちに、救われているでしょう。

自我力で、自分の力で自己防衛しようと思っているうちには、奇跡は起きません。この自己防衛を、自分の自我力・・・知識や、経験や、判断、善悪の分別力、こういうもので、解決しようと思っているうちは、奇跡は起きないんです。

ところが、今言ったとおり、大宇宙の心に、一体になって、自分の身を委ねた時に、奇跡が起きてきます。 それを、感じ取ってください。

今日から、どうか、そういう、瞑想の時間を、1日に15分でも結構ですから、取ってみてください。 自分の計らい心でいろんなことを解決しようと思ってるのを、一旦、全部やめて、「そのままありのままに受け取ろう」と、「目の前に現れたことを、そのまま受け取ろう」と、いう気持ちになってください。

そして、奇跡がその身に臨んでくるのを、感じ取ってください。

- 虹色の願い -

 

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