幸福の科学児童向け月刊誌「ヘルメスエンジェルス」№266号、「親子で学べる光のことば」
コツコツと努力しよう!
亀のように努力していた小学生時代
今回は、私の子供時代の話をみんなにしてみようと思う。自分の過去をふり返ってみると、「まったく亀のごとき人生であった。」とつくづく感じるんだ。
私は四国の田舎に生まれて、平凡な子どもとして育てられた。小中学校を平凡な町立の学校で終えて、しだいに自分というものに目覚めていったんだ。
私の家には、生活の場としている家から、歩いておよそ二百メートルぐらいはなれた所に”離れの家”があって、小学校四年生になった十才のころ、私はそこにいって勉強をしていたんだ。
夜、夕食が終ると、私はカバンを持って、離れの家まで暗やみの中を歩いて行って、階段を上がり、電球をつけて、自分の勉強部屋に入ったものだ。
その離れの家は、たいへん古い建物で、冬はすき間風がずいぶんとふいていたし、暖房もない。
だから、私は冬になると、いつも腰にぼろぼろの毛布を巻き、手には手ぶくろをはめて勉強してきたんだ。また、あまりに寒いので、厚いジャンパーを着て、頭には、すっぽりとぼうしをかぶり、口にはマスクもしていた。
こうして、だいたい毎日、夜になると一人で離れの家にこもって、夜中の十二時ごろまで、いろいろなことを勉強したり、考え事をしていたりしていたんだね。
そのころの私は勉強の能率も悪かったんだと思う。例えば社会科でいうと、世界の地理とか歴史とかをまとめた参考書を勉強するときに、大事なポイントだけを読むというようなことはしないで、内容を一つひとつオートに丸写ししていたんだ。
自分の進むべき道はまだ見ることができなかったけれど、何か、より高次なものへ、高尚なものへ向けて自分が努力しているという感覚が、たまらなく好きだったんだ。
そんな非能率的な勉強をしていたけれど、成績はだんだんとよくなっていったよ。
平凡でも努力を続けていれば立派になれる
そのころの私がいつも思っていたことは、「自分は平凡である。自分は頭がそれほどよくないかもしれない。しかし、頭がよくなくても、人が一時間でやったことを、自分は三時間、四時間やれば、何とか追いついていけるのではないか。人が一年であきるようなことを、四年、五年と続ければ、きっと立派な人になるのではないか。平凡性の自覚はあるけれど、五年十年、二十年と続けていくうちに、何か変わったものになっていくのではないか。」
そうしたことを夢見て、白手ぶくろに息をふきかけながら、えんぴつをにぎっている私の姿があったんだ。
成功するための三つの心がけ
平凡性の自覚を持って生きている人にとって、日々、心がけていくべきことは三つあると思う。
第一は、「努力する気持ちを決して忘れてはならない」ということ。
心をはげまし、克己心を持って生きていくということは、限りなく大切なことだと思うんだ。
二番目に大切なことは「理想」だ。私は、「自分が平凡だという自覚があるならば、笑われようとも、無能呼ばわりされようとも、理想をいつもかかげて生きることが、最後には、大いなる自己実現をするための原動力になる。」ということを知ったんだ。
三番目に大事なことは、「実績を積んでいく」という考えだね。「積み重ねる」という姿勢が大事だ。「一回限りのホームランをねらうのではなくて、小さなヒットを積み重ねていく」という考えが、何にも増して、成功の条件であるように、私には思えるんだ。 (おわり)
可能性無限大!“考える力”の高め方 天使のモーニングコール1325回 (2017.2.18,19)
「智慧」
https://happy-science.jp/info/magazine/page/2/
先生・・・・ほんなこて
大好きだぜ!!