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セリカXXとフェアレディ130Zが先取りした未来。「未来は予測できないが、切り開くことはできる!」

2019-10-16 00:04:55 | 自動車から見える日本と世界

 

トヨタ セリカXX(初代 A40 1987年)

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越し下さりありがとうございます。

ここはその名の通り、幸福の科学信者による布教ブログですが、時折、編集長の好きな自動車関連記事をさせていただいております。

自動車は社会性の強い商品ですので、そこからくみ取れるエッセンスは、時代や世代を超えた学びがあると思っておりますし、意外にも、安定したアクセスをいただいておりまして、編集長といたしましては、ありがたいやら、ホッとするやらでございます。

そこで本日のお題は、共に1977年発売初代セリカXX(ダブルエックス)と、2代目フェアレディーZ(S130)です。

ここの自動車記事は、社会性に重きを置きます関係上、私が記事を書いていて、「懐かしいなぁ。」と感慨にふけることは意外に少ないのですが、この2台は別なんですね。

この2台、日本の自動車の歴史の中では、それほど取り扱われてはいませんし、今も自動車雑誌に出演する大スターの先代たちと比べると、情報量も圧倒的に少ないのですが、私にとっては大スターなんです。

若干12歳だった当時の私は、「運転できるようになったら、セリカXXを買う。」と考えていました。(笑)

と申しますのも、当時はスーパーカーブームですし、中学生になった私は、本格的に自動車雑誌を読みふけ始めたころで、当時自動車雑誌を賑わせていた2台に、心ときめかせていたものです。

この2台が、日本自動車界で地味な扱いの理由は、ひとえに、先代の初代セリカ&フェアレディーZ(S30)が偉大過ぎるからで、先代が偉大すぎると後を引き継いだものの影が薄くなるのは、人間社会でも同じことですので、決して2代目のXXや130Zが駄作だったわけではありません。

それよりも、偉大な先代とは違う歴史の1ページを、この2台が切り開いたという点で、もっと評価されてもいいんじゃないかと、私は勝手に思っちょります。

日産 フェアレディZ 1978-83   

日産ファレディZ(2代目 S130 1987年)

さて、セリカXXは、アメリカで大人気だった先代のS30フェアレディ―Zに対抗するため、アメリカのトヨタ販売会社のリクエストに応えて製作されたものです。

当時のアメリカではスポーツカーは、「少なくとも6気筒エンジンを搭載していないと、スポーツカーとしては商品価値が低い。」という市場のニーズがありました。

当時のセリカは、ボディーが小さく2000CCの4気筒エンジン搭載の商品しかなくて、2800CC(アメリカ仕様)で6気筒エンジン搭載のフェアレディZ(S30)に、営業面で不利に立たされていました。

そこで営業サイドから、「セリカにも6気筒エンジンを載せてくれ!」と強い要望があったとのことで、2代目セリカのフロント部を延長し、2600ccの6気筒エンジンが搭載できるようにしたのが、セリカXX(輸出名スープラ)です。

同時期にモデルチェンジした130Zは、超ヒット作である偉大な先代、S30Zのイメージを「これでもか!」というくらいに残したニューモデルです。

今ではそれほど扱いの大きくないXXとS130Zですが、実は当時は結構注目されていて、たくさんの雑誌の紙面に登場していたのですね。

なぜそれほど紙面への露出が大きかったかというと、やはり、日本で初めて、エンジンの排気量が2000CCを超えたスポーツカーだったからだと思うのです。

XXが2600cc、S130Zが2800ccと、両車とも北米仕様をそのまま日本でも販売しました。

当時の自動車税制下では、排気量が2000ccを超えると、年間7万円もの税金がかかりましたので、2400ccのフェアレディー240Zが一時期販売されただけで、当時のスポーツカーの事実上の上限は、年間税3万5千円の2000ccまででした。

しかし77年に、オーバー2Lのスポーツカーが、2台も本格的に販売されたのです。

ただ両車とも実際には、売れ筋は税金が半額の2000ccでしたし、2000ccオーバーと言っても、両車ともエンジンは、上級セダンのクラウンやセドリックなどの旦那使用で、もっさりとしたものでしたので、XXも130Zもおそらくスポーツカー的な性格ではなかったはずですが、雑誌的には、よりパワフルなオーバー2Lがかり出されるわけで、当時は何かと対決企画が持ち上がっていたわけです。

「サバンナRX-7初代 ポルシェ924」の画像検索結果

マツダ サバンナRX-7(1978年)

私が40年以上経った今でも鮮明に覚えているのは、当時東北から中国地方まで高速道路がノンストップでつながったことから、サバンナRX-7とポルシェ924と4台で、3日かけて東北~広島まで長距離テストをするもので、途中、岡山県のサーキットでタイムアタックなどの企画を交えながら、4台が延々と走り続ける企画です。

このとき、記者たちに滅法評判が良かったのが、もっともスポーツカーらしくなく、また実際にサーキットでも遅かった、セリカXX2600G(AT仕様)でした。

それはなぜかというと、とても運転が楽だったからです。

XXがなぜ運転が楽だったかというと、ハンドルがパワーステアリングで軽く、しかも変速機が自動変速(オートマティック・トランスミッション AT)だったからです。

パワーステアリングとは、エンジンの出力などの動力源を使って、ハンドル操作を助ける機能です。

現在では、市販車でもF1のようなフォーミュラーカーでも、100%パワーステアリングが備わっていますが、XX登場までのアメリカ製以外の乗用車は、パワーステアリング未装着が大半で、重いハンドル操作が当たり前でした。

XXも130Zもパワーステアリング装着車で、3日も走らされる記者たちからすれば、「ハンドルが軽いって、こんなにありがたいことなんだ。」と思ったに違いありません。

ちなみに以前のステアリング機能では、リサーキュレーティング・ボール式、通称ボール・ナット式というものが主流でした。

ボール・ナット式ステアリングとは、ギアに大量のベアリングが組み込まれていて、ベアリングの作用でハンドルがなめらかになりますが、反面、ハンドルに”遊び”が生じます。

この”遊び”で勢いをつけ、えいや!と重いハンドルを回すのが、XX・130Z以前の自動車の姿です。

ちなみに130Zもパワーステアリングで、こちらは現在主流のラック&ピニオン型です。

ラック&ピニオン型は、棒状のネジに丸形のネジを組み合わせたシンプルな構造で、遊びが少なくダイレクトで正確なハンドル操作ができますが、ノンパワーのステアリングならば、メチャクチャ重いハンドル操作になります。

130Z以降、正確で軽いラック&ピニオン型のパワーステアリングが増え、現代では、全世界で全ての製品がこの形式となっています。

XXや130Z以前は、「自動車は男の乗り物」という価値観や、「パワーステアリングなんて、軟弱者の象徴」という風潮が日本の自動車界にはありましたし、パワーステアリングだと、路面状況を伝える情報が緩和されるので、走り屋には敬遠されていました。

「ラック&ピニオン」の画像検索結果

しかし、当時を代表する最強ジャンルの2台が、ともにパワーステアリングを装着したことで、その後、バリバリの硬派代表だったマツダ サバンナRX-7や、世界の大御所ポルシェもパワステ化するなど、パワーステアリングの市民権が確立したのだと思います。

当初のパワステは、エンジンの出力によってオイルポンプの圧を高めるオイル式でした。しかしそれだと小さな出力しかない小型車では搭載できないことが多かったのですが、後にスズキが、軽自動車にエンジンの出力を使わない電動式を踏査したことで、小型車にもパワステが普及してきました。

しかし歴史の始まりにおいて、XXや130Zの誕生が、現代における、自動車の女性解放に分岐点になったと考えられます。

また自動変速機(AT)に関しては、セリカXXが世界初4速ATを搭載したことが、その後の世界的な日本車の飛躍につながる分岐点になったと思います。

今では相当運転が上手い人でなければ、マニュアルシフトよりATの方が速いとまで言われるほど進歩したATですが、その進化の始まりは、トヨタのXXから始まり、しばらくの間、独擅場であったと言えます。

 「オートマティック トランスミッション シフト」の画像検索結果

今では、市販車の大半がAT車で、ガチャガチャとギアチェンジするマニュアル車(MT)の方が少数派で、これには、日本の三菱自動車の初代ミラージュの存在が大きいと、拙ブログでも記事にしましたが、実際に走るだけなら3速でも十分なATのギアを一つ増やすことは、技術的にも実用的にも大変なことで、77年にトヨタが4速ATを発表した後、日本のみならず世界においても、他のメーカーで4速ATを販売することはできませんでした。

変速とは、力の出る回転数が決まっているという宿命を持つエンジンを、ちゃんと速度に合わせて実用回転数を保つための機能ですが、変速ギアのチェンジをする場合には、エンジンとギアとの伝達をいったん切らないと、エンジンもギアも破損してしまいますので、接続を切断させるクラッチという金属の板が必要です。

しかしATにはクラッチは存在せず、その代わりにトルクコンバーターという、液体のオイルを満たした接続器の内部をかき回して動力を伝達します。

簡単に説明すると、同じ扇風機を向かい合わせに置き、 片方をコンセントにつないで回したときにもう片方も つられて回る動きが、イメージ的に解りやすいでしょうか。

ATは個体であるクラッチがないことから、当然伝達効率は悪いのですが、その分雑に変速しても壊れないので自動変速ができます。

トヨタは1980年には、世界初のクラッチ内蔵のロックアップ機能を持つトルクコンバーターをXXで発表し、MTとの動力や燃費の差を大幅に縮めてきました。

これは当時のトヨタが、制御技術を世界に先駆けて、自動変速技術に応用できた証です。

その後、他のメーカーで4速ATが出たのが、1988年の日産初代シーマ(ロックアップ機能付き)ではなかったかと記憶しておりますので、相当長い期間にわたり、「ATと言えばトヨタ」で、ATの分野はトヨタ(トヨタグループのアイシン製)の独擅場でした。

ひいき目ではなく、当時トヨタのATは、世界一の性能を持っていたのは間違いなくて、日本車、特に大躍進したトヨタの、大きなアドバンテージになったのも間違いありません。

話を戻せば、3速プラス超ハイギアードな4速ギアを持つXXは、エンジンの回転数を少なくできて、3日という長時間の高速道路中心の運転において、他車を圧倒する静粛性と低振動で、運転するドライバーの負担を大幅に軽減させる体験を、実際に記者にさせたのですね。

そしてコースが短く、急なカーブの多い岡山でのサーキット走行では、当時世界で最も速かったであろうマツダ・サバンナRX-7(5速MT)に、大柄なXXはわずか4秒のタイム差でした。これは初期のロックアップ機能のないAT仕様を考えるなら、大健闘であったとしか言えません。

その他にも、今では当たり前な温度設定をすれば、自動的に温度調節をするオートエアコンや、屋根の一部が開閉するサンルーフなど、新規格、新装備盛りだくさんで、XXは市場のニーズを探査するパイロットモデルだったでしょうし、XXで試された企画のほとんどは好評を納め、大ヒットしたソアラやマークⅡなど、その後の日本車の指針となっています。

「サンルーフ セリカXX初代」の画像検索結果

そして着目したいのは、XXと130Zは、ともにオートドライブ機能を持っていたことです。

オートドライブ機能(日産はオートクルーズ)とは、設定した車速を維持する機能で、アクセルを踏まなくても、同じ速度で走り続けることができる仕組みです。

高速道路での自動車の運転を楽にする機能と思われるのですが、当時は渋滞しがちな日本の道路事情からか、それほど普及しませんでした。

しかしオートドライブ機能は、高速運転時の前方車両との車間を保つ機能として、「安全面」から見直されただけでなく、近未来技術である自動運転の必須アイテムとして注目されています。

自動運転は、パワーステアリング(電動式)・自動変速・オートドライブの3点が、最低限そろっていなければ実用化できず、はからずもセリカXXは、1977年のデビュー時に、すでにそれらを完備していたことになります。

まさに、「未来を先取り」ですよね。

もちろんトヨタや日産とて、40年以上も前に、未来を予測してXXや130Zを開発したとは思えませんが、彼らが実際に、努力において、また根底にある志において、未来を切り開き、手もとにたぐり寄せたのは間違いありません。

そこで今回ご紹介するのが、幸福の科学の経典『未来の繁栄は絶対に揺るがない』(大川隆法著 幸福の科学出版)の一説です。

本文中にある、「未来は予測できないが、切り開くことはできる」という言霊。

皆様、信じて損はないんじゃないでしょうか。

10月18日(金)からは、大川隆法総裁の、実際に病に倒れたエピソードが描かれた映画『世界から希望が消えたなら』も、日活系で全国上映されますので、未来を切り開きたい方は、ぜひ映画館に足をお運びになられたらと思います。

               (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』10月18日(金)公開直前インタビュー!<総合プロデューサー兼主演・竹内久顕>  

セリカXX (A40) CM

 

トヨタイムズ 東富士研究所 取材 フルバージョン

 

 日本の繁栄は、絶対に揺るがない https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=118

 

どのような事態が来ても、未来は切り開いていけます。

ドラッカーという有名な経営学者がいましたが、彼も、「未来は予測できないが、未来を切り開くことはできる」ということを言っています。

とても意味深い言葉だと思います。

どうすれば未来を切り開けるかというと、その答えとして、ドラッカーは、「目標を設定することである。目標を設定すれば、未来を切り開くことができる」ということを言っています。

確かに、人間は、目標があると、それに向けて努力するものです。

例えば、「海外で仕事をしたい」という目標があれば、英語の勉強をしたくなってきます。

むしろ、せざるをえなくなるでしょう。

未来は予測できませんが、「未来を切り開こう」と思うなら、強い意志を持って、目標をつくり、その目標に向けて頑張ることが大事です。

そうすれば、必ず道は開けてくるはずです。

未来は切り開くことができます。

そして、目標こそが、未来を切り開く力となるのです。

目標を設定して、それをやり遂げようと努力することです。

熱意を持って、一生懸命、やり遂げようと努力し、多くの人の智慧を集めて、“あの手この手”で努力しているうちに、必ず、自然にそうなってくるのです。

私も、「幸福の科学を日本一の教団にします。世界宗教にします」と繰り返し言っていますが、それは一種の目標です。

そういう目標を繰り返し言い、その目標に向けて努力していくことで、未来は切り開いていけるのです。

その目標の達成は、人間の力によって、早くにも遅くにも、どちらにでもなります。

未来は人間の力によって切り開いていけるのです。

私は、「世界宗教にする」という目標を達成するのに、「好況であるか、不況であるか」などということは、まったく気にしていません。

好況であろうと不況であろうと、やるべきことをやっていくだけです。

好況であれば、経済的にも潤っていて、熱心な活動をしやすいでしょうし、不況になったら不況になったで、人間は悩み事が増えるため、宗教の需要もそれなりに増えるのです。

(日本の繁栄は絶対に揺るがない より)

S130フェアレディZ CM

 

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