幸福の科学児童向け月刊誌「ヘルメスエンジェルス」№284号、「親子で学べる光のことば」
みんなはダイヤモンドの原石
「仏の自覚」を持とう
今回は、どうやったら自分に自信が持てるかについて話をしよう。
「自分に自信がある」と言っても、ちょっとしたミスを責められるなど、何かのきっかけによって、がらがらと自信がくずれていく人はたくさんいる。
こういう人にとって大事なのは、「仏の子の自覚」だ。
仏の子の自覚があると、船であれば錨(いかり)を海の中に下したようなもので、安定感がある。
海の中にしっかりと下ろされた錨は、重くて安心感があり、船がふらふらしないんだ。
キミたちが生きていくにあたって、この怒りに当たるのは、「自分は仏につながっている」という、仏の子の自覚なんだ。
自分のことを「ダイヤモンドの原石」だと考えよう
「仏の子の自覚」を別の言葉で言いかえてみよう。
これは、「ダイヤモンドの原石」の話にもなる。
自分のことを「つまらない石ころだ。」と考えるのか、それとも、「まだ磨かれていないダイヤモンドの原石だ。」と考えるのか。ここに大きなちがいがある。
自分をダイヤモンドだと思えば、みがけばみがくほど光ってくるね。
そして、自分が放つ光で自分自身が勇気づけられる。
しかし、人間は「自分はつまらないがらくただ。自分はだめなんだ。」と考えてしまうものだ。それはまちがっているよ。
そういう人は、自分のなかにあるダイヤモンドの原石の部分を見失っているんだ。
「自分はだめだ。」と思ってもみがけばかならず光ってくる!
どれほど自分がだめなように見えても、それは「自分が他の人に比べておとっている」ということではなく、「他人と自分とはみがき方がちがう」ということなんだ。
この考え方を忘れてはいけないよ。
みがけばみがくほど、人は光ってくる。
その光の強弱を見て、「宝石」と思ったり、「石ころ」と思ったりしているだけなんだ。
自分をだめだと思いがちな人は、だめだと思う出来事があったとき、それをどう乗りこえたかが大事だ。
それを乗りこえずに、人生の飛翔はないんだ。
自分のよいところを大切にしよう!
「自分には悪いところもあるけれど、よいところもあるはずだ。何かよい部分があるはずだ。」という考え方を忘れてはいけないよ。
たとえば、ある人からキミを否定するようなことを言われたとしても、自分をほめてくれる人がいることも事実のはずだね。
世界じゅうのだれからもほめられないという人は、おそらく少ないだろう。
キミ自身に光っているところがないかどうか、よくよく自分を見つめてみよう。
何かに失敗しても、自分が全部だめだというわけではない。
自分のよいところは、そのまま残っているんだよ。
(おわり)
幸福の科学グループ紹介動画【大川隆法総裁 説法3000回突破記念版】
「信仰」
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