幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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秋深し 日本の免疫力を 考える

2019-11-09 23:36:54 | ばくちゃんの独り言

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急に寒くなってきましたね。

皆さま、風邪など召してはいらっしゃらないでしょうか?

病気にならないためには、予防が一番です。

病気に罹ってしまってから治すより、病気にならないことの方が、ずっとずっと楽ちんですし、何より健康でいることは楽しいことが多いです。

そして病気にならない予防で最も効果が大きいのが、「免疫力を高めること」です。

これに勝るものはありません。

国の平和(健康)も同じです。

免疫力強化、つまり、抑止力強化が最も効果的です。

平和を維持するために抑止力強化であって、平和が崩れてから、再び平和を構築するのは、病気になってから治療養生するのと同じで、もっともっと負荷がかかり、コストもかかり、人手もかかるものです。

憲法9条のある、現行の日本国憲法施行時、日本周辺に軍事的強国はありませんでした。

日本人は「これで戦争なんてしなくてええんじゃぁ。」と、ある意味で楽観したのでしょうが、東欧ではソビエト連邦(現・ロシア共和国)の暗躍は始まり、東アジアでは中華人民共和国が立国し、朝鮮戦争も勃発しておりました。

日本人が思い描いていたようには、世界は「平和を愛する諸国民」ではなかったのです。

憲法9条の前提は、昭和25年には完全に崩れていて、マッカッサ―元帥が日本を離れる際に勧めたように、日本は再軍備するべきだったのです。

日本は地勢上、東アジア全体が平和でなければ平和でいられないという、宿命的な地理的条件があります。

そういう東アジア情勢の中で、吉田ドクトリンが優勢となる戦後以降の日本は、言わば免疫不全状態であって、なおかつ、憲法9条という免疫抑制剤を服用し続けているのです。

日本国憲法的平和論は、「日本がおとなしくしていれば平和」というものでしょうが、実際はそうではないことがわかっています。

私も平和主義者ですので、このことのジレンマは、実は相当抱いております。

また、「戦争をしないことが正しい」と言う方もいらっしゃいますが、自国民が飢えていても、核兵器を開発させる政府を、温存しておくことが正しいのでしょうか?

「死にたくなかったら言うことを聞け!」と恫喝するがごとく、次々と他国の頭上に、ミサイルを飛ばす国をのさばらせることが正しいことなのでしょうか?

「神も仏もない」と信じ、強ければ弱い者に対し何をしても良いという考えのもとに、自分に都合の悪い人々を粛清し続ける為政者の横暴を、見て見ぬふりをし続けることが正しいことなのでしょうか?

その上で、「生きながらえることだけが正しい」とするならば、それは平和でも何でもなく、ただ「神も仏もない」という思想信条のもとに、悪の限りを尽くす隣の国の為政者と、善悪の根底の価値観は同じであると言わざるをえません。

少なくとも、戦直後の憲法9条制定の時から、日本を取り巻く環境は大きく変化しています。

もしも憲法制定時、日本周辺を取り巻く現状が、今のような状況下であったなら、当時の日本は、9条を持つ日本国憲法など、制定しようとは思わなかったはずです。

季節が変われば着る服が変わるように、時代が変われば、それに合わせて、国の方針などを変えるのは、絶対的な善です。

当たり前のことです。

冬が来るのに、夏と同じいでたちならば、風邪をひき肺炎になっても致し方なしです。

日本が未来永劫平和であることを願い、免疫抑制剤の服用などやめ、強力な免疫力を保持する国家へと変貌することを願います。

本日は、『幸福の科学の基本教義とは何か』――真理と信仰をめぐる幸福論(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介します。

           (ばく)

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幸福実現党・大川隆法総裁『自分の国は自分で守れ』講義➀(抜粋版)

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1069

幸福の科学では、「発展」と称してはいるものの、それを別のかたちで言うと、「邪悪なるもの、あるいは真理に反するものが広がっているならば、そこに、まったく逆の考え方をぶつけて、真理の下の戦いを起こしていき、それを逆流、逆転させ、時代の流れを変えていく」ということです。

これは宗教的な仕事です。

そういう意味では、「『この世に間違っているものが広がっている』と見たならば、その広がりが大きいところにおいて、まず、それを押しとどめて、正しい考え方、あるいは正しい方向に立ち戻らせる」ということが大事なので、順序としては、間違いが大きいもの、あるいは国民の心を毒する部分が大きいものを中心に、順番をつけて攻めていくことが基本的な考えだと思います。

したがって、「今の世の中を見渡してみて、いったい、いかなるところに、多くの矛盾や問題点を感じるか」ということが、当会的に言えば、「発展の法」の優先順位になるであろうと思うのです。

「今やらねばならないことは何であるか」と考え、「今、必要だ」と思われる、優先度の高いことや、「今、押しとどめなければ、この力が、もう一段、大きくなってしまう」というようなことがあれば、それに対し、強い力でもってエネルギーを集中していくことが大事です。

今はまだ勢力が小さく、影響も小さいものに対して、全力でエネルギーを注ぐ必要は、それほどないと思いますが、「これ以上、大きくなると危ない」と思う考え方に対しては、法輪を転じて、その間違った考えを砕破し、粉々に砕いていかなくてはならないと思います。

その意味で、教えのなかには、ジャーナリスティックに展開されているものも数多くあるのですが、決して、ジャーナリズムをもう一つつくるつもりでやっているわけではありません。

それは、「われわれの真理のアンテナにかけて、異常性を感知したもの、『これは考え方を正さなくてはならない』と感知したものに対しては、激しい意見を述べ、激しい行動を取ることもある」ということです。

それは、真理という面を外して見る人から見れば、結果的には、「この世的に、いろいろなかたちでの発展を目指しているようにしか見えない」ということになっているのだと思うのです。

したがって、私たちが、発展を目指して、いろいろな事業を展開しているように見えていることは、見方を変えれば、「それぞれのところに、真理の敵、あるいは神仏の心に反したものがあり、それが隆盛を極めている」ということであって、「そこに対して戦いを挑んでいる」ということです。

それが、別な目から見た「発展」の意味ではないのかと思います。

『幸福の科学の基本教義とは何か』――真理と信仰をめぐる幸福論(幸福の科学出版)P54~57

 


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