幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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8月6日 原爆投下の日に思う。

2015-08-06 21:50:30 | 日本を守る!

 



本日8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。

広島の原爆慰霊碑には、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」という碑文が刻まれています。

私は、この言葉が大嫌いです。

この碑文には、日本が過ちを犯したから、原爆を落とされた・・・というニュアンスが込められています。


原爆を落としたことが、過ちです。

広島で亡くなった方々は、一般市民です。

非戦闘員の虐殺は、国際法違反です。

広島の原爆碑は、「当時のアメリカによる、国際法違反を指摘する碑文でなければいけない」と、私は思います。

 

 

今、中国領である新疆ウィグル自治区では、中国の核実験による被害が出ています。

その死亡者数は、70万人以上と言われています。


世界最大の被爆国は、日本ではありません。

中華人民共和国です。

中国の新疆ウィグル自治区住民こそ、「世界最大の、核兵器による被害者たち」です。

 

http://chabuduo.jugem.jp/?eid=688


ウィグル人が、何か過ちを犯しましたか?

ただ単にウィグルが、中国政府による、核実験場にされていただけですよね。(怒)

ということは、中国政府は、「ウィグル人は、核被害によって、死んでも構わない。」という、意思を持っていたということですよね。


広島・長崎の原爆投下も同じ構造です。

広島・長崎に落とされた原爆は、タイプの違うものだからです。

広島はウラン型、長崎はプルトニウム型です。

何が言いたいかと申しますと、これらの2つの事例は実験だ・・・と言うことです。


タイプの違う兵器の、貴重なサンプリングとして、2つの都市への投下が必要だったということです。

これは戦況に関わりなく、軍の事情として、行われているということです。


日本の降伏を促すためであったなら、東京の近くの外洋で落とせば良いことだからです。

終戦間近のアメリカ軍は、日本の制空権を完全に掌握していました。

ですからそれは十分できました。

観念させるならば、その方が良かったはずです。

 


アメリカ側からすれば、原爆投下でどれほどの効果が出、どれほどの放射能汚染があるかを、知る必要があったはずです。

なぜ、人のいない外洋で行わなかったか。

それは当時のアメリカ国内において、人のいないところでの原爆実験は終わっていたからです。

つまり、既にサンプルがあったからです。


要するに、人のいるところでのサンプルが欲しかったので、広島・長崎に落としたのです。

アメリカ国内で、人のいるところでのサンプル採取は不可能です。

だから、日本に落としたのです。

 

 

広島、そして長崎の方々は、怒らなければならないと思います。

広島・長崎の原爆投下は、白人以外の民族を原爆投下実験に使った、歴史的証明だからです。


過ちは犯しませぬから・・・と、自己を卑下し、自己をないがしろにする必要はありません。


そうではなく、「決して、過ちは起こさせませんから!」と、世界平和のために、決起する市民であり、日本国民であって欲しいと願います。

 


原爆投下、そして全国の主要都市に空襲をした航空機B29は、「爆撃機」です。

爆撃機というのは、軍事施設を爆撃するためのものです。

非戦闘員である、一般市民を爆撃したら、国際法違反なのです。


つまりB29は、国際法違反の航空機なのですよ。

 


かつてのアメリカは、これら国際法における重罪を犯しています。

ここらの重罪を覆い隠し合理化するために、南京大虐殺をはじめ、戦前日本悪人説が、どうしてもどうしても必要だったのです。


戦後直後の日本人は、そのアメリカの罪を認識していました。

認識していたけれども、受け入れました。

「受け入れざるを得なかった」というのが正確でしょう。

 

当時の事情は、察するに余るものがあります。

しかし日本国民の皆様、これ以上、毒水(自虐史観)を受け入れるのはやめましょう。

歴史を本当の意味で、しっかりと見つめましょう。


でなければ日本人性悪説の元、子々孫々と、その過去の歴史とやらに振り回される未来が続きます。

そしてそれは、過去行われた人類への罪、そして今も現実に行われている、人類への罪を覆い隠すこととなります。

そしてその罪は、未来永劫、人類に行われ続けることになるでしょう。

それは平和への道、幸福な未来社会への道ではありません。

 


日本人が、腹をくくれば、世界は変わります。

今を生きる日本人が、歴史を本当の意味で、受け入れるべきです。


日々の生きやすさや、小さな国内の事情や、国内の法律の問題や、そういう小さな原理に基づく判断ではなく、

きちんと、人類にとっての正義や、大きな平和への原理に向けた判断に基づき、日本人は歴史に目覚めるべきです。

(ばく)


【党声明】原爆の日を迎えるにあたって


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