六花の舞。

「六花の舞」、Ⅰ・Ⅱともに完結しました。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _)m

ダイヤモンド・エッジ<第二部>-【24】-

2016年11月04日 | 六花の舞Ⅱ.
(確か、レオンのフリーのプログラムはシャコンヌだったはず。でもなんか、どんなプログラムなのかとか全然触れられてません自分でも読み返してて、シャコンヌ好きなのになんてこったorzという感じです^^;)


 いえ、今回は本当は↓の言い訳事項等について書くつもりでいたんですけど、真央ちゃんの左膝の痛みのことが頭を離れず、ちょっとそのことについて……と思いました(あ、ちなみにこの前文は【23】の記事を上げたあとに書いたものですm(_ _)m)

 わたしがこのこと知ったのってネットの情報筋なので、「本当に絶対間違いなくそう」とは言えないんですけど、真央ちゃんの左膝の痛みはいわゆるジャンパー膝、フィギュアスケート選手が晩年にかかりやすい関節炎なのではないか……ということだったんですよね

 スケートアメリカで第三位だった新星、三原舞依選手も、若年性特発性関節炎という原因不明の関節炎から復帰してきたと聞きましたし(素晴らしい演技でした!!)、また村上大介選手も怪我があって欠場……と、あらためてフィギュアスケートがいかに選手に代償を強いるスポーツかということを思わされます。

 左足の関節に痛みがあると、まずジャンプを踏み切る時の踏み込みが浅くなる=それがジャンプの失敗に繋がるということだったんですね。

 そしてその中で、信夫コーチが様子を見ながら練習をしている、あまり無理をさせられない状況――と言っていたにも関わらず、真央ちゃんはなんと、フランス杯に向け、闘志を燃やしているのです!!

 いえ、びっくりしました

 普通に考えたら、もうファイナル進出はないと思って、「全日本にすべてを懸ける!!」みたいになりそうなものですよね。

 でも真央ちゃんは違う。次の試合ではトリプルアクセルや三回転-三回転も必要、というくらいに考えてる……そうなんですよね。超一流のアスリート、浅田真央はやはり、並の凡人(わたし☆)などとは思考回路自体が違う。次のフランス杯で無理をしたら全日本に影響するから――というのではなく、とにかく目の前の一試合一試合に全身全霊を燃やす、本当のファイターなんだと思う(ハイ、今さらですね。わかっています^^;)

 そしてここからはあくまでわたしの想像なんですけど……フィン杯出場には三つくらい目的や意味があったのかなという気がします。まずは第一が、スナフキンに会うこと……じゃなくて、左膝に問題がある状態でどのくらいのことが出来るか試すこと、第二が、真央ちゃんはいつもシーズン初戦で特に緊張感が高いので、スケートアメリカ前にフィン杯で調子を上げること、それから第三がランキングポイントを稼ぐことです。

 実際わたし、真央ちゃんがスケートアメリカのSPで第五位で、「ああ、これは真央ちゃんの闘志に火のつく順位だな」って見てて思いました。でも、左膝が……というのがあって、もうこれはやむをえないというふうに、信夫先生も心配しながら見守っておられたのではないでしょうか。。。

 でも信夫先生、「ぼくが突っ走ったら真央が壊れてしまう」っておっしゃってたんですけど、真央ちゃんはもうすっかり突っ走る気ですよ!!(((((*・ω・)ノ

 だって、今している練習以上にもっと量や精度を上げていくみたいに言ってたし……心配だけど、でも真央ちゃんの納得のいくリチュアルダンスの舞を、フランス杯ではドキドキしながら見守りたいと思います

 そして、真央ちゃんの競技復帰については、あのまま引退するっていう道もあったのに、戻ってきた理由のひとつには、鈴木明子選手や高橋大輔選手など、「みんなやりきってからやめた」との思いがあったって言いますよね。そしてこのことの内には「自分は本当にやりきったと言えるのか?」という真央ちゃんらしい厳しい問いかけがあったんだと思います。

 鈴木明子選手も高橋大輔選手もみんな、怪我や故障などに悩まされつつ、そのことを言い訳せずに最後まで戦い抜いたフィギュアスケート界伝説の選手ですよね。ふたりとも、「そのことも含めて、それが今の自分の実力。その上で精一杯の演技を」という姿勢によって、常人には到底理解できない限界を越えた演技を見せてくれました。

 だから真央ちゃんも……色々なことがありながら戦い続けたのは自分だけじゃない、みんなそうだった、だからわたしも……っていう、そうした気持ちの強さがあるんじゃないかなって思います

 次のフランス杯まであと一週間くらいですか。なんだか今からドキドキしますが、とにかく真央ちゃんを全力応援してます!!

 ただ本当に無理はしないでね……と、とにかく左膝のことが心配だったりするのですが、真央ちゃんの炎のリチュア、ただもうひたすらに応援しています!!

 ではでは、とりあえず次はロシア杯ですね。宇野選手も佳菜子ちゃんも、松田悠良選手も、とにかく顔晴って~!!と思います♪(^^)

 それではまた~!!


 Macy Gray 『We Will Rock You』何かの御参考(?)までに(^^;)


 ケイコ・リーさんのも好きです




       ダイヤモンド・エッジ<第二部>-【24】-

 第四滑走だったレオンは、かなりボリュームを大きくしていたイヤホンを外し、観客席からの耳をつんざくような大歓声を聴いた。もちろん、カール・アイズナーが一度演技を終えるごと、会場がどれほど熱狂するかはレオン自身よく知っている。だから、これもまた<想定内>のこととして、十分覚悟していたつもりだった。

 そして、コーチのミハイル・オストロフスキーのほうでも、「会場の気に呑まれるなよ……!」などと、わかりきったことを言ったりはしない。驚くほど無表情な落ち着いた顔のまま、彼はただ目でレオンにこう語っていた。「いつもどおりにいけ」と。

 花束やぬいぐるみやプレゼントなど、リンクに投げ込まれるものの量が近年多くなっているため、別にボックスを設けるかどうかとISUのほうでも審議がなされているらしいが、正式な決定にまでは至っていない。だがそれでも、この日カール・アイズナーが滑ったあとのリンクは異常だったといえる。カメラはレオンが滑るところがどこにもないため、戸惑っている顔の表情を伝えていたし、リンクの一隅がフラワースケーターによって片付けられると、そこでようやく最後のジャンプの確認をすることが出来たくらいである。

(やれやれ。参ったな)

 フラワースケーターたちの一生懸命花などを片付ける姿を見るにつけ、レオンにしても演技前だというのに手伝いたくなったほどである。そして実際、いくつかジャンプを跳んで振りの確認も行うと、白いバラの花びらが散っているのを必死に拾っている子が可哀想になり、両手で花びらを掬い上げ、その子の持つ大きな袋の中に入れてあげた。以前まで、そのようなプレゼント用の袋などはレオンも見たことがなかったが、ひとつひとつ拾い集めていたのでは埒が明かないと誰かが判断したに違いなかった。

 ここで、観客席からは大きな口笛がいくつも吹かれ、レオンは男を上げたようなのだが、「ありがとうございます!」と照れているフラワースケーターに対し、レオンはただ微笑んでみせただけだった。

(こんなことをしていて、肝心の演技のほうでミスったらどうにもならない)というのが、レオンの切実な思いだったからである。

 レオンはミハイルの元まで戻ってくると、スケート靴のことを聞かれた。先ほど、花びらを拾うのに屈みこんだため、紐などが緩くなってはいないかというのだ。レオンは念のため確認したが、自分では大丈夫だと思った。ところが、演技前に花びらを拾ったこととは関係なかっただろうが、なんと演技中、レオンはスケート靴の紐が切れるという災難に見舞われる。

 こうした場合、演技を一時中断して、靴紐を結び直したり替えたりすることは許されているが、その時間は三分間と定められており、レオンはレフェリーの元から急いで戻ってくると、すぐに予備の靴紐に替えて結び直した。だが、演技後半に至るまでのエレメンツをすべて成功させていただけに、なんとも間の抜けた印象をジャッジに与えただけでなく、後半に配置されていたジャンプ四つのうちふたつをミスするという、散々な結果だった。

 もちろんこんな時、ミハイルは「だから私が言ったろう」といったような態度は取らない。かといって褒め言葉も当然ない。ただ彼は「残念だった」と言って溜息を着いただけだった。時にはこんなふうに運の悪いこともある……それは彼自身、現役時代に何度か経験してきたことであり、いくら慰めの言葉を並べたところで、出てしまった結果は結果として受け止めるしかないことなのだ。

 しかしながらやはり、キス&クライに着いた時、レオンは彼にしては珍しく青ざめた顔をしていた。選手の中にはどの種類、メーカーの靴紐を使うか、また結び方などに神経質なくらい拘りを持つ者がいるが、実をいうとレオンは若干そのタイプだったのである。また靴紐が切れたことでせっかくのいい流れが止まっただけでなく、新しい靴紐を慌てて結び直したことで、確実にスケート靴に違和感があった。もちろんこんなことは言い訳にならないとわかってはいる。けれど、今回の世界選手権は親友の小早川圭が出場していないだけに、レオンとしても表彰台を狙えるチャンスと思い、大きく懸けてきたのである。

 スケーティングスキルが高いだけに、多少のジャンプのミスがあってすら常に安定的に高得点を叩きだしてきたレオンではあったが、今回ばかりはやはり、得点のほうがいつもより抑えられた形になってしまう。


 ・技術点=92.17、演技構成点数=94.16、(演技を中断させてしまったこと及び転倒により-3)、合計=183.33、ショートの得点=98.77、トータルスコア=282.1ポイント。


 レオンはがっかりと肩を落としてキス&クライを去るということになった。自然、観客席に向かって見せる笑顔も手の振り方も、意気消沈した心の内を隠せない表面的なものになってしまう。

 そして第五滑走の巽剛の出番がやって来る。剛はなんとなく観客席から「あ~あ」といったようながっかりした雰囲気を感じ取り、最後にジャンプの感触を確かめながら、軽く小首を傾げていた。剛にとってレオンは極めてミスの少ない、安定したスケーティングスキルの持ち主というイメージが強く、そんな彼が大きく転倒したりミスしたりといったことは想像も出来なかった。

「何かあったんですか?」と、剛がミハイルに聞くと、「まあ、ちょっとな」と彼はいつも通り表情の読めぬ顔でそう言うのみだった。

「それより、ルカとレオンが同じ場所で、少しおかしな転倒の仕方をした。そこにエッジがのるとつるっと滑るといったような転倒の仕方だ。ちょっと確認してからスタートポジションについてくれないか?」

 ――この時、「ゴウ・タツミ!」と名前をコールされていたが、剛はミハイルの言っていた場所まで滑っていくことにした。ちょうど後半に、3アクセル-1ループ-3フリップを跳ぶトレース上に位置しているため、剛は心配だったが、少しそのあたりを確認してみてから、ギリギリ三秒前にスタートポジションに着く。

 剛のプログラム曲は昨シーズンに続き、ベートーヴェンのピアノソナタ『月光』だった。実をいうと剛はおととし、名振付師と名高いアンソニー・ギルモアに初めてこの曲を振付けてもらっていた。彼はミーシャの現役時代、彼がオリンピックの金メダルを取ったシーズンの振付をしており、言ってみればミーシャとは随分長いつきあいということになる。

 剛自身はよくわからないのだが、彼がレオンの振付をしに来ている時に何故か物凄く気に入られ、「ひとつ私が振付してやろうじゃないか」という話運びになったのである。何分、レオンのスケーティングの華麗さには到底敵わないと剛は思っているため、アンソニーが何度も「エクセレント!ゴウ、君の滑りは最高だ!!」と言ってくれても、なかなかピンと来なかったものである。「はあ、そうスか」とは言わなくても、まあ大体それに似た照れたような仕種で返事をするのみだった。そしてその後少しずつ、つるっ禿げで小太り気味の老人の<やり方>を剛は理解していったわけである。とりあえず、彼は世辞を言っているわけではないというのはすぐ理解したし、そうやって選手を褒めつつ「もっとこう演じてくれ」とか「こう表現してくれ」とアンソニーは注文を出していくのだ。曲の強弱やテンポ、作曲家がこの曲に何をこめたかといったことなど……「ハハハ。月光という名前がついているからゴウもきっと、ベートーヴェンが月の光をイメージして作曲したと思うかもしれないが、この標題をつけたのは別の人物であって、ベートーヴェンではないんだよ。きっとベートーヴェンも今ごろ<月光>というタイトルが勝手につけられているのを知って、驚いているかもしれないねえ」……そんな小話を差し挟めつつ、アンソニーは青い瞳をキラキラさせて演技指導してくれたものだった。

 子供の心、あるいは少年のような心を持つおじいちゃん――それが剛のアンソニーに対する印象だったが、彼はとにかく終始和やかで、一度も声を荒げたりすることのない人だった。そして第三楽章の盛り上がる後半に合わせて「♪ンパンパンパンパ、ンパンパンパンパ……」と膝を叩きながら口ずさみ、「いいぞ、ゴウ!最高だ!!」とリンクサイドで飽きもせず叫んでいたものである。

 実際、剛自身は飽きっぽい性格のため、二シーズン続けて同じ曲で滑ったということはこれまで一度もない。だがこのベートーヴェンの<月光>という曲だけは特別な思い入れがあったため、今シーズンも続けて演じることにしたのだ。プログラム構成のほうは、最初に四回転サルコウ-三回転トゥループ、四回転トゥループ、足替シットスピン、フライングキャメルスピン、3アクセル、3ループ、コレオシークエンス、そして後半の最初のジャンプが四回転サルコウ、3アクセル-1ループ-3フリップ、3サルコウ、3ルッツ-3トゥループ、怒涛の情熱的なステップシークエンス、最後に曲の締めとしてコンビネーションスピンを回って終わりとなる。

 極めて難度の高い演技構成のため、剛自身ランスルーを繰り返しながら苦しみ続けたが、アンソニーは剛やレオンの練習を見にくるたび、こう言っていた。「私は剛とレオンのどっちがオリンピックで金メダルを取っても不思議じゃないと思うね」と……普通、男子シングル選手の実力を比較して見た場合、剛よりもレオンのほうが上なのは一目瞭然なはずである。だが剛は不思議と、アンソニーが心からそう信じているといった口振りなのを聞くにつけ、「かなわねえなあ、このじいさん」と思うようになった。そしてその隣でミーシャもまた、こう教えてくれた。「アンソニーはあの方法で、わたしのことも魔法にかけてしまったんだよ」と……。

 ジャンプさえ決まってくれれば、演技構成点のほうは前シーズン以上に伸びてくると剛にもわかっていたが――せっかく好調に順にジャンプを決めていたというのに、レオンが転んだあの魔のポイントで転倒してしまった。演技に夢中になっているうちに、コーチから言われていたことをすっかり失念していたのだ。そこで三回転アクセルの着地でつるっと足をとられ、フェンス際にまで体を流された。もっとも、剛には「ミーシャに言われていたのに……!」という考えが思い浮かぶ間すらなかった。3アクセルで軸がブレてしまい、両足着氷になった以外では、どうにかほぼノーミスでまとめて来たのに――剛は乱れた集中力を再集結させると、音に乗り遅れまいとして急いで次のトリプルサルコウを跳んだ。ところが、いつもは難なく跳べているジャンプであるにも関わらず、焦りからかここでも転倒してしまう。せっかく四回転ジャンプを三つ揃えることが出来たのに、剛としてはこの時点で心が折れそうだった。だがもちろん、曲は続くしプログラムも続いていく。3ルッツ-3トゥループを慎重に成功させると、最後にコンビネーションスピンを回って、剛はナポレオン風の衣装の胸元に手をやり、演技の終わりとする。

 ワッと歓声が湧いても、剛にはそれが一種義理のようにすら感じられる演技の出来映えだった。後半の三連続ジャンプがもし決まっていれば、基礎点だけでも14.3ポイントもらえたはずである。練習ではほとんど失敗したことのないジャンプで転倒しただけでなく、ディダクションまで取られることになるとは……剛は落胆のあまり、肩を落としてリンクゲートのほうへ戻った。

「すみません、コーチ。せっかく先に注意していただいたのに……」

「いや、演技中は往々にしてそんなものだよ。それに、来年はオリンピックが待っていることを思うと、あながち悪いことばかりでもないかもしれない」

 この時、剛にはミーシャの言っていることがよくわからなかった。けれど、あとから聞いたところによると、こういうことだった。スケートの靴紐が切れたレオンにしても、思わぬところで転び、集中力が切れそうになった剛にしても、これで「厄を払った」ということになるかもしれない、と。ミーシャにそう言われて、確かにレオンは「あれがオリンピックでなくて良かった」と思ったし、剛は今シーズン最後の大会で悔いが残ったことにより、来季にかけるエネルギーが今からメラメラと燃えてくるほどだったからである。


・技術点=88.18、演技構成点=90.12、減点マイナス2、合計=176.3、ショートの得点=97.23、総合得点=273.53ポイント。  


 ――昨シーズンの世界選手権の時より点数が落ちたことで、剛はここでもがっかりしたが、ミーシャはただ「こういうこともある」と言って、愛弟子のことを慰めるのみだった。ミハイルの抱える他の有力な男子選手、ボリスとユーリに対しても「来季はとうとうオリンピックだ。そこにピークを合わせるためにも、今回の経験を最大限に生かせ」とすでに言ってある。

「よくがんばったぞ、ゴウ。今回は運命の女神がこっちを向いてくれなかったというそれだけだ。だが、次に彼女を見かけた時には……」

「運命の女神の前髪を引っつかんででもこっちを向かせろ、でしたよね。わかっています」

(わかっていればいい)というように、ミハイルは剛の背中を励ますように叩いた。その昔、ボリスとユーリにも同じように「運命の女神には前髪しかないというからな。だから、彼女のことを見かけたらその前髪を引っつかんででもこっちを向かせるんだ。とにかく、試合というものにはそういう意気込みで向かえ」と言ったことがある。だが、その時はふたりともまるでピンと来なかったようで(ちなみにふたりが十歳の頃の話である)、「なんで運命の女神って前髪しかないんだろうな」、「後ろ髪がないだなんて、変な髪型」などと、あとからボソボソ言っていたようである。

 そしてミハイルはリンクサイドの館神恭一郎のそばを通りすぎる時――ふと思った。(ヒカルが仮にノーミスの演技をしても、カール・アイズナーには遠く及ぶまい。だが……レオンとゴウで無理なら、せめても彼にリンクの女神には微笑んでほしいものだ)と。 

                                 

 最後にここで、最終滑走である氷室光の番が回ってきた。彼がリンクに登場すると、「光さまーっ」という黄色い声援さえ飛んでいるが、いつものことなので、集中している光には環境音楽の一部か何かとしか感じられない。光はリンクを一巡りして氷の感触を確かめると、そこからジャンプをひとつ跳び、館神コーチとアランの元まで戻ってくる。

「ルカとレオン、それに剛までが同じ場所で転倒している。滑りやすいのかもしれないから、少し確認してこい」

 光はコーチに言われた場所までいって確認したが、特にどうということもないような気がした。けれど、トレースとしてはトリプルアクセルをあのあたりで跳ぶというのがあるため、注意しようとは頭の隅のほうに入れておく。ここで「ヒカル・ヒムロ!」と名前をコールされ、光は飲んでいたスポーツドリンクをフェンスの上に置いた。

「あと、氷のほうが随分荒れてきてるから、気をつけろよ」

 ここで光はもう一度「わかってます」というように頷いてから、スタートポジションにつくべく、フェンスサイドを離れた。ファンの間でもシックスオクロック(六時のポーズ)として浸透している、両手を時計の六時に近い形にしたポーズを取り、曲がかかるのを待つ。

 光のフリーのプログラム曲は、ストラヴィンスキーの『春の祭典』だった。

 春が来て、時刻が朝の六時ともなると、春の野辺では花のつぼみが芽を吹き、蝶々がその周囲を舞い踊る……というのが、一般的な春のイメージかもしれない。だがロシアやその他の極北の地では、四月というのはまだ気温も寒く、川も氷や雪で鎖されたままだ。光はその寒い四月の大地をイメージしながら、それでも春の微かな呼び声を遠くに聴いて、まずは四回転トゥループ-三回転トウループへと挑む。

 ジャッという氷を削る音とともに、無事着氷。ランディングも綺麗に流れる。そして光はここから不安を煽る曲調に合わせ、時折激しい踊りを交えつつ、次にイーグルからのトリプルアクセル。再び完璧に音と振りのはまった演技をしながら、四回転サルコウの助走に入り跳び上がる……こちらの四回転も無事成功!

 その後、曲調がだんだんに気狂いじみた様相を帯びて来、その緊張の高まりのごとに光は印象的な振りを入れ、短い助走から突然三回転ルッツ-三回転トゥループ。ジャンプのGOEのプラスを満たす項目のひとつに、「予測外の/独創的な/難しい入り方」というのがあるが、光のフリープログラムはどこからジャンプに入るのか、なかなか掴みどころがなかったといえる。スピードを上げるためのクロススケーティングする場面が少なく、奇妙な振付の合間合間に突然ジャンプを跳んでみせるため、今季、光はこの手法によりジャンプで多くの加点を稼いでいたといえる。

 そして不安と緊張と狂気じみた雰囲気の中、コンビネーションスピンを回ったのち、ステップシークエンス。光は足許では複雑なエッジワークを紡ぎながらも、時折誰かに押されたりといった闘争の場面を演じ、途中から突然振付が女性的な落ち着いたものとなっていく。ステップシークエンスを華麗なイナバウアーによって締め括るが、曲想のイメージとしてはおそらく、ここで<生贄の乙女>が登場したものと思われる。

 演技後半からは、言うなればこの乙女の心理劇が展開されているといっていい。春が来て、大地に豊穣の実りをもたらすためには、どうしても生贄としての乙女の血が必要となる……だが、乙女は怖じ惑い不安に震えおののく。光はそのような女性の心理を繋ぎの演技として盛り込みながら、後半は気の狂った踊りの合間に何度もジャンプを跳んだ。4トゥループ、3フリップ、3ループ、3アクセル-1ループ-3サルコウ。やがて曲調が激しさを増したところで、光はデスドロップからシットスピンを回り、次にトウアラビアンからキャメルスピンを舞う。どちらも生贄の乙女の精神の混乱を表しており、そして乙女は狂気の頂点で死を迎える……光は最後、氷上に倒れ伏すと、一度ビクッと震えてみせて、演技の終わりとした。

 ――会場内はこの時、一瞬シーンとしていたが、光が起き上がるのと同時にワッと歓声が沸き起こる。カール・アイズナーの時ほどではなかったにせよ、それでもその時に近いくらいの万雷の拍手、それに一部ではスタンディングオべーションしたり、ウェーブしている観客の姿まで見られた。もしかしたら、ここがロシア、あるいはフィンランドといった極北の地であったとしたら、光のフリープログラムはより深く理解されていたかもしれない。

 光は大体のところノーミスで演技を終えられただけでなく、演技中ある種の没入感があったことで、より満足していたかもしれない。なんにしても、光としては考えられうる最高の形でシーズンを締め括ることが出来たといっていい。

「いい演技だった」

「自分でも、そう思います」

 アランからエッジカバーを受け取ると、光はまだ息を切らしながらもそう言って微笑む。そしてこのプログラムに心を入れる、魂をこめることの出来る過程を与えてくれたのは、彼にとっては他でもない蘭の存在がとても大きい。初めて蘭とキスをしたのも、バレエの『春の祭典』を見てだったし、彼女がいなければそもそもバレエを通してここまで表現力を養うということもなかった。

 おそらく、今自分の上にはカール・アイズナーが絶対王者として君臨しており、ルカとレオンがふたりともノーミスかそれに近い演技であったとすれぱ、表彰台には上がれないかもしれない。だが、(それでもいい)と光は思った。とにかく今の光には「やり切った」という誰かに感謝したいような気持ちしか湧いてこなかったからである。

 館神コーチとアランとともにキス&クライに座ると、光は疲れた表情を隠しもしなかった。最終滑走ということで、いつも以上に疲労を感じてはいたものの、それは心地好い疲労でもあり、これで今シーズンも終わったという、ほっとした気持ちが入り混じってもいた。だがもちろん、すぐに気持ちを切り換えて、カメラに向かって笑顔を見せる。会場のスクリーンに光の顔が大映しになると、「待ってました!」とばかり、キャーッ!!という黄色い声が会場に響き渡る。

 やがて、足許のモニターに得点が表示されると、光の微笑みが突然驚きのそれに変わる。左隣にいたアランが光に抱きついていたほど、技術点以上に演技構成点が高かったそのせいである。おそらく5コンポーネンツの四つくらいで9点台が出ているものと思われた。

 ・技術点=98.35、演技構成点=95.12、合計=193.47、ショートの得点=99.89、トータルスコア=293.36ポイント


 ――このあと、画面が切り替わり、男子シングルの最終的な順位がモニターに表示されるということになる。


 第一位=カール・アイズナー(322.72)

 第二位=氷室光(293.36)

 第三位=ルカ・二キシュ(290.11)

 第四位=レオン・アーヴィング(282.1)

 第五位=環礼央(277.13)

 第六位=巽剛(273.53)

 第七位=ボリス・エイゼンシュテイン(262.48)

 第八位=ユーリ・ベレゾフスキー(255.96)


 光は自分が二位だなんて――世界選手権で銀メダルだなんて、とても信じられなかった。アランに続いて、今度は恭一郎までもががしっ!と肩のあたりを掴んだかと思うと、今度は光の髪をぐしゃぐしゃにしてくる。

「よくやった。本当によくやったな!これでひとつ、おまえはまた何かを超えたぞ!!」

(でも、今シーズンは圭がいなかったから……)

 一瞬思い浮かんだそんな思いも、世界選手権銀メダルという喜びを前にしては、一気にかき消えていった。

 来季はとうとうオリンピックシーズンである。だが、この時光は自分が何をもっとも恐れていたのかがわかって、心底ほっとした。三年前にオリンピックが終わって銅メダルだった時――光はまったくもってモチベーションが上がらなかった。何故といって、四年の間歯を食いしばって努力に努力を重ねたところで、取れても同じ銅メダル……そう思うと気持ちが激しいトレーニングについて来ないところがあった。けれど、今は違う。仮に前と同じ銅メダルでも、仮にメダルすら取れなかったとしても、関係などない。

 今、世界選手権で自分が銀メダルを取れるなどとは思ってなかったのにそれを取れたように――奇跡、あるいは奇跡的なことというのは間違いなく本当に起きるものなのだ。光はその可能性を信じられることが嬉しかったし、もちろんメダルは狙っていくけれども、もしメダルを取れなくても、それ以上に大切なことがあるという、そのことに気づけたことが嬉しかった。

 グランプリシリーズなどで表彰台へ上がっても、実際光はここまで浮かれた気分になったことはない。前のオリンピックの時も無上の喜びを感じた覚えはあるが、それは過去の栄光であって、光は何故だか今はこの世界選手権銀メダルのほうがそれ以上に嬉しい気がしていた。

 普段感情をあまり表に出すことがないだけに、この時インタビュアーだった入江京子も、光の喜びようには驚かされたようである。

 ――『銀メダル、おめでとうございます』

「ありがとうございます。本当に嬉しいです」

 ――『いいシーズンの締め括りになりましたね。ショートの『牧神の午後』もそうでしたが、フリープログラムの『春の祭典』も素晴らしい出来映えだったと思います。昔はこう……ジャンプや技術的な面の光る滑りであることが多かった気がしますが、昨年くらいから徐々に表現面でも力をつけてきたといった印象を受けました。なんていうか、以前は「5コンポーネンツで少しでも高い点をだすために繋ぎにも力を入れている」という印象だったのですが、もうそんなことを感じさせない曲との一体感があったと思います』

「入江さんにそう言ってもらえると嬉しいです。ほら、入江さんは現役時代、技術と表現のバランスが絶妙に取れていたじゃないですか。俺もそんなふうになれるのが理想だとはずっと思っていたんです」

 ――『そうですか。氷室選手にそんなふうに言われると、わたしも照れますが……それはさておき、フリーの5コンポーネンツはカール・アイズナー選手すら抑えて、氷室選手が一番良い得点でした。このことについてどう感じていますか?』

「本当ですか!?わあ、それは嬉しいなあ。まだ得点の詳細のほうは見てないんですよ。コーチの話じゃあ四項目くらいで9点台が出たんじゃないかってことだったんですが……」

 ――『その通りです。パフォーマンスとコリオグラフィーとインタープリテーション、それとスケーティングスキルで9点台が出ています。残りの一項目であるトランジションのほうは8点台後半でした』

「そっかあ。嬉しいなあ。あ、俺、さっきから嬉しいって言ってばっかりいますね。なんにしても、この場を借りて振付師のアランにも感謝したいです。これだけの高得点が出たのも、間違いなく彼のお陰なので……」

 ――『来季に向けて、いいモチベーションに繋がりそうで、本当に良かったですね』

「ええ、もう。どうせどんなに頑張ってもまた銅メダルくらいかなあ、いや、それすら取れないで終わるかもしれないなんて思ってたもんですから。来シーズンはオリンピックに向けて、いくらでも努力してみようという気持ちになれて、本当に良かったです」

 ――『そうですか。氷室選手は今も昔も日本のエースですから、その発言はわたしとしても頼もしいですね!では最後になりますが、ファンのみなさんに一言お願いします』

「ええと、いつも応援してくださって、ありがとうございます。スケートのチケットっていうのは決して安いものではありませんし、海外の試合会場まで来て応援してくださることに、いつでも敬意と感謝の気持ちを持っています。俺自身は試合の結果ですとか、演技の表現などでしかお返しって出来ないのですが、みなさんに支えられてここまで来ることが出来ました。来年はオリンピックに向けて再びがんばりますので、応援よろしくお願いします」

 ――『氷室選手、本当にお疲れさまでした!明日はゆっくり休んでください』


                                 
 
「氷室さん、銀メダルなんて、すご~い!!ルカ・二キシュが出てきて、四回転ループを跳ぶようになってから、男子もなかなか上位に食い込むのが難しくなったものねえ。っていうかほんと、カール・アイズナーは別格だからしょうがないとしても……あー、そうだ。来季からは小早川圭ってアメリカの選手になっちゃうんだもんね。前のオリンピックが銅メダルだから、せめても銀メダルを取って欲しいわよねえ」

 まだ光の演技の余韻に浸ってでもいるように、のぞみは「ほう」と甘い溜息を着いている。 

「それにしてもわたし、あんなに感情を表に出した氷室さんって初めて見たかも……今ごろ世界中で彼のファンがキュン死してるわね。わたしも蘭との関係を知らなかったら、無邪気にキュンキュンできたのに……って、蘭?」

 のぞみはテレビ画面にほとんど釘付けになっていたため、蘭が泣いていることに気づかなかった。蘭は両手で顔を覆うと、ただ静かに涙を流していた。嬉しかった。光が自分との関係を演技に生かしてくれたことや、『春の祭典』というストラヴィンスキーの曲を選んでくれたことも……自分が世界選手権で銅メダルを取ったことよりも、彼が銀メダルだったことのほうが、蘭にとってはよほど嬉しい。

(そうだわ。わたしだけ金メダルを取って、光が四位くらいっていうよりも……この結果のほうが、わたしにとってはよっぽど嬉しい。だからこれはこれで良かったんだ)

 もちろん、蘭にしても金愛榮を下して銀メダルだったらもっと良かったのかもしれない。けれど、今の試合の模様を見ていて(勝負というのは時の運だ)とも思ったし、ショート・フリーとも四回転ループを入れていたルカを表現の力で光が下したことで――今はまだうまく頭の中で考えがまとまらないながらも、(こういう勝ち方もあるんだ)と、深い感動を覚えていた。

(本当に、ファギュアスケートって凄いし、素晴らしい……!!)

 そしてそのことを試合を通してあらためて教えてくれたのが自分の恋人であるということも、蘭にはなんだか誇らしいことのような気がしていた。

「ふふふっ。もしかして蘭、氷室さんの演技に感動するあまり、言葉もないって感じ?でもあんた、やっぱりあの人に惚れてるのねえ。当たり前っちゃ当たり前だけど、蘭の話だけ聞いてると案外ドライなのかなって感じたものだから。そんでもってふたり揃ってメダル獲得かあ。わたしも、これは来年のオリンピック目指してがんばらなきゃだわ」

「うん……死ぬ気で練習して、代表メンバー入りすれば?」

 蘭はティッシュペーパーで目の涙を拭うと、そんなふうに憎まれ口を聞いた。

「ま、言われなくてもね!それに、他のメンバーが水沢さんとかっていうんじゃビミョ~だけど、あんたとは一緒にオリンピック行ってみたいわ。なんにしても、わたしにとっては何かとモチベーションの上がる世界フィギュアで良かったなって思う。あとは明日のエキシビとバンケットかあ。やっぱり、いい演技して成績も自分で納得できるものだと、また来年もがんばろうって気になるわね。わたしもこのいい感じの気を掴んで日本に帰ったらまた練習がんばろっと」

「うん。一度これを知っちゃうと、なかなかやめられないよね。試合の時は緊張で死にそうになるけど、やっぱり表彰台に上がったり、一番いい位置に立てるのは気持ちいいし……あと、日の丸が揚がるのもね」

「そっかあ。それはわたしも知らない境地だけど、次のオリンピックではせめて入賞できるように頑張るつもり。将来、会社の面接受けた時とか、履歴書に書けそうだものね。ザグレブオリンピック第八位入賞とか、そんなふうに。あとはお見合いの時にいいお婿さんが見つかりそう」

「結局そこ?あんたも志が低いわね」

「ふーんだ。氷室さんみたいな人とつきあってるあんたに、わたしの気持ちはわかんないわよっ。なんにしても、明日のエキシビはお祭りかなんかだと思って楽しもうっと」

 エキシビションに出場できるのは、基本的に上位五位までの選手である。けれどのぞみは特別に出場を依頼されており、一種の盛り上げ係として一番最初に滑る予定だった。

「のぞみのエキシビってクイーンの『We will rock you』だっけ?」

「そ。ただし、メイシー・グレイがカバーしたほうのだけどね。実はわたし、将来的には一度ニューヨークに住んでみたいんだあ。まあ、ダンスで食べていけるほど世の中甘くはないんだけどね、小さい時からバレエの他にジャズダンスも習ってたから。本当はそういう道に行きたかったんだけど、ママが反対してて……」

「そっか。のぞみも色々あるのね」

「まあでも、あんたほどじゃないよ」

 そう言ってふたりは笑いあうと、その夜は眠りに落ちるまで色々な話をした。明日はエキシビのリハーサルがあるため、早く寝るに越したことはないのだが、体は疲れていても脳だけが興奮状態で、なかなか寝つかれなかったというそのせいだった。



 >>続く。






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