老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

川崎無差別殺傷事件考

2019-05-31 21:23:49 | 社会問題

・・・5月28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区登戸町新町の路上で、私立「カリタス」小学校のスクールバスを待っていた児童らが刃物を持った男に襲われた。同小の児童17人と近くにいた成人男女2人の計19人が刺されるなどし、・・中略・・が死亡、保護者と見られる40代女性と女児2人の計3人が重傷を負った。・・29日付け 毎日新聞一面トップ

また児童殺傷事件が起こった。大阪教育大学付属池田小事件以来の大きなショックを社会、教育関係者、保護者に与えたと思われる。

この種の事件では犯行動機の解明が最重要の課題だが、犯人、岩崎隆一は、その場で自殺。本当の意味での犯行動機の解明は難しい。ただ、岩崎隆一の家庭環境、生育状況、その人となりなどは、周囲の証言で少しずつは明らかになりつつあるので、推測に過ぎないとはいえ、何かしら犯行動機に近づけるかもしれない。

わたしは、“日本社会存廃の危機”の中で、(3)中高年の引きこもり問題と多死社会日本と題して、以下のように指摘した。

・・・もう一つ、これは以前から指摘し続けている問題がある。それは、決して統計など表には出ない【中高年の引きこもり】問題である。推定で言えば、全国で約61万人ともいわれている。
https://www.fnn.jp/posts/00044620HDK

上のサイトでの問題点に加えて、中学・高校時代のいじめ、不登校などが嵩じて、「引きこもり」になった人も多数いる。彼らは、就職するには、学力も学歴もスキルもキャリアも不足している。そういう彼らを支え続けていたのが、家族(両親)。しかし、その両親も高齢化し、続々と死去している。・・

今回の犯人、岩崎隆一の家族環境は、この問題にぴったり当てはまる。さらに言えば、両親の離婚。叔父夫婦の家に引き取られる。叔父夫婦の子供たちは、どうやら今回被害にあった「カリタス小学校」に通っており、岩崎隆一は公立小学校に通学していたようである。

さらに同居していた祖母が厳しい人で、叔父夫婦の男の子と岩崎隆一を理容院に連れてきたとき、叔父夫婦の子供の頭は坊ちゃん狩りにし、岩崎隆一の頭は丸刈りにするよう頼んでいたなどという証言も出ている。

子供時代の差別体験は、大人が考える以上に、真っすぐに子供の心に突き刺さる。ほんの些細な事でも敏感に感じ取る。おそらく、日常の様々な場面で岩崎少年の心は血を流していたに相違ない。

これらの証言から分かるのは、幼少期から青春時代まで、岩崎隆一は、肉親の愛情を知らずに成長しているのではないか、と言う事実である。「自分が愛されている」という実感は、人の成長にとって極めて重要で、その後の他者に対する接し方を規定する。

彼の成育歴を子細に調べなければ断言できないが、彼が人間の愛情というものをあまり知らずに成長してきたことだけは間違いなさそうである。

5/31の毎日新聞には、中学卒業後の進路を、彼の同級生すら知らなかった、と書いてある。これは異常な話で通常そんな事はあり得ない。もし、これが真実なら、如何に彼が周囲との関係性を拒み、絶っていたかを示すものだ。

ただ、他者との関係性を絶ち、本当の愛情を知らずに成長した人間の全てが殺人者になるわけではない。というより、ほとんどそれは例外的事例に過ぎない。逆に、親に愛情を注がれて成長した人間でも殺人者になるケースもある。

人間と言う生き物の分からなさの根源に、心の奥底に棲みついた魔物のような制御が難しい心の動きがある。それが一番現れるのは、青春時代。その時代を【疾風怒濤時代】と呼ぶ。この人間認識は意外に真実に近い。

江戸時代、得体の知れない悪意によって人が殺傷された場合、人の心に憑りついた【魔物】によって、人が乱心し、殺されたと考えていたようである。これが【通り魔】の原義。 

似たような言葉に、【逢魔が時】という言葉がある。夕方ごろ、時間で言うなら午後六時ごろ(季節によって5時から7時ごろ)を指す。この時間帯は、辺りが薄暗くなり景色が闇に溶け込み始める時刻。江戸時代のように灯りが少なかった時代、この時間帯には何かしら良くない事が起きるのではないか、と考えられていた。これには、闇に対する人間の本能的な恐怖が背景にある。

この古語からも分かるように、どの時代にも今回のような理不尽な殺人事件は起きていた。江戸時代の人々はこのような了解不能な犯罪を【魔物】と言う言葉で表現したのだろう。

事情は、現代でもさほど違わない。犯罪心理学者、元警察官、その他教育の専門家などと称する訳知り顔の人々の解説や手垢のついた【心の闇】などより、人の心の中に棲みついた【魔物】という表現の方がぴったりくる。

今回の事件で岩崎隆一は、無言のまま、何の逡巡もなく上半身(特に首)を狙って、刃物で突き刺し、わずか十数秒後には、自らの首を切って自殺。目撃者によると、何のためらいもなかったようだ。彼の強い【自殺願望】が見て取れる。

自らの人生を終えるために、多くの弱者(子供)を道づれにして、何のためらいも感じていない。彼の無言の無差別な襲撃とその後の逡巡のない自殺を見ていると、何かが憑依した人間の行為に見えて仕方がない。

この手口そのものが、「弱者いじめの社会」への彼なりの復讐だと読むことができる。「俺はこうしていじめられてきた」という彼の心の叫びが聞こえてきそうである。

社会的弱者としての半生を、子供という社会的弱者を襲撃する事によって解消しようとする。この矛盾した心の動きから、彼の本音を読まなければならない。

常識的にいえば、彼の復讐劇は理不尽そのもの。彼を排斥したかも知れない周囲の人間と、襲われた子供たちとは全く無関係。逆恨みともいえない。襲撃され、命を落とした人にとって、こんな理不尽な話はない。家族や親族にとって、彼は悪魔。いくら憎んでも憎み切れない。

それでも彼は復讐せざるを得なかった。この倒錯した心理こそが、われわれが考えなければならない問題である。

ごく単純な事実だが、わたしたちの社会は、岩崎隆一や大阪教育大学附属池田小事件の宅間被告のような人物の輩出を防ぐことはできない。どんな理想的社会を建設しても、それは難しいだろう。これが大前提で、社会は自己防衛的な手段を講じなければならない。岩崎的人物の輩出は防げないかもしれないが、その数をできるだけ減少させるにはどうしたら良いか、の知恵を絞らなければならない。

ここまでは、あまり異論がないだろう。ここから、方法論が分かれる。

①社会の隅から隅まで監視カメラを張り巡らし、徹底的な監視社会を構築する。例えば、すでに利用可能になっているそうだが、カメラに写っている人物の体温を測定し、犯罪を犯す可能性を予知する。それに基づきその人物を徹底的に追尾、防犯に役立てる。⇒全国の引きこもり人物を調査。監視対象にする。⇒予防検束社会(犯罪を犯す可能性が高い人物を事前に拘束する)の到来も予測できる。
⇒当然、権力側は、この機に応じて、反政府的言動を繰り返す人物も予防検束する。⇒戦前型ファッショ体制の確立。強権的ファッショ体制の国家ほど犯罪者は少ない。 
 ※①社会の到来は、一番現実的可能性が高いと考えていた方が良い。理由は、今回のような事件が起きれば、予防検束もやむ負えないと考える国民が出てくるからである。

②引きこもりなど社会から離れて生活している人に対する対策を充分に講じる。⇒セラピストや臨床心理士などのような専門家人員を増加。引きこもりの人々を受け入れる施設などを増設する。引きこもりの家族を抱えている家庭の精神的負担(恥ずかしいなど)を軽減するキャンペーンなどを通じて、社会的救済措置を講じる。⇒金も人員も手間も時間もかかり、効果がすぐには見えない方法である。
⇒一番難しいのは、世間の無理解と差別的視点をどう克服するか、という問題。⇒日本社会の後進性の克服と言う最大の難関が待ち受けている。

上記のように、今回の問題は、ただの無差別殺傷事件では済まない重要な問題を包含している。新自由主義社会への傾斜と深化は、岩崎隆一のような人物を次々と生み出す可能性が高い。貧富の格差の拡大は、社会への怨嗟を掻き立てる可能性が高い。例えば、派遣社員で生活している人々が、病気で仕事を失ったらどうなるのか。明日への希望の持てない社会の行く末は暗い。

わたしたちは、今回の事件を通じて、自らの未来の社会をどう構築するのかを真剣に考えなければならない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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自己責任国 (おとなのおやつ)
2019-07-27 13:08:27
 大家族→核家族→個。今は個の時代だよと友人は言う。
 昔日本は家制度で大家族主義だった。祖父母、父母、息子夫婦が同じ敷地内に住み、年長男性が家長として家を守った。もし息子夫婦が事故などで居なくなったりしても、その子供は家長がその子なりに一人前になるよう家で育てた。親をなくしたことは不幸でも家長に保護され育ってゆく。
 核家族が普通になったのは戦後しばらくしてから、親を離れ若い夫婦で子供たちを育てることになる。大家族のときよく聞いた姑の嫁いじめは無くなったが、若いその親が亡くなった場合、残された子供は誰が育てるのだろう?と、なだいなださんが何かの本に書いていた。
 “自己責任”という言葉は小泉首相のとき、イラクへ行き人質になった若者たちに使われたのが始まりだったようですが、その意味が転用され、弱者を切り捨てるときにそれを肯定する言葉になってゆく。いまは国中に滲透しているようですね。
 大家族のとき嫁はいじめてもその子供孫は、目に入れても痛くないほどかわいいのが老姑のこころ、幼い子供に仏のような慈愛で接する話を聞きました。そのこころはいまも残っているとは思うけど、一緒に暮らしていないので関係は薄く、ストレスがたまった状態の孫が祖父母を傷つけたり、その反対のことも生じている。
 皆が自分を守ることで精いっぱいの自己責任社会、余裕のないぎすぎすした雰囲気を感じます。
 他の弱者同様、親を無くした小さい者を、責任をもち見守り保護するという価値観の存在、備わる国があれば、その空気はきっと澄んでいることだろうなぁと…。
 “自分のために庶民がある”と“庶民のために自分はある”と、首相になる方に二つの気質の違いがあるなら、後者の方、そのグループの方を私は選びたい。大儲けする人たちの居る横で、弱者を自己責任論で切り痛みを感じない感受性、国のトップとしては困ったもんなんだけどなぁとかなの…です。

   大拍手 届かぬことに 2/3
                       おやつ

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