老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

同じ過ちは繰り返さない

2019-06-24 17:13:30 | 民主主義・人権
自らが他者に危害を加え、命を脅かし、生きる権利を奪う経験は、なかったことにしたくなるものなのだろうか。これは一人の人間にも、国家などの組織にも当てはまりそうだ。

先日、映画『主戦場』を観に行った。公開からすでに一か月以上経過しているにもかかわらず、満員の観客が真剣に見入っていた。出演した一人ひとりの声を丁寧に掬い上げたこのドキュメンタリー映画は現在も上映中だが、出演者の中には上映差し止めを求める人もいる。

『主戦場』を上映し続けることを望まない出演者が不快に感じる点のひとつは、自分たちが「右翼」「歴史修正主義者」「ナショナリスト」「セクシスト」と映画内で言及されていることのようだ。しかし、作品中にはこのように言われても仕方がないような発言が複数存在する。

過去に個人の意思に反した侵略・略奪行為が行われたのであれば、それを繰り返さないようにすることが第一に考えることではないか。「自国」の先人たちが過去に犯したことなのかを問うのは二の次だろう。

実際に、問題は一つの原因だけで起きたものではなく、複数の要素が重なって被害にあった人たちを肉体的にも精神的にも追いやっているのだ。なにより、作品中でナレーションも務めるミキ・デザキ監督が言っていたように、「憎むべきは人ではなく罪」である。

また、慰安婦問題に対して「中立の立場ではない」という主張も上映中止を訴える人たちが口にしている。だが、中立とはどのような状態を指すのだろうか。単に「賛成派」と「反対派」が互いに意見を述べ、何も編集せず、ナレーションもせずにそのまま公開すれば中立といえるのだろうか。これは中立というよりは立場がないというべきだろう。立場のない主張はない。作品全体として伝えたいことを中心に据えることは、至極当たり前のことであるはずだ。

映画の最後では、語り手でもあるデザキ監督が、現代を生きる私たちが考えるべき問題を訴えている。過去に起きた心身の略奪行為を認め、再び同じ道を歩まないようにすることが、今、私たちがするべきことだという思いが、上映後に強く湧き上がってきた。

「護憲+コラム」より
見習い期間

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