老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

カフカの世界か!ファシズム国家の惨状

2018-06-03 21:30:53 | 社会問題
カフカの代表作に【変身】という作品がある。主人公「グレゴリー・ザムザ」が突如虫に変身してしまう、というシュールな世界観を描いた作品である。最初に、この作品を読んだ時の新鮮な驚きを今でもよく覚えている。こんな世界を描いた作家はいなかった。

わたしは現在の日本の状況・国会の状況は、このカフカの世界に酷似していると考えている。近未来の日本国民の多くが、グレゴリー・ザムザの運命に遭遇する可能性が高いという予感がする。

全ての論議が、砂上の楼閣ならぬ「虚構の楼閣」。嘘が嘘を呼び、その嘘がさらなる「嘘」を呼ぶ。もはや何が真実で何が虚構なのかさっぱり分からない。まるで、白い闇の世界に迷い込んでいるようだ。

虫に変身したグレゴリー・ザムザは様々な危険に遭遇する。彼が、変身する前は想定もしなかった危険である。おそらく、これからの日本国民は、幾度も幾度も、ザムザと同様、想定もしなかった危険に遭遇するだろう。「なんでこうなるんだ!」あまりの不条理に何度も何度も叫び、うめき、苦しまなければならないだろう。

先の投稿で指摘したが、現在メディアを席巻しているのは日大アメフト問題。こちらの問題も国会論議に負けず劣らずシュールである。危険なタックルをした宮川君の苦しみは察してもあまりあるが、内田監督、井上コーチ以外のコーチたち、日大アメフト部の選手たち、日大の役員連中、現在就活中の日大生たちは、おそらく何度も心の中で呟いたはずである。「なんでこうなるんだ」、と。それより何よりタックルを受けた関学のQB。その家族。関学の監督・コーチ・選手たちの気持ちは察してもあまりある。

この問題の根幹は、明確である。かって、大学・高校などの体育系部活では常識だった上意下達の人権無視で、理不尽で、暴力的体質。上の命令は絶対という世界。「無理偏」に「拳骨」と書いて、兄弟子と読む、という大相撲の体質を思い出していただければよい。「いじめ」も「パワハラ」も「セクハラ」も全てこの体質から生まれる。

この淵源を探れば、男子生徒の詰襟の学生服が、陸軍の軍服を模し、女子生徒のセーラー服が海軍の制服を模していた事に象徴されるように、日本の学校教育がもともと軍隊教育を模していたという点に求められる。(※忠君愛国精神を注入する国家主義的教育)

そのため、学校教育の体育が軍事教練を模し、帝国陸軍の兵士を育成することを大きな目的にしていた。現在でもその残滓は体育(運動)会に残っている。「整列」「右へ倣え」「右向けの右」などの「行進練習」。運動会の練習で散々絞られた経験のある人も多いだろう。昔、運動会では、「騎馬戦」「棒倒し」「組体操」などが定番だったのもこの理由による。

学校の部活動もその影響を色濃く受けていた。日本陸軍の教育と同じような人権無視で理不尽なしごき、暴力などが、「教育的指導」の名目で当然とされたのである。一年生は「奴隷」同然。四年生は「神様」同然などという大学運動部の常識がこれを象徴している。

戦後の民主主義教育のおかげで「非暴力」・「人権尊重」・「いじめの撲滅」などの理念が市民権を得、昔のような「体育会系体質」の部活動は、かなり少なくなった。しかし、日大アメフト部には、その伝統が、色濃く残っていたと言う事だろう。

日大アメフト部の教訓は、このような体質の指導者は、きわめて無責任である、と言う事を如実に示した点にある。独裁的・強権的・暴力的体質の指導者の多くは、自らの責任を感じ取る感性が決定的に欠落している。これは現在の安倍政権を見ればよく分かる。

彼らは、彼らの行為の結果、グレゴリー・ザムザのように予期せぬ批判や苦労に見舞われた人々の戸惑い、苦しみ、悩みなど全く想像もできない。人権教育の要諦に、「健康の人間は、病気の人間の苦しみを理解できない」という言葉がある。それだけ「差別心」というものは、想像力の欠落と骨がらみになっていると言う事である。

そして、それに気づくのは、自らが「病気」になった時で、その時は遅かったというのが通例。内田監督などは、世の中の批判を一身に受け、「自分は、どこでどう間違ったのか」を自問自答している日々を過ごしているのだろう。

まあ、彼らは「カフカ」を読んだこともなければ、知りもしないだろうから、カフカの想像力など思いもつかないに違いない。人はこういう危機の時に、自分自身が培ってきた人生経験、信念、哲学、教養などが問われるのである。

しかし、日本国民は、彼らの不幸を笑う事はできない。なぜなら、安倍政権のやり口は、日大アメフト部の体質と全く同じ。否それ以上に性質が悪い。

例えば、内閣人事局を通じて官僚人事を統制し、内閣の意向を忖度させる。前川氏のように、その意向に反する人物は、内調や公安などから弱みを握りそれをネタに脅しをかける。それでも、反抗するようなら、メディア(週刊誌など)を通じてスキャンダルネタを流し、社会的に葬り去る。籠池氏に対する理不尽な長期拘留も同様である。

以前にも書いた事があるが、安倍政権中枢のやり口は、公安とか諜報機関の謀略的手法を駆使して、反対者を抑え込む。このやり口は、人々の心を恐怖に落とし込み、支配する方法で、きわめて陰湿だが効果的である。これらは、宮川君を追い込んだ内田監督やコーチのやり口と同じ。否、組織的、システイマチックなだけ、より怖しい。

さらに問題なのは、佐川長官や財務省沖官僚などを立件しないという大阪地検の決定に見られるように、司法と行政が結託し、彼らの非違行為を咎めることができない場合が多い。これが、権力犯罪の特徴である。沖縄県民に対する理不尽なやり口は、近未来の日本社会を暗示している。

以前にも書いた事があるが、「法治国家」の大原則は、法の支配は誰にも公平に平等に行われると言う事である。法の恣意的運用・適用は、決してあってはならない。

今回の不起訴の決定を「小沢事件」と比べてみよう。小沢事件の本質は、政治資金を記載する帳簿に入金を記載した日時が一日ずれていただけである。これを政治資金規正法違反問題として大々的に捜査し、メディアに逐一様々な容疑をリークし、一年以上にわたり、徹底的に小沢一郎さらし者にして、叩いた。結果、小沢一郎の政治活動は大幅に制限され、結果、民主党政権に大打撃を与えた。

政治論的に言うと、小沢事件が自民党政権の復活を招いた、といって過言ではない。このような検察のやり口を【司法(検察)ファッショ】と呼ぶ。もし、この検察の捜査がなかったら、小沢一郎は総理大臣になり、自民党の復権はかなり難しかった。安倍晋三が総理大臣になることも難しかった。その意味で、小沢事件の検察は、安倍政権の誕生を誘発した、きわめて【反国民的】機関である事を証明したといっても過言ではない。

ところが、財務省問題に関しては、大阪地検は、強制捜査すらしていない。この彼我の差は何か。司法組織すら政権に忖度し、法の適用を恣意的に決定していると言われても仕方がない。

もう一つわたしの県での出来事を書いてみよう。事情があって車上生活を余儀なくされて男性が警察の取り調べを受けた。その男性は車上生活なので、車内に調理用具として、果物ナイフを置いていた。警察は、それを取り上げ、「銃刀法違反」の罪をその男性に問うた、という事件があった。これに象徴的に示されているように、警察など司法機関は、弱い立場の人間には、情け容赦のない法の適用を行う、という現実である。

権力犯罪は見逃し、弱者にたいしては、重箱の隅をつつくような法の適用を行う。こういう光景が日常になる社会を【ファシズム】と呼ぶ。

日大問題が包含している問題は、TVのモーニングショウの話題程度の認識では理解できない日本社会が抱え込んでいる深い闇(ファシズム社会のとば口)が象徴的に示されているとみるべきである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
『社会』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 日大アメフト監督の暴挙の背... | トップ | あら!「護憲+ブログ」を見... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会問題」カテゴリの最新記事