老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

安倍政権中枢のマフィア化

2017-06-22 15:39:15 | 安倍内閣
6月19日の朝日新聞2面で、安倍政権の政権運営について、きわめて刺激的な文言が書かれていました。杉田敦法政大学教授と長谷部恭男早稲田大学教授の共謀罪などの対談で、現在の安倍政権中枢の政治運営を「政治のマフィア化」というキーワードで語っています。実に刺激的な文言ですが、きわめて本質を射抜いています。

ゴッドファーザーという言葉が象徴するように、イタリアのシチリア島を起源とするマフィアは、「家族」「親族」の血縁関係を中心に固い団結力を誇る組織的犯罪集団です。

安倍政権は、お友達内閣と揶揄されるぐらい、自分と思想信条を同じくする仲間で内閣を構成しています。安倍内閣は、国家戦略特区問題だけでなく、様々な問題で数多くの審議会だの委員会を立ち上げていますが、その委員に選ばれている人たちは、安倍内閣と思想信条をともにするお仲間が大変多いのです。

さらに、新聞などメディアの社長はじめ、有力な記者たちと食事を共にする機会が歴代の政権の中で突出して多い政権でもあります。彼らは「寿司友」と呼ばれ、揶揄されるくらいです。読売新聞への国の広告費が突出して多い、というニュースが流れていました。メディアと政権のあまりの癒着ぶりは、この国の危うさの象徴です。

朝日新聞の記事は、森友・加計学園問題に象徴されるようなお友達だけが良い思いをし、それを批判する人間には、国家権力を使って容赦のない攻撃をする体質を「マフイア化」と呼んだのでしょう。

先日の安倍首相の記者会見。あまりの予定調和的会見に唖然としました。森友・加計学園問題、共謀罪のインチキ採決、突っ込みどころ満載の記者会見のはずが、静かなものでした。政治記者と呼ばれる連中のだらしなさが際立った会見だと言わざるを得ません。

わたしは、安倍政権をカルト政権だと考えています。日本会議に象徴される極右集団の狙いは、「国家神道」の復活、憲法改悪と戦前型社会の復活です。その為なら、どんな卑怯で姑息な手段でも使う事を厭いません。安倍政権が成立する以前、彼の事を「右派のプリンス」と呼んではばからない人々が多数いました。彼らの希望の星が、安倍晋三なのです。

それだけではありません。「なんでも言って委員会」とか「ミヤネヤ」などに出演する右派評論家連中は、右派的言説で商売をしているのです。籠池氏が語っているように、森友学園で講演した右派評論家連中は、相当な数に上ります。籠池氏によれば、「講演料」も安くはないそうです。その彼らは、森友学園問題が表沙汰になると、一斉に無関係を装ったそうです。籠池氏の怒りの原点は、どうやら彼らの裏切り行為らしいのです。

つまり、安倍政権は、彼ら右派知識人たちの「飯のタネ」だと言っても過言ではありません。雑誌などを見てください。現在、日本の雑誌は、ほとんど右派系の雑誌に占められています。この現状を見れば、安倍政権存続は彼らの生命線だと言う事がわかります。だから、彼らは、安倍政権批判者に対して、ある事ない事取り交ぜて、執拗な嫌がらせや暴言を繰り返すのです。「俺の飯のタネを奪うな」というわけです。

森友・加計問題、中でも加計問題での文部科学省前次官前川氏の造反以降の首相官邸の危機対応は、「政治のマフイア化」そのものです。焦りに焦った危機対応の連発です。剥き出しの権力行使そのもので、従わないものは、個人攻撃を含む洞喝・脅迫、批判的言辞に対しては、責任転嫁、無視、正面から答えず、のらりくらり答弁、ぼかし、すかし、はぐらかし、などあらゆる手法で逃げ切りを図ります。

可哀想なのは、官僚たちです。正直に答えれば、自らの出世・地位だけでなく、将来の生活設計さえも失いかねないのですから、悩みます。典型的な例が、財務省の佐川理財局長です。政権を守るため、必死の形相で答弁をしていました。本人ですら信じていない答弁を繰り返すのですから、当然ですが心も痛みます。それが人相に表れます。彼の人相の悪くなった事!人間正直に生きなければ、人相が悪くなるという証左でもあります。

以前にも何度も書きましたが、「権力の魔物」に取りつかれた人間は、絶対にあきらめません。「権力の蜜」はそれほど甘いのです。もう一つ忘れてならないのは、権力を失うことの「恐怖心」です。権力維持のために権力を振るいすぎた人間ほど恐怖心は大きいのです。だから、権力に執着するのです。

加計学園問題の対応を見れば、安倍政権中枢の権力に対する執念がよく見えます。菅官房長官の人相も日に日に悪くなりました。もはや、「悪相」以外の何者でありません。「悪鬼」のような形相で、前川氏の 個人攻撃を繰り返せば、人は引きます。見ている人の心が冷えます。加計学園問題が収拾がつかなくなったのは、菅官房長官の「悪相」が少なからず影響しています。

私個人の意見を言うならば、「共謀罪」は、上記の安倍一派に対して真っ先に適用されるべきなのです。もし、捜査機関がそれを出来るなら、共謀罪の有効性を多少認めてやってもよいと考えています。勿論、出来るはずもないですがね。

1970年代、「やくざ映画」が全盛でした。鶴田浩二・高倉健などそうそうたる役者たちが、見事なやくざ像を演じたのです。本物のやくざより「やくざ」らしいと本物のやくざたちから称賛を浴びたそうです。

この時代のやくざ映画は、「やせ我慢の美学」を描きました。どんなに理不尽な扱いを受けてもじっと我慢を重ね、ついに堪忍袋の緒が切れた時、他の人には迷惑をかけないため、一人で殴りこみにいく。これぞ、「男の美学」だと言うわけです。鶴田浩二の顔にぴくぴくと浮く筋が、「我慢の深さ」をあらわしたのです。当時の人々は、その「我慢の美学」に痺れたのです。

その後に流行ったのが、「仁義なき戦い」の広島やくざでした。鶴田時代の「我慢の美学」のやくざではなく、暴力、裏切り、剥き出しの欲望などやくざの実相に迫る激しい実録映画でした。時代は戦後の混乱期から安定期の過渡期だと考えられます。

この中で頭角を現したのが、菅原文太や松方弘樹などでしたが、わたしが最も好きだったのが、金子信夫演じる山守でした。「助平で、卑怯で、臆病で、嘘つきで、ずるくて、汚くて、」それこそ、人間の悪徳を一身に引き受けたような人物で、自分が生き残るためには裏切りでも何でもやる親分です。それでいて、何とも言えない愛嬌があるのです。金子信夫の何とも言えない演技に何度も笑いました。こういう激しい剥き出しの暴力の時代に生き残る一つの典型的人物像を金子信夫は見事に演じたのです。

鶴田浩二・高倉健の時代のやくざ映画を「我慢の美学」だと書きましたが、「我慢の美学」とは「建前の美学」なのです。「武士は 食わねど 高楊枝」の精神性の高い世界なのです。

ところが、「仁義なき闘い」の時代は、それこそ人間の本能むき出しの「本音」の世界なのです。強い者だけが生き残る「ジャングルの掟」が支配する世界です。ここでは、生半可の「建前」に縛られたら生きていけないのです。

この映画内容の変遷は、政治の変遷と重なり合うのです。鶴田浩二や高倉健時代を戦後民主主義の確立期だと考えて見てください。「仁義なき戦い」の菅原文太や松方弘樹の時代を「新自由主義」が席巻する現代だと考えてください。

リベラル派(戦後民主主義派、護憲派)の人たちは、鶴田浩二や高倉健なのです。じっと我慢を重ね、「建前」に生きているのです。「やせ我慢の美学」に生きているのです。実は、この「やせ我慢」にこそ、思想の栄養が補給され、人間的豊かさが生まれるのです。このような人々は、新自由主義的な剥き出しの欲望が支配する時代では、少数派なのです。世界的なリベラル派の衰退は、このような世界史的潮流の結果なのです。

ところが、日本会議の連中やネットウヨク連中、安倍内閣の連中は、「仁義なき戦い」の世界に生きているのです。妙な「建前」など守っていては、生きていけないと考えているのです。自分たちを批判する連中は、どんな手を使っても叩きつぶそうと考えているのです。「やせ我慢」などもっての外です。勝ったものが「正義」なのです。

長谷部教授たちの言う「政治のマフィア化」とは、このような状況を指しています。

しかし、このような剥き出しの力がぶつかり合う世界には、大多数の人間はついていけません。「勝者総取りの博打」の世界で生き抜ける人間など、ほとんどいません。人には、どうしても、心安らぐ場所と時間が必要なのです。

「仁義なき戦い」で菅原文太扮する広能が、今や親分になった松方弘樹に印象的な台詞を吐きます。「よう、覚えておかんかい。人間、攻める方が強いんやで。守る側は必ず隙が出来るんや。よう、気いつけや!」

新自由主義的「修羅の世界」を生きる人や国は、いつかは「守る側」に回らざるを得ません。それは隙を見せる弱い側に回る事を意味します。

現在の安倍政権の現状そのままです。彼らは、「強いものが勝つ、勝てば官軍」の世界を生きています。静かに自分を振り返る複眼的な目と物事を深く考える哲学的資質がないのです。腐敗・横暴・居直り・虚偽・洞喝、全てが「修羅の世界」なのです。安倍政権を攻めるには、彼らの生きている世界を良く理解しなければなりません。

民進党の駄目さは、「修羅の世界」に生きている安倍政権中枢連中に対して、建前の「やせ我慢の美学」でしか攻められていないのです。「修羅の世界」に生きる連中と戦うには、時には、「修羅の世界」で対峙する覚悟と度胸がいります。その覚悟を見せたのが、山本太郎と森ゆうこです。彼らには、自らの議員人生を賭けた覚悟が感じられます。

具体的には、全ての国会審議を止める程度の抵抗はしなければ駄目です。弱者の抵抗は、お上品では効果がありません。民進党執行部は、いつまでお上品な金持ちの真似をするのか、と思います。多少、国民から批判されるくらいの荒っぽさが必要なのです。もともと、少数派なのです。今更、少数派になる事を恐れてどうするのでしょうか。民進党幹部の政治音痴は度し難いレベルだと思います。

前川前文部科学省次官の反乱を見てください。彼は一人で決起しました。彼が積み上げてきたキャリアを全てを捨てる覚悟だと思います。この覚悟が局面を動かしたのです。民進党も少数派を嘆く事はないのです。自分たちの政治生命、党の命運を賭けて、共謀罪阻止、安倍内閣大疑獄の解明をかけて戦うべきなのです。支持率の回復などは、その後ついてくるのです。戦わない労働組合「連合」の悪しき体質を引き継ぐようでは、党勢回復は夢のまた夢です。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もりかけ問答? | トップ | 閉塞した社会と、嘲笑う「彼... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「行政予算執行要監査」 (豊岳正彦)
2017-06-23 00:26:09

ホワイトハウス、首相官邸、e-GOV、財務省、人事院、国税庁、総務省、内閣官房、、の問い合わせ・意見フォームで「行政予算執行要監査」の題名で、以下の警視庁へ送信した意見メール全文を送信した。

「警視庁への意見メール送信」

警視庁の業務に対する苦情・ご要望・ご意見のホームページにて、以下の意見を送信した。
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anket/opinion.html

全文を示す。

意見
確認事項 東京都内の警察に関する意見等
お名前
豊岳正彦
ご住所
岩国市山手町1-16-35
電話番号
0827211510

内容
全角1000文字以内
-------------------
「NHKが隠す幕張メッセ国際武器見本市の憲法違反」

長周新聞2017年6月19日刊の紙面から転載する。

「時評」幕張で大規模国際兵器見本市 (要約)

 2014年に武器輸出を解禁した安倍政府が、海外への国産兵器売り込みに力を入れている。

昨年は防衛省主導で世界最大の兵器見本市ユーロサトリに日本ブースをもうけて展示したが、今年は六月に幕張メッセ(千葉県)で大規模な国際兵器見本市(実行委員長・森本敏元防衛大臣)を開催した。

防衛省、経産省、外務省が後援し、米、英、豪、イスラエルなど33カ国の軍需企業や政府関係者など約四千人が参加した。

 今回の見本市は世界最大規模の軍需企業ロッキード・マーティンやオスプレイを開発したベルなどがスポンサー。

会場内には日本企業の軍需部品が多数並び、なかでも三菱重工の最新水陸両用車両が注目を浴びた。

水陸両用車は米海兵隊が上陸作戦に使用する兵器で、他国侵略に不可欠な装備だ。

三菱重工が大型客船事業から撤退する一方で、もっとももうかる使い捨ての殺人兵器製造に傾斜する姿が露わになっている。
______

このニュースを一切報道せず、加計学園問題ばかり取り上げるNHKの本当の狙いがここにある。

まず最初の国際武器見本市の実行委員長は森本敏氏であり、防衛相辞任後はいかなる肩書きで防衛行政に携わっているのか。

国会議員の資格でも国の防衛行政に関与することはできない。

立法、行政、司法の癒着を禁じた憲法の三権分立規定に違反するからである。

森本氏が民間人の立場で実行委員長を務めたならば、幕張という市街地で多数の人を殺戮できる実働の武器兵器を一箇所に集めて展示すれば警察によって国内刑法の凶器準備集合罪に問われるはずだが、主権者国民一般市民の日本国内安全を守る公務を憲法責務とする特別司法公務員警視庁や警察庁は何をしていたのか?

知っていて見逃したならば公務員職務専念義務違反という憲法違反の疑いがある。

そして現在、NHKが加計問題だけ煽って全メディアで報道過熱させているのも、幕張メッセ開催国際武器見本市が内包するこれらの日本国憲法違反を主権者国民の耳目から隠蔽するためである。

総務省特別放送法人憲法99条公務員組織NHKに、警視庁や警察庁が三権分立に違反して自らの憲法責務を放棄し従属していないか、

勤労納税子育て主権者国民という立憲法治日本国の君主が特別司法公務員組織に猛省を求める。
-------------------
使用992文字

情報発信元警視庁 広報課 広聴係
電話:03-3581-4321(警視庁代表) 
仏説父母恩重経https://sptnkne.ws/eGHN (豊岳正彦)
2017-06-23 00:26:36

仏教聖典_はげみ_第一章さとりへの道_第三節仏のたとえ_第一項_雑宝蔵経

 遠い昔、棄老国と名づける、老人を棄(す)てる国があった。

その国の人びとは、だれしも老人になると、遠い野山に棄てられるのがおきてであった。

 その国の王に仕える大臣は、いかにおきてとはいえ、年老いた父を棄てることができず、深く大地に穴を掘ってそこに家を作り、そこに隠して孝養を尽くしていた。

 ところがここに一大事が起きた。

それは神が現れて、王に向かって恐ろしい難問を投げつけたのである。

 「ここに二匹の蛇がいる。

この蛇の雄・雌を見分ければよし、もしできないならば、この国を滅ぼしてしまう。」と。

 王はもとより、宮殿にいるだれひとりとして蛇の雄・雌を見分けられる者はいなかった。

王はついに国中に布告して、見分け方を知っている者には、厚く賞を与えるであろうと告げさせた。

 かの大臣は家に帰り、ひそかに父に尋ねると、父はこう言った。

 「それは易しいことだ。

柔らかい敷物の上に、その二匹の蛇を置くがよい。

そのとき、騒がしく動くのは雄であり、動かないのが雌である。」

 大臣は父の教えのとおり王に語り、それによって蛇の雄・雌を知ることができた。

 それから神は、次々にむずかしい問題を出した。

王も家臣たちも、答えることができなかったが、大臣はひそかにその問題を父に尋ね、常に解くことができた。

その問いと答えとは次のようなものであった。

 「眠っているものに対しては覚めているといわれ、覚めているものに対しては眠っているといわれるものは誰か」

「それは、いま道を修行している人のことである。

道を知らない、眠っている人に対しては、その人は覚めているといわれる。

すでに道をさとった、覚めている人に対しては、その人は眠っているといわれる。」

 「大きな象の重さはどうして量るか。」

「象を舟に乗せ、舟が水中にどれだけ沈んだか印をしておく。

次に象を降ろして、同じ深さになるまで石を載せその石の重さを量ればよい。」

 「一すくいの水が大海の水より多いというのは、どんなことか。」

「清らかな心で一すくいの水を汲んで、父母や病人に施せば、その功徳は永久(とこしえ)に消えない。

大海の水は多いといっても、ついに尽きることがある。

これをいうのである。」

 次に神は、骨と皮ばかりにやせた、飢えた人を出して、その人にこう言わせた。

「世の中に、わたしよりもっと飢えに苦しんでいるものがあるであろうか。」

「ある。

世にもし、心がかたくなで貧しく、仏法僧の三宝を信ぜず、父母や師匠に供養をしないならば、その人の心は飢えきっているだけでなく、その報いとして、後の世には餓鬼道に落ち、長い間餓えに苦しまなければならない。」

 「ここに真四角な栴檀の板がある。

この板はどちらが根の方であったか。」

「水に浮かべてみると、根の方がいくらか深く沈む。

それによって根の方を知ることができる。」

 「ここに同じ姿・形の母子の馬がいる。

どうしてその母子を見分けるか。」

「草を与えると、母馬は、必ず子馬の方へ草を押しつけ与えるから、直ちに見分けることができる。」

 これらの難問に対する答えはことごとく神を喜ばせ、また王をも喜ばせた。

そして王は、この智慧*が、ひそかに穴蔵にかくまっていた大臣の老いた父から出たものであることを知り、それより、老人を棄てるおきてをやめて、年老いた人に孝養を尽くすようにと命ずるに至った。

_________


*智慧(般若はんにゃprajna)
 普通に使われている”知恵”とは区別して、わざわざ仏教では”般若”の漢訳としてこの言葉を用いているが、正邪を区別する正しい判断力のことで、これを完全に備えたものが”仏陀”である。単なる知識ではなく、あらゆる現象の背後に存在する真実の姿を見ぬくことのできるもので、これを得てさとりの境地に達するための実践を、”般若波羅密はんにゃはらみつ”という。



南無父母無二佛  合掌
安倍晋三とは何者なるぞ (竹内春一)
2017-06-23 22:27:17
安倍晋三は何者ぞ。曰く、極右、軍国主義国家を願い、美しい国を作ると言われると、その正体は霧の中である。

何年も首相をやっていると、個々の政治活動からかなりやばい人という印象を多くの国民は持つに至った。彼の本能を具体的に日々見聞きすると、人間的な心を感じることが、僕にはできない。まるで飢餓に飢えたバクテリアが政治をやっているように思える。

バクテリアとは、人間の生命活動の中心である。バクテリアなくして人間は生きていけない。僕はかって体重が100kgもあって、超肥満であった。それは食べ過ぎから来ていた。私の体の中のバクテリアがもっと食べたいと要求するのである。痩せるために食事制限しようものなら、バクテリアが謀反を起こして、脳に飢餓情報を出させるのである。だから、痩せたいと思うと逆効果でますます太るのである。つまり、人間はバクテリアに支配されているということである。

ところが今は体重が85kgで徐々に痩せている。目標は若い頃の体重70kgである。どうしたのかというと、かんたんである。腹いっぱい食べて痩せるのである。ご飯は一日一杯で魚中心の食事にしたのである。いわゆるバクテリア騙しである。腹いっぱい食べればバクテリアは謀反を起こさないのである。

なぜバクテリアの話をしたかというと、日本の資産がバクテリアに食付されている。土地は固定資産税、相続税で50年で食い尽くされて土地の価値はゼロになる。生きるために必要な消費では消費税を8%も取られる。

日本人の50%は自らの肉体以外に資産がない状態である。日本のバクテリアがすべてを食い尽くすから、日本人の人口は300年後には2000人になるという衝撃的な推測もある。

政治の役割は現在と将来を噛み砕いて国民に語ることだと思う。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

安倍内閣」カテゴリの最新記事