老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

2020年の初夢

2020-01-05 14:31:29 | 政治
皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

わたしのような高齢になると、新しい年と言っても、特別な感慨はありません。文字通り、馬齢を重ねたなあ、という想いしかないのですが、それでも今年は何か起きるという予感がしてなりません。

そういえば、今年は子年。過去の悪をご破算にして、新しく物事を始める年でもあります。

安倍政権下の7年ほど日本と日本人のモラルが崩壊した時代はありません。様々な危機が喧伝されていますが、国民や社会の「モラル崩壊」以上の大問題はありません。このモラル崩壊に危機感を抱かない政党や政治家、メディアなどは、信頼するに値しません。何度も書きますが、「魚は頭から腐る」のです。

歴代最長政権などと持ち上げる馬鹿なメディアもいるようですが、最大の問題は安倍首相が「嘘つき」だということ。嘘をついても良心が咎めないのです。

元教師の立場で言えば、教師が教壇で嘘ばかりついて、どの生徒が学校や教師を信用するのでしょうか。間違いを認めず、言い訳ばかり繰り返す教師を、どの生徒が信用するのでしょうか。誰が考えても当たり前の常識が通用しないのが安倍政権と安倍晋三総理大臣なのです。

2~3年前、わたしは彼を「サイコパス」だと書きましたが、現在この意見に同意する人が増えているように思います。その結果、日本人が日本人である事の証明みたいな「真面目で、正直で、礼儀正しく、一生懸命働く」という道義心・倫理観が否定され、破壊されてしまいました。

元TBS記者山口某と仲間たち(月刊HANADAに集まる連中)のように、卑劣な性犯罪を犯しておきながら、自分は無罪だと居直り、徒党を組んで性犯罪者を擁護し、弱者を居丈高に威嚇し、蔑み、足蹴にする心貧しい連中の跋扈が目に余りました。これをセカンドレイプというのですが、彼らは居直ったように地裁の判決後も恥ずかし気もなくこういう言説を繰り返しています。

こういう恥ずかしい言説を掲載している雑誌に安倍首相が出ているのですから、彼の道徳観や倫理観はどうなっているのか、疑わざるを得ません。こういう連中が「美しい国」だの「道徳教育」だのと嘯くのですから、話になりません。

7年にわたる安倍長期政権の結果として、昨年末一気に噴出した「桜疑惑」を始めとする権力機構(政・官・財)の腐敗堕落も顕在化しました。こんなぼろぼろの支配階級の腐敗堕落の連発は、戦後初めてと言っても過言ではありません。

少なくとも、人の上に立つ立場の人間なら最低限持っていなければならない倫理観のかけらもない人間たちの醜態ばかり見せられました。これまでの日本人の常識から言えば、「最低の人間」と指弾されても仕方がありません。

ここまで知性も理性も欠如、良心やモラルも節度も欠落し、行政の私物化に狂奔する政権を許し続けた最大の戦犯は、メディアにあります。権力に阿り、権力を忖度する、ジャーナリストとしての気概も覚悟もないメディアは、もはや報道機関ではありません。権力の広報機関にしか見えません。一言で言えば、ただの「プロパガンダ」機関に成り下がっています。

同時に、われわれ日本人は、こんな政権を許容してきた事を心の底から恥じなければなりません。日本人がもう少し賢かったら、こんなメディアを許さなかったでしょうし、こんな政権を長続きさせなかったはずです。何度も書きますが、日本は、もはや、先進技術も社会体制も教育も文化も人間としても「後進国」だと言う認識から再出発する以外ありません。

では、どうすれば良いのでしょうか。

会津藩に伝わる―「什の掟」―があります。幼い子供をしつける掟です。中身については以下のところで見てくだされば分かります。
https://aizumonogatari.com/yae/material/367.html

読んでもらえば分かるように、封建的とも思われる様々な教えを説いているのですが、最後に「ならぬことはならぬものです」と、厳格に教戒しています。元教師の立場から言えば、この「什の掟」は、教育ではなく「しつけ」だと思います。

以前、「闇の恐怖」という一文を書いた事があります。わたしの幼少期、悪いことをするとよく「蔵」に入れられました。真っ暗の蔵の中に押し込められ、扉を閉められると、漆黒の闇に包まれます。幼い子供にはこの「闇の恐怖」は耐えがたいものです。もう二度としないから許してください、と泣きながら哀願します。

長じてもこの恐怖は心に沁みついているので、悪いことをしようとすると、折に触れてその「恐怖心」が蘇り、踏みとどまるのです。道徳観とか倫理観と言うものは、このように身に沁みついているものです。頭で理解した道徳観とか倫理観などと言うものは、あまり役には立ちません。

会津藩の「什の掟」は、このようなものだと思います。武士としての「学問」とか「武術」とか「武士のありよう」を学ぶ以前の、人としての心のありようをしつけているのです。それがなければ、真の意味で「学問」とか「武術」とか「人としてのありよう」などは身に付かないと考えているのでしょう。

「ならぬことは、ならぬものです」という言葉は、理非を超えたそんな心構えを説いたものでしょう。

安倍政権のありように、「ならぬことはならぬものです」と厳しく教戒を与えるのがジャーナリズムの存在価値です。そして、何より国民が、選挙で「ならぬものはならぬものです」という審判をくださなければなりません。

しかし、四分五裂の野党の現状では、いくら国民が「ならぬことはならぬものです」とお灸をすえようと思っても、どこに投票すれば良いのか、途方に暮れてしまいす。

ところが、昨年半ばごろから、立憲民主党と国民民主党の合流が現実味を帯び始め、どうしようもなかった野党の変化が視野に入り始めています。

さらに共産党の変化は顕著で、かっての頑なさから、かなり柔軟になっています。もし、今、仮に共産党と言う名前を捨て去れば、一気に野党第一党になる可能性も秘めています。

そして、何をさておいても、最大の希望は、「れいわ新選組」の台頭です。山本太郎の類まれな演説力と彼の弱者に寄り添う政治姿勢が、既成政党の網の目から漏れた非正規労働者、障害者、無党派層、少額年金生活者などの希望を結集しつつあります。

特に、既成政党がなかなか大声を出して主張できない、<「消費税廃止」が理想だが、野党結集のためなら「消費税5%」>という主張は、かなりのインパクトがあります。

山本太郎が言うように、ただ野党が集まるだけでは政権は取れません。「消費税廃止」か「消費税5%」のような「パワーワード」をスローガンにしなければ、勝つことは難しいと思います。

野党が一番考えておかねばならないのは、正義とか理念とか道徳とかばかりを主張してもなかなか票にはならないという現実です。一番票になるのは、「生活」の問題なのです。「明日の飯をどうするか」の問題をストンと胸に落ちるように話し説得出来て、初めて票になるのです。山本太郎の言う「パワーワード」とはそういう事です。

しかし、立憲民主党の枝野党首は、「消費税5%」にあまり積極的ではありません。民主党の失敗原因は、党内の「国民の生活が第一」と考える勢力の消費税凍結と、野田元首相に代表される「消費税10%」値上げ組勢力との確執にありました。この失敗原因を反省するかしないかが、新たな野党勢力の勢力を拡大させるかどうかの最大の問題点になります。

立憲民主党と「れいわ新選組」との間には、この問題を巡って微妙な亀裂があるようで、連合関係を結ぶのにはかなりハードルが高そうに思います。両党の支持者の間でもかなり激しいやり取りもあるようで、折角訪れ始めた大チャンスを無にしかねません。

両者の姿勢の違いは、現在の世界や日本をどう考えるかについての理念や思想の違いがあります。枝野党首率いる立憲民主党は、保守やリベラルの違いに重点を置いています。つまり、現在の政治状況をみるために、「横の関係」に重点を置く見方をしています。

これに対して、山本太郎率いる「れいわ新選組」の発想は、25%の支配層とその支持層に対して、75%の支配される被支配層という「縦の関係」に重点を置く政治姿勢にあります。つまり、保守とかリベラルなどという区分けに重点を置いていないのです。

現在の新自由主義的思想が席捲する世相では、枝野党首型の「横」の視点では、なかなか多数派を形成する事が難しいのです。何故なら、現実には、支配者側にも「リベラル」と「保守」が存在し、被支配者側にも「リベラル」と「保守」が存在しています。ですから、本当なら立憲民主党などに結集できるはずの75%の被支配層の人々の支持をなかなか獲得できないのです。

さらによく考えておかねばならないのは、トランプ大統領の出現で、米国のリベラルと思われた人々の主張が、世界の分断と波乱要因を拡大してきた、という事実です。

例えば、リベラルと思われた米国の民主党が、強固な「軍産複合勢力」の代弁者で、ヒラリー・クリントンがその代表的人物だったのです。今や、米国が叫ぶ「自由」と「人権尊重」のスローガンで、他国の破壊と他国民の殺害が正当化されている、という事実が隠せなくなっています。

同時に、米国の叫ぶ「自由」は、大資本が無制限に稼ぐ「自由」を意味しているのではないか、という疑問を世界中にまき散らしています。現実に、米国内の貧富の格差は世界一です。華やかで豪勢な生活をしている1%の富裕層に対して、ホームレスの数は増加の一途です。

だから、米国では、こういう現実を直視して、強欲資本主義に根本的疑問を申し立て、サンダース議員に代表されるような被支配者階級のための「社会民主主義」的政治思想を語ったりするのです。

つまり、米国の民主党の混乱は、保守・リベラルの「横関係」の思想を重視する勢力と、富裕層と貧困層という「縦関係」の思想を重視する勢力との混在が、最大の要因なのです。

左右イデオロギーの発想の中での「貧困問題」という視点で考えている限り、立憲民主党の思想にもこのような矛盾が存在する事も事実です。

一方、山本太郎にはこのような矛盾は存在しません。彼にはイデオロギーの違いなど大した問題ではないのです。彼にとっては、「富の公平な分配」が全てです。支配者側が独占している「富」を、大多数の被支配者に公平に分配する。それが最大の課題であって、その他の違いなど、大した問題ではないのです。ただの「貧困問題」と言う視点で捉えないで、支配と被支配の視点で考えているのです。

だから、「立憲民主党」と「れいわ新選組」との共闘関係がなかなか進展しないのです。

このハードルを越えるためには、やはり小沢一郎の政治力が必要でしょう。小沢一郎が日刊ゲンダイのインタビューに答えて、「消費税5%」問題をクリヤーするためには、知恵を出さなければならないと語っています。例えば、消費税引き下げのための「景気条項」の付帯条件を付けるとか、そういう知恵が必要だというわけです。

立憲民主党の場合、消費税10%はかっての野田政権時代に掲げた政策であり、支持母体である連合も許容しています。(※私自身は、これもおかしなことだと思っていますが。)だから、簡単に消費税5%などと言えないのでしょう。この辺りが、旧民主党連中の奇妙な矜持なのです。

当時と現在の経済状況が変化しているのだから、以前の消費税10%上げるという政策は撤回すると言えば良いのです。さらに言えば、当時の野田首相と自民党・公明党との三党合意の条件を安倍政権はほとんど守っていません。三党合意を守っていないのは自民党です。だから、三党合意は破棄する、と言えば良いのです。

政治の世界では、「君子は豹変する」というのはしばしばある事です。旧民主党は、わずか3年の政権しか持っておらず、残りはほとんど自民党政権です。戦後政治の大半の責任を負うのは自民党です。「悪夢の民主党政権」などと言われる筋合いはないのです。

この辺りの図太さが立憲民主党も国民民主党の連中も足りません。だから、折角のチャンスにも関わらず、つまらない面子にこだわったり、好きだ、嫌いだなどというくだらない理由で、もめるのです。自民党の連中を見てごらんなさい。責任を取らないのが政治家だと言わんばかりの振る舞いです。この辺りの図太さは見習わなければなりません。

何度も言うようですが、「権力を狙わない政治家は、ネズミを捕らない猫」より劣ります。何故なら、猫は人を癒しますが、権力を狙わない政党や政治家は、人を苛立たせるだけでなく、国民にとって迷惑でしかないからです。(※政権交代が起こらず、政治が緊張感を失い、反国民的政策でもすんなりと国会を通過するからです。)

「政治は妥協」というのは、どちらにも正統性がある主張の違いに対して、どういう「知恵」を出せるかにかっているということです。消費税を下げる時の「景気条項」などという発想は、落としどころとしてはかなりなもので、そんなものかもしれません。

これからも紆余曲折はあるかもしれませんが、多くの人が「これ以上安倍政権を放置していたら本当に日本沈没が避けられない」と感じ始めています。そして、政治を馬鹿にしていたら(投票しない連中)、最後は取り返しのつかない結果を招くと言う事を薄々感じ始めています。

このような政治環境の違いを敏感に感じ取り、行動を起こすのが政党であり、政治家なのです。

子年の今年は、このような政治的大変動を起こすにふさわしい。これがわたしの初夢に終わらない事を切に願っています。

「護憲+コラム」より
流水
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