老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

天皇制を考える

2019-05-17 20:30:39 | 社会問題
(1)米国の天皇制理解・・戦争準備の凄さ

明仁天皇が退位され平成の世が終わった。次は、令和の世だ、などというメディアのバカ騒ぎに与する気持ちはさらさらない。わたしは、これからは可能な限り西歴を使おうと考えている。

特に宮中祭祀(大嘗祭)を国事行為にして、バカ騒ぎを演出している安倍政権の反憲法姿勢と歴史修正主義には反吐が出る。これがどれほど明仁天皇を傷つけているか、安倍首相は考えたことがあるのか。

明仁天皇退位を伝えた外国ニュースの中で天皇の歴史修正主義に対する嫌悪の情を書いた英国報道があった。日本メディアが安倍首相に対する忖度で改元騒ぎを煽るだけの報道一色なのに比べて、外国ニュースが事の本質をずばりと切り取っていた。

本当に令和を新しい時代にするつもりなら、明仁天皇が生涯をかけて追い求めてきた「象徴天皇」の本質的意味を深く考え、次の時代の天皇像を官民挙げて模索しなければならない。前の時代の真摯な総括なしに新たな時代など来るはずがない。

だから、改元時における大メディアの責務は、明治以降の天皇制の歴史と役割を冷静に冷徹に振り返る事であり、令和(うさん臭い改元事情も含めて)を無条件に寿ぐ事ではない。

前の投稿「象徴天皇へ歩み続けた明仁天皇(帝王学の成果か!)」でも触れたが、米国は、戦争終了前から、天皇制の存続を考えていた。

加藤哲郎氏(当時は一橋大学教授)が2004年12月「世界」に発表した論文『1942年6月米国「日本プラン」と象徴天皇制』によると、1942年6月時点にすでに「天皇制存続」と「戦後」の日本の繁栄=資本主義の再建というGHQの二つの占領方針が期計画されており、「天皇」を平和の象徴として利用するという戦後日本の占領計画が練られていたという。
http://netizen.html.xdomain.jp/JapanPlan.html

米国にとって日本との戦争に勝利するのは既定の事実。如何に占領支配を行うかが米国の主要関心事だった、と言う事である。戦争の相手国のこれだけの深慮遠謀と余裕。鬼畜米英を大声で叫び、大本営発表で国民を騙し、竹やりで本土決戦を叫ぶ以外能の無い政府。彼我の違いの大きさに愕然とする。

しかも、米国は、明確に「天皇」を平和の象徴として戦後日本の占領行政の中核として位置づけている。米国の天皇制に対する理解、日本や日本人理解は、相当なものだと言わざるを得ない。

実は、あまり知られていないが、天皇家と米国との間には、相当数の書簡の交換があった。天皇家と米国の関係は、傍が思う以上に親密だった。

5/4日、TBSの報道特集で、金平キャスターが、米公文書館でこの書簡を閲覧したのが放映されていた。同時に大正天皇の女官の肉声テープも放映していた。大変興味深く非常な力作だった。

※令和時代の幕開けと代替わりの原点 (2019/5/4 放送)
・・・約200年ぶり、憲政史上初めてとなる天皇の退位と新天皇の即位を国民はどう見つめたのか。歴史的な代替わりを様々な視点で取材し新時代の象徴天皇のあり方を考える。さらに、私たちは大正天皇の女官の肉声が収められたカセットテープなど、今回の代替わりの原点につながる新しい資料を日本とアメリカで見つけ出した。そこから見えてくる歴代天皇の姿とは・・。初公開となる歴史資料から代替わりと改元の原点に迫る。・・・
http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20190504_1_1.html#

日本でも総力戦研究所で米国研究をしていたが、米国の研究とはその質と量及び研究範囲も違い、研究成果を受け取る政治家・軍人の指導層の能力の差があり過ぎたと言って良い。

結論は「日本必敗」///開戦前に存在した「奇跡の組織」総力戦研究所とは?(HUFFPOST)
https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiko-iimura/japan_failure_b_17694998.html

総力戦研究所(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%8A%9B%E6%88%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

HUFFPOSTで書かれているように、総力戦研究所での対米戦争の結論は、【日本が必ず負ける】というものだった。当時の日本の指導者連中は、この結論を無視した。科学的合理的研究成果より、当時の政府・軍内部の人間関係を忖度し、結論が出された。如何にも日本的な意思決定経過である。

実は、わたしの学生時代の研究室の教授は、この総力戦研究所に勤務していて、彼が時折無念そうに当時の軍部を批判するのを聞かされていた。だから、わたしには総力戦研究所と言う名前は、かなりなじみのある名前だった。

それはさておき、当時の米国の日本研究者たちの日本研究は、レベルが非常に高かった。天皇制の研究もそうだが、日本文化の研究や日本人研究も非常に優れていた。

のちに、日本大使になり日本人に愛されたライシャワーもそうだった。(ただ、彼が日本人をどう見、どう戦略を組み立てたかについては、上記の加藤氏の論文に詳しい。彼もまた日本を冷厳と見下す占領国の官僚だったと言って良い)

その他、人口に膾炙したものに、ルース・ベネディクトの「菊と刀」がある。

※米国発・日本人論の元祖「菊と刀」とは? 「ここがヘンだよ日本人」を真面目に描いた必読の一冊
https://bushoojapan.com/tomorrow/2015/12/28/66251

私見だが、こういう研究をきちんと評価し、それを占領支配や占領行政に役立てるなどという芸当は、ファッショ体制の国家ではできない。

よく観察すれば、当時の東条政権も現在の安倍政権も論理性・合理性・科学性・国際性が欠如し、都合の悪い真実に目をつぶり、精神性だけを強調する点では全く同じ。

現在の安倍政権下の統計資料不正問題、記録を残さない、不都合なものは隠蔽する(黒塗り)、言い換える、真正面から答えない。真実に対してきわめて不誠実。こういう国家をファシズムという。こういう姿勢の国家に、ルース・ベネディクトのような真面目な研究を評価し、役立てるなどと言う発想は皆無だろう。このような研究の素晴らしさを認識できる知性がない。知性がないから、研究の成果をどう利用するかなどという発想は出てこない。

これ一つ見ても、現在の日本の劣化は明らかであり、太平洋戦争勃発前の指導部のレベルの低さとほとんど大差はない。

(2)天皇制とは何か 

実は国民の大多数が「天皇制を意識し始めるのは、明治(近代)になってからである。天皇制それ自体は、古代から連綿と続いてきているが、それほど国民の身近な存在ではなかった。

江戸時代の終わりまで天皇は、京都(御所)で暮らしていて、外出もほとんどしていなかった。「行幸」などと言う言葉が残っているが、滅多にないから「行幸」なのである。

現在の天皇制の形態は明治以降のものである。幕府打倒の錦の御旗として、天皇を担ぎ出した薩長藩閥政府の庇護のもと、現在のような形態が作り出された。天皇の担ぎ出しは、尊王攘夷思想の帰結だった。

まず、天皇が全国を巡りはじめた。天皇を国民動員のツールとして利用し始めたのである。

江戸時代は、藩を中心とした地方分権国家。明治になってこれが中央集権国家へと変貌していく。その場合、国家や国民を統合するシンボルが必要になる。それが、天皇と言うわけである。

だから、江戸時代には考えられなかった天皇の全国への行幸。それに、国民を動員し、日本と言う国を意識させる。これが江戸時代とは違う明治と言う国家の形なのである。

さらに、教育現場で教育勅語が制定され、天皇中心の歴史教育が徹底され始め、天皇神格化が始まった。

一つは、【ご真影】。すべての儀式で使用された。⇒写真を加工して作成
一つは教育勅語の暗記。教育現場で働いていると、【音読】の効果がいかに大きいかを痛感する。

「だんだん良くなる法華の太鼓」という言葉がある。日蓮宗の信者は、毎朝毎朝うちわ太鼓をたたいてお経をあげる。はじめはお経も下手糞。太鼓の音もやかましく騒音以外の何物でもない。ところが、そのうちにお経も上手になり、うちわ太鼓の音も澄んだ音になり、聞いて心地よくなる。何事も「習うより慣れよ」の典型だろう。

これと同様な事が教育勅語の音読にも言える。教育勅語の難解な漢字や意味もよく理解できないけれど、毎日毎日音読すると、何となく身体に染み入る。一種の「洗脳教育」だが、これが、戦前の教育の一つの柱になっている。森友学園の幼稚園で行われていた教育勅語の音読を思い出してほしい。あれが戦前型教育の一つの典型である。

もう一つは儀式。儀式は形式を徹底的に重視し、能う限り荘厳に行う。参加者全員が極度の緊張の中で儀式を行う事に意味がある。これが、権威を重んじる精神の涵養に役立つ。よく周りを見てほしいが、こういう儀式が大好きなのが、いわゆる右派連中に多いのは偶然ではない。

戦前、卒業式などの儀式で、ご真影の前で、校長が白手袋をして、恭しく、教育勅語を朗読する。読み間違えなどしたら大変である、校長の首が飛んだ例もある。こんな姿を小学校・中学校で見ている子供たちには、知らず知らず天皇の権威が教え込まれるのである。

・・・「4月30日、「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相はおそらく歴史に残る大失言をしてしまった。それが起きたのは「国民代表の辞」のほぼ末尾だ。「天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません。
 これでは、国民の大多数の願いとは全く逆だ。」・・・(アエラ)

「願って已みません」と原稿に書かれていたのを、願ってやみません、と読めなかったようだ。お粗末と言う以外ない。戦前なら一発で総辞職ものだろう。戦前が好きな割には、そういう非礼には鈍感なようだ。

さらに言うなら、これだけの儀式での挨拶。事前に何度も練習しておくのが普通。わたしのようなものでも、卒業式で生徒の名前を読み間違えないようどれだけ練習したか。日の丸とか国歌とか儀式大好き人間のわりには、何ともお粗末と言わざるを得ない。

ともあれ、【君民一体】が戦前の天皇制の原点。この原則で全ての事柄が執り行われてきた。この原則は、戦後の天皇制でも変わることなく継承されている。

ただ明仁天皇の行幸は、明治・大正・昭和天皇のそれとは、明らかに性格を異にする。

たしか、「男はつらいよ」だったと記憶しているが、戦前の思い出話をする親父さんが、「天皇陛下が来られたのでお迎えに動員された。お姿を見たら目がつぶれる、などと脅されたので、じっと頭を下げていたら、天皇陛下がいつのまにか通り過ぎていた。ただ、頭を下げた記憶だけが残っている」という趣旨の話をしていた。映画の中の話だが、実はこの種の話は全国に転がっている。これが戦前の行幸である。

昭和天皇の場合、20年以降の行幸は、戦前とはかなり違っていたようだが、それでもただ手を振る程度で、民衆とは一線を画した畏れ多い存在としての振る舞いを逸脱する事はなかった。

明仁天皇は、このスタイルを根底から変更した。災害地慰問の時など、ひざまずき、被災者と同じ目線で話かけられた。

天皇を神として祭り上げようという戦前型天皇制論者からすれば、とても容認できる天皇の姿ではなく、当初はかなり激しい抵抗があったと聞く。それでも明仁天皇は、このスタイルを貫いてこられた。

このスタイルこそ、明仁天皇が考え抜かれたうえで、具現化された【象徴天皇】の姿だった。

以前にも何度か紹介したが、「世の中のありとあらゆる不幸はすべてわたしのせいなのよ」という存在を持つ国は、世界中にあまりない。あるとしたらそれは宗教というのが一般的。そういう意味で、天皇制と宗教とは紙一重の存在だと思う。

戦前の天皇制は、この「宗教」の側面を強調した。ところが、米国は、この天皇制の持つ「宗教性」を極力薄め、「制度として天皇制」を創出したのである。米国は当然日本の教育(教育勅語に基づく教育)の解体も視野に入れていた。一般的には民主化と呼ばれるものだが、米国の発想は、さらに視野が広く深かったと言わざるを得ない。

米国の狙いは、こうである。【制度としての天皇制】だから、天皇は憲法(法)の下の存在になる。つまり、神の存在ではなく、法の下の存在として位置づけられたのである。法治国家の原則を例外なく天皇にも適用したのである。こうして、民主化の第一原則である【法治国家】を実現した。

明仁天皇は、この原則(日本国憲法の遵守)を如何にして具現化し、皇室を永続化させるか、にそれこそ天皇としてのレーゾンデートルを賭けた。

哲学者内田樹は、その行為を「鎮魂」と「慰藉」だと定義している。彼は以下のようにいう。

・・「ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの慰藉とは「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。
死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。」・・・

わたしは、象徴天皇の果たすべき【象徴的行為】=「共苦」(コンバッション)という定義に感心させられた。見事と言うほかない。

「万世一系」と称される長い天皇家の歴史の中で天皇が天皇であり続ける所以は、担がれる神輿として最適な存在であり続けたという以外、見当たらない。担がれるには担がれる理由があり、それは、天皇家が時の政治権力(世俗権力)から超越的な存在であった点に求められる。

この点が西欧の王権と決定的に違う。天皇家は「権威」の代表者であっても、【武力】の代表者ではない。西欧の王権は、【権威】と【武力】を兼ね備えている。ところが、天皇制は、「権威」のみだと言って良い。天皇制が武力も兼ね備えた王権的支配を持った時代は、ほんの短い一時期に限られ、あとは武力支配からは遠い存在だった。だから、時代の転換に遭遇しても、革命的打倒の対象にならなかった。

しかし、今回の改元騒ぎで明確になったように、天皇制は「時間」を支配していると言える。明治、大正、昭和、平成、令和と言う具合に、時代の区切りを司る、と言う事は、時間を支配していると言って良い。

さらに、天皇の行幸の範囲は、日本国中に及ぶ。その先々で、熱烈な歓迎を受ける、と言う事は、日本と言う空間支配にも影響力を行使している。

王権というのは、空間支配も自らの権力が及ぶ範囲に限定される。同時に、その権威も武力も現世的と言って良い。だから、自らの権力が衰えれば、次の覇者に追い落とされるか、民衆によって追い落とされる運命にある。ところが、日本の天皇制は、鎌倉時代の「承久の乱」以外に、そのような形をとった事はない。承久の乱でも、天皇家は存続している。

これは何故なのか。天皇制がなぜ長続きをしているのか。明快な回答が出しにくい。

このように子細に天皇制存続の理由を探したり、その存在理由を明確化しようとしても、これぞという答えは見つからない。

天皇制の内実を問うと常にこの問題に行き当たる。西谷啓治が「近代の超克」で「無の哲学」と書き、ロラン・バルトが「空虚な中心」と述べ、柄谷行人が「ゼロ記号」と定義したのも同様な理由からであろう。

特にロラン・バルトが首都東京の中心に【空虚な空間=皇居】があると書いているのは、きわめて示唆的である。

近代的都市の代表格である東京のど真ん中に緑に囲まれた広大な空間(皇居=旧江戸城)がなぜ存在しているのか。そんなものがあるだけで、東京の交通も土地事情も大変難しくなる。ここを取っ払って開発すれば、東京の交通事情も土地事情も格段によくなるはずだろう。バルトがそう考えたかどうか知らないが、合理的・科学的・論理的に考えれば、そうなる。

誰でもそう考える事がなぜできない。そこに天皇家が住んでいるからだろうか。戦前で言えば、日本の中心権力がそこにあるからだろうか。近代的合理主義的考え方が全く通用しない【空間】がそこに存在している。

これをどう見るか。ロラン・バルトには、【空虚な空間】として視えた。天皇制否定論者には、文字通りの「空虚=からっぽ」としてしか見えなかった。

明仁天皇の「象徴天皇」への旅路は、これに対する一つの答えであろう。「無」とか「ゼロ記号」で【空虚】だからこそ、「鎮魂」と「慰藉」の旅が本物になる。現世の権力とは別物の「権威」だからこそ、「鎮魂」と「慰藉」=【共苦】の想いが受ける側の心に染み入る。「無」である事の強さを最大限に活用したのが、明仁天皇の「鎮魂」と「慰藉」の旅だったとわたしは考えている。

だから、戦前型の天皇主義者たちが、国民の前で膝まずいて話をする天皇を批判しても、そのスタイルを貫き通したと思う。「鎮魂」と「慰藉」に天皇制存続の活路を見つけようとしたのだろうと推測している。

私自身は、【空虚】とか【無】それ自体に価値があると考えている。日本文化の中にある合理性だけでは割り切れない「人のやさしさ」とか「損を承知で行動する無償の行為」などは、人の人生を【空】とか【無】であるという認識があるからこそ世間的利害を超えた行動ができるのだと思う。

難しい禅の教えを持ち出すまでもない。葬儀の時の般若心経を思い出せばよい。【色即是空 空即是色!】日本人の心の中にこの感覚があるからこそ、天皇制の【無】とか【空虚】が受け入れられるのだと思う。

建物もそうだが、無駄な空間があるからこそ、人は落ち着ける。わたしのような田舎者は、現代的建築の無駄のない消毒されたような空間は、落ち着かなくてそわそわする。多少の汚れや無駄な空間があればほっとする。

都市空間も同じで、わたしは上京するたび、東京と言う町は、緑の豊かな街だという印象を強く持っている。皇居もそうだが、新宿御苑を初めとして東京には素晴らしい公園が目白押し。近代合理主義からすれば、きわめて不合理な土地利用かもしれないが、これが東京に住み人にとってきわめて重要な場所になっている。そしてそれが東京と言う都市の魅力の一つである事は間違いない。

わたしは、明仁天皇の「象徴的行為」としての「鎮魂」と「慰藉」の旅は、国民に東京の緑豊かな公園的役割を果たしてきたと思う。現世的権力から可能な限り遠ざかる事により、逆説的に現世を生きる国民たちに生きる希望を与え続けることができたのであろう。

一つだけ難癖をつければ、天皇の象徴的行為が素晴らしければ素晴らしいほど、現世の権力者である安倍政権の悪行が薄められる。国民の側からすれば、安倍政権の悪行に我慢の限界を感じていても、天皇ご夫妻の「鎮魂」と「慰藉」の訪れを受ければ、その怒りもいくばくかは消え去る。

天皇の象徴的行為は素晴らしいが、素晴らしければ素晴らしいほど、国民の怒りが政権打倒のエネルギーにつながりにくくなる。この矛盾は如何ともしがたい。

安倍政権と明仁天皇との確執は人も知るところだが、私から言わせれば、安倍晋三は天皇に足を向けて寝られない。理由は、安倍政権の悪行三昧に対する国民の怒りを天皇ご夫妻の「鎮魂」と「慰藉」の旅が薄めてくださっているからである。

実は、米国が考えた「象徴天皇制」は、天皇を日本統治の精神的シンボルとして利用する事だった。天皇を平和のシンボルとして変身させることが、日本統治の要だった。

天皇のメタマルファーゼ【変身】は、明仁天皇によって完成した。明仁天皇は、ある意味見事に米国の日本統治の狙いを完成させた、と言って良いかも知れない。

しかし、明仁天皇は、米国の政治的狙いを凌駕した「象徴天皇制」の精神の具現化に成功したのである。それは、平和への願いと「鎮魂」と「慰藉」の旅を続ければ続けるほど、米国の反平和国家としての振る舞いがあぶりだされる結果になるのである。

その象徴的場所が沖縄と広島・長崎であろう。明仁天皇の沖縄訪問の真摯さが語られれば語られるほど、米軍の非道さがあぶり出される結果になる。明仁天皇の「象徴的行為」それ自体が、米国の思惑を超えたのが、平成という時代の一つの結果だったといえる。

最後に、国民の側が天皇制について考えておかねばならないのは、天皇制という制度は、いわば【ブラックホール】のようなもので、敵も味方も全てを飲み込んでしまう力がある。これは、占領国米国の日本通が見逃した天皇制の持つ摩訶不思議な力である。

日本の歴史を見れば一目瞭然だが、歴史の転換点(皆が悩み、苦しみ、迷っている時)には必ず天皇制が不死鳥のように甦ってくる。この度の改元騒動のもう一つの側面は、天皇制が見直され始めたと言う事は、国民が悩み、苦しみ、迷っている事の裏返しである。

だからこそ、令和時代の天皇制を考えるとき、この【無】とか【空虚】とか【ゼロ記号】という発想から出発しなければ、日本にとっての天皇制を考える事にならないと思う。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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