老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

目に余る司法機関の逮捕権の恣意的裁量

2019-05-03 17:09:55 | 民主主義・人権
4月19日、池袋で車が暴走。自転車で横断歩道を渡っていた松永真菜さんと、娘の莉子ちゃんがはねられ、死亡した。

報道によると、事故を起こした車は左側面をガードパイプに接触した後、速度を上げて約70メートル先の交差点に進入して自転車で横断中の70代男性をはねた。さらにその先の交差点で松永さん親子をはねた。

車は時速100キロを超すスピードで横断歩道に侵入したが、信号機はいずれも赤信号であったと見られている。

これが単なる交通事故か、それとも事件か。殺人か過失致死かは、これからの捜査に待たなければならない。加害者は飯塚幸三という87歳の男性である。87歳で交通量の多い都内を運転するというのは、どう考えても無茶だろうと思う。

さらに、問題は加害者の経歴である。東大卒。元通産官僚。(工業技術院院長)。退職後、クボタの副社長などを歴任。2015年瑞宝重光章受章。絵にかいたような成功者と言って良い。

当然だが、駆け付けた直後の警察官は、彼の華麗な経歴など知る由もない。と言う事は、事故の通常処理を行うと言う事になる。死者2名を出している大事故である。現行犯逮捕が通常の対応であろう。現に、翌日起きた神戸のバス事故では、運転手は逮捕されている。

ところが、飯塚幸三氏は逮捕されなかった。怪我をして緊急入院しているため、というのが、警察発表。

この何となく不明朗な扱いにネットが激怒。多くの書き込みがなされた。特に、飯塚幸三は「上級国民」だから逮捕されないのだ、とか、メディアが飯塚幸三さん、と、さん付けをしたとかで、多くの書き込みがなされた。いわゆる炎上である。

この書き込みが適当かどうかの問題はさておき、事故直後の飯塚幸三氏と息子の行動はかなり不可解と言わざるを得ない。

① 息子の飯塚智浩に指示電話 
② フェイスブックの削除 
③ 自宅電話の解約 
④ 弁護士への根回し 
⑤ Twitterの削除 
⑥ Wikipedia編集ページのロック 
⑦ ストリートビューで自宅にモザイク 
⑧ 経済産業相の勲章贈呈ページの削除

事故直後、飯塚幸三氏は携帯でこれだけの指示を息子に出した、と指摘されている。87歳の老人の振る舞いとは思えないほど、見事な事後処置だと言わざるを得ない。

まあ、87歳の老人が、フェイスブックやTwitterをあやつっていたことも驚きだが、ストリートビューで自宅にモザイクをかけろ、などと言う指示は、普通そこまで神経が回らない。配慮の行き届いた事後処置の指示を見ると、飯塚幸三氏が認知症の症状があるなどという言い訳は、通らないと思う。

と言うより、彼が逮捕をまぬかれたのは、息子を通じてどこかから警察に圧力をかけさせたのではないか、という疑いをもたれても仕方がない。これだけ神経が行き届いた指示を出す人間が、自分を警察がどう扱うかを考えないはずがない。当然、それに対する指示も出されていると考えるのが普通だろう。

実は同じような事案が、昨年2月東京都港区白金で起きている。この事件の車も今回と同様に、トヨタレクサス。高級車である。これが暴走し、歩道を歩いていた37歳の男性を轢き殺し、道路脇の金物店に突っ込み、柱やシャッターなどを壊した事件である。この事件でも加害男性は逮捕されていない。加害者の名前は、石川達紘(当時78歳)。元東京地検特捜部長。名古屋高検検事長。2009年瑞宝重光章受章。

わたしも高齢者に入るので、メディアの弱いものいじめを絵にかいたような高齢者バッシングには賛同できない。事件の本質を無視した飯塚幸三氏個人をバッシングして留飲を下げるやり方も感心しない。

しかし、この事件の背後に横たわる司法(警察・検察)のありようについては、きわめて疑問が多い。

今回の事件も昨年の事件も、それから一見関係のない事件に見える日産のゴーン事件も、問題の本質は同じところにある。それは、検察・警察に与えられた巨大な【裁量権】の問題である。

この問題を掘り下げて考えなければ、今回の事件も単なる高齢者バッシングの恰好な材料にしかならない。日産のゴーン事件もゴーン個人の悪行を裁く、という問題に矮小化されてしまう。

その裁量権とは、
1.犯罪が存在するのに無罪放免にする裁量権
2.犯罪が存在しないのに無実の人間を犯罪者に仕立て上げる裁量権

権力の怖さは、司法(検察・警察)の逮捕権がかなりの部分を占める。逮捕権の行使が、検察・警察の裁量に任されている点が大きい。【裁量】と言う事は、恣意的運用が可能だと言う事を意味する。

例えば、Aという人間を逮捕しようと思えば、Aという人間を四六時中監視し、軽犯罪法違反などの些細な罪であったとしても、それを理由に逮捕してしまう。逮捕したら、恐れ入りましたと言わない限り釈放せず、拘留延期を繰り返す。悪名高い【人質司法】である。これが2の裁量権の恐ろしさ。籠池氏やゴーン氏への長期拘留を見れば、日本の司法制度の改革点は明白である。

※付言しておくと、戦前のファッショ体制下の自由度と責任の重さをよく見ておけば、現在の司法制度の危険さがよく認識できる。こういう司法のありようがファッショ体制=無責任体制を招来する。

(1)人間の自由度は、天皇との距離の近さに比例する⇒天皇に近いほど、言論の自由や行動の自由が拡大する。⇒換言すると、社会的地位が高い人間ほど自由がある。
(2)人間の責任の重さは、天皇との距離の遠いほど重くなる。⇒身分や位階の高い人間ほど、責任をとらないで済む。⇒換言すると、社会的身分や位階の低い人間の責任は厳しく追及される。

(A)(1)を積極的に推進するためには、支配側の自由度を最大限に拡大し、支配される側の自由度を最小限に抑え込む必要がある。その為には、支配される側(国民)が真実を知らないように誘導しなければならない。⇒言論の自由を最小限に抑え込む必要がある。⇒真実を語る人間を徹底的に排除する

(B)このありようを積極的に推進するために、司法(警察・検察)を支配下に置くことが、一番の近道。⇒権力に対する反対者に恐怖心を与える⇒そのための法制度整備が重要。⇒治安維持法⇒この種の言論弾圧は、一番やりやすいところから始まる。⇒一般国民が猜疑心を抱かないように、例えばテロリストに対する非人間的処置などを合法的に行う ⇒そこから、適用範囲を徐々に拡大する

(C)戦前の言論弾圧の進行過程⇒①非合法の左翼勢力(共産党など)とその関連団体の弾圧②合法的左翼勢力と自由主義的知識人の弾圧③体制内の非主流派などの弾圧④一部宗教勢力(天理教や創価学会や大本教など)の弾圧

この弾圧政策を具体的に実施し、それに正統性を付与するのが司法権力。その意味で、司法権力は国家権力そのものである。こう考えると、司法権力は、本質的に国民と相対立する傾向が強い。

戦後のGHQ改革で、「治安維持法」が廃止され、警察の民主化が推進された。いわゆる「おいこら」警官からの脱却である。この戦後警察のありようが、安倍内閣以来、顕著に変化している。今回の事件だけでなく、安倍政権誕生以来の自民党や閣僚などの不祥事対応、森友・加計学園問題、安倍友の山口某の伊藤詩織さんへの準強姦事件に対する警察の対応等々。

さらに内閣に都合の悪い状況がくると、芸能人などの薬物逮捕が繰り返され、メディア対応がそこに集中する。それにより、内閣の危機が軽減される。

【魚は頭から腐る】
政権の腐敗は、必ず司法関係の腐敗を伴う。司法関係の腐敗は、国民の遵法精神を低下させ、法治国家の根幹を腐らせる。

遵法精神の低下は、多くの不正行為を助長する。現在の日本の官僚機構のモラルの低下、統計資料の改竄、公文書の改竄だけでなく、公文書を作成しない。企業(それも大企業)の不正。詐欺的商法の横行。おれおれ詐欺の横行。まさに腐敗というより腐食列島日本と言わざるを得ない。

池袋事件は、はしなくも日本の抱え込んだ病理をあぶりだしていると読まなくてはならない。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
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