老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

枝野幸男と安倍晋三の演説会場に見るこの国の姿

2017-10-22 16:28:40 | 選挙
わたしの地方では最後まで見る事ができませんでしたが、動画で見る立憲民主党枝野代表と安倍晋三首相の演説会の雰囲気のあまりの落差に、この国の現状が見事に反映されていたように思えます。

選挙戦最終日、安倍首相は東京都議選のリベンジと称して秋葉原で演説を行いました。機動隊に周囲を守られ(バス4台分だそうだ)、日の丸や安倍首相支持のプラカードを掲げた支持者に囲まれたお立ち台での演説でした。プラカードや日の丸を掲げた支持者と一般聴衆の間には相当の間隔があり、あれではほとんど演説内容を聞き取れないだろうと思われます。もし、わたしが現場にいたなら、さっさと立ち去ります。
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/2c4066ec739605eff1e1bd7053360416

選挙戦序盤、ヤジを恐れた首相は、支持者だけで固めた聴衆の中で演説をしていました。要するに、安倍首相は、自分と異なる見解を持つ国民が怖いのです。野次が怖いとはそういう事です。元教師の経験から言わせてもらうと、問題児の中に、地球が自分を中心に回っていないと気に入らず、とにかく周りから「よいしょ」してもらわなければ、何にもできない子供がいましたが、それとダブって見えます。

これは民主主義国家の首相としては考えられない振る舞いです。なぜなら、民主主義とは「多様性との共存」を前提にした制度なのです。その「多様性」が認められず、自分と異なる見解を持つ国民を締め出すようでは、もはや民主主義国家の首相とは言えません。大人なら、その程度の事は誰にでも分かります。

しかし、安倍首相は、「多様性との共存」を拒否する道を選びました。安倍首相は、民主主義を拒否したのと同じなのです。

安倍首相が改憲で何を目指しているか分かりませんが、上の秋葉原の異様な雰囲気を見れば、彼の取り巻きどもの感性は一目瞭然です。「リテラ」に書かれている危惧が杞憂であることを祈りますが、どうもそうではないように思います。
https://news.infoseek.co.jp/article/litera_6965/

そして、最も怖いのは、そのような異様な振る舞いをする人々が警察権力に守られている、という事実です。警察権力とは国家権力そのものなのです。これが「日常化」したらどうなるのか。普通の想像力を持っていれば、誰にでも理解できます。安倍首相の秋葉原での演説会場の雰囲気は、それを予感させます。

それに比べ、枝野立憲民主党代表の雨の新宿の演説会場の雰囲気の人間臭いこと。人の熱気や心意気が溢れています。参加者一人一人の思いが感じられます。「人間て、いいな」と思わせる雰囲気でした。雨もまたよし。熱気に満ち溢れた顔や心を気持ちよく冷やしてくれます。
http://www.asyura2.com/17/senkyo234/msg/486.html

選挙戦を通じて枝野代表の演説スタイルは、従来の日本の政治家の演説スタイルとは大きく異なっていた。車や高く組まれた演台などの上から演説をするスタイルを捨て、リンゴ箱程度の低い足場の上で、四方八方を聴衆に囲まれて演説をするスタイルを選択しました。

日本の政治家で、このような演説スタイルを行う人はごく稀で、きわめて特異なスタイルです。しかし、枝野代表のスローガン「下からの民主主義」には、きわめてふさわしいスタイルでした。立憲民主党の支持の広がりには、枝野代表の演説スタイルは大きな影響力を与えたはずです。

単純に安倍首相の演説会場と枝野代表の演説会場を比較すれば、その雰囲気の違いは一目瞭然です。安倍首相の演説会場の雰囲気は、オーウェルの「1984」を彷彿とさせる近未来の日本の姿を暗示させ、心が冷え冷えして、暗くなります。

それに引き比べ、枝野代表の演説会場に充満しているのは、人々の解放された心と熱情、真摯な思い、真剣に考える姿等々。未来への希望と社会への信頼、人間の素晴らしさを感じさせる演説であり、会場の雰囲気でした。

この二つの対照的な演説会場の雰囲気の違いこそ、わたしたちが選ぶべき未来の社会の象徴的な姿なのです。その意味で今回の選挙は、日本の決定的な「分水嶺」になることは確実だと思います。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント (1)
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