前原外相の辞任によって政局はますます混迷の度を深めていますが、ここでちょっと江戸時代に還って天明の大飢饉(1782~1788年)により困窮した人々の救済を、本所吉祥院観音天に訴えた30歳の白河藩主松平定信の納めた願文を見てみましょう。
「天明8年正月2日松平越中守義一命を懸け奉り心願仕り候 当年米穀融通よろしく格別の高値これなく下々難儀仕らず安堵静謐仕り並びに金穀ご融通よろしくご威信ご仁恵下々に行き届き候ように越中守一命は勿論妻子の一命にも懸け奉り候て必死に心願奉り候事 右の条々相調わず下々困窮ご威信ご仁徳行き届かず人々解体仕り候義に御座候はば、只今の内に私死去仕り候ように願い奉り候 以下略」
大雑把に要約すると、定信は飢餓に苦しむ領民を助ける為に、自身のみならず妻子の命をかけて観音天に救いを求め、願いが叶わなければ即座に死なせてほしいといっています。
勿論彼は神仏に頼るだけではなく、率先して倹約に努め食糧救済措置も迅速に行ったため領内からは一人の餓死者も出ず、その手腕を買われて老中首座となって寛政の改革を実行しました。
田沼意次の重商主義とは対極の節倹を旨としたその改革は必ずしも成功とはいえないけれど、その願文にこめられた気迫と覚悟はすさまじいものがあります。
さて現代に戻って自民党にも民主党にも絶望した人々はともすれば英雄を求める。しかしそこには危険を伴う事を宮部みゆきさんはジュブナイルファンタジーの形をとって2年前にいち早く警告しています。民主主義とはなんとも難しいものです。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
成木清麿
「天明8年正月2日松平越中守義一命を懸け奉り心願仕り候 当年米穀融通よろしく格別の高値これなく下々難儀仕らず安堵静謐仕り並びに金穀ご融通よろしくご威信ご仁恵下々に行き届き候ように越中守一命は勿論妻子の一命にも懸け奉り候て必死に心願奉り候事 右の条々相調わず下々困窮ご威信ご仁徳行き届かず人々解体仕り候義に御座候はば、只今の内に私死去仕り候ように願い奉り候 以下略」
大雑把に要約すると、定信は飢餓に苦しむ領民を助ける為に、自身のみならず妻子の命をかけて観音天に救いを求め、願いが叶わなければ即座に死なせてほしいといっています。
勿論彼は神仏に頼るだけではなく、率先して倹約に努め食糧救済措置も迅速に行ったため領内からは一人の餓死者も出ず、その手腕を買われて老中首座となって寛政の改革を実行しました。
田沼意次の重商主義とは対極の節倹を旨としたその改革は必ずしも成功とはいえないけれど、その願文にこめられた気迫と覚悟はすさまじいものがあります。
さて現代に戻って自民党にも民主党にも絶望した人々はともすれば英雄を求める。しかしそこには危険を伴う事を宮部みゆきさんはジュブナイルファンタジーの形をとって2年前にいち早く警告しています。民主主義とはなんとも難しいものです。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
成木清麿