3月4日に小沢氏の公設秘書が逮捕されてから約2ヶ月間、各メディアは連日デタラメな報道で小沢民主党代表を貶めて世論を操作し、次は小沢批判を誘導するような世論調査で、小沢氏と民主党の支持率急降下の報道を繰り返し、遂に小沢氏を民主党代表から引きずり降ろし目的を達成した。これら一連の流れは、裏でメディアの報道談合が行われ、一糸乱れぬ大政翼賛的な報道に見えた。
そんな中、小沢辞任発表後の5月13日の朝日新聞朝刊のオピニオン欄「小沢一郎とは」への立花隆氏(評論家)と元同志社大教授浜矩子氏(現三菱総研調査部長)の寄稿は、朝日新聞の小沢降ろしキャンペーンを総括するような内容で、実際に小沢降ろしの計画があったのではないかと思わせる記事であった。
その寄稿文で浜矩子氏はいみじくも『本稿の寄稿依頼を頂戴した際、本紙から「小沢一郎は希代のヒール(卑劣漢・ろくでなし)だったのか、名総理の可能性を秘めたヒーローの器だったのだろうか」という問題提起を頂いた』と述べている。
一方立花隆氏は、小沢氏秘書が逮捕されてから一度小沢氏の金権体質を批判する対談記事で登場しており、今回の投稿内容はその時の二番煎じで全く新鮮味のないものであった。このように浜氏が暴露した投稿テーマと短期間に二度も立花氏を登場させた編集方針に、約2ヶ月間執拗に続いた朝日の小沢批判の報道を重ね合わせれば、朝日新聞の恣意的な小沢つぶしが透けて見えるようである。
今回立花氏の寄稿は、読売新聞とNHKの最新の世論調査を真に受けて、それが小沢辞任の引き金だろうと推察している。ある意味それはその通りで、各メディアはこれまでデタラメ記事で小沢批判を繰り返してきたが、それに乗せられた世論調査の結果に立花氏が迎合し、朝日の小沢降ろしに乗せられた姿は噴飯ものである。
因みに朝日新聞は4月24日に一面全段を割いて「世論調査の質が問われる」と題して「世論調査のいい加減さ」についての対談特集記事を載せ、その内容を自ら認めている。立花氏はこの特集記事を読まれていないのであろうか。
また立花氏は寄稿の中で、小沢一郎を田中角栄や金丸信と同列に置いて批判しているが、田中・金丸両氏は自民党の55年体制の中興の祖であり、政官業の利権政治の構築・維持者であって、またその政治資金は殆どが表に出ない闇献金であり、使途は派閥維持拡大と総裁選の多数派工作に費やされたのである。
一方小沢氏は、自民党から政権を奪取して自民党政治を変えようと自民党を脱党し、新党のスクラップアンドビルトを繰り返し、現在は民主党に合流し、小泉三位一体改革で疲弊した地方都市を行脚し、地方の自民党参議員の議席を奪い与野党逆転に大貢献したことは周知の事実であり、政治資金の使途も地方行脚等に利用されたことは推して知るべしである。
そして自民党から奪取した政治献金システムから得た政治献金は、規正法に準じて総務省に収支報告を届けてあると自ら明言している。それでもメディアが小沢氏の説明不足を言うのであれば、総務省に情報開示と不備はないのか説明を求め、それでも納得がゆかぬならば、そのようなザル法を作った自民党にも責任があるというべきである。
以上からでも小沢一郎と田中・金丸との違いは一目瞭然であり、立花氏は寄稿で「小沢は田中と金丸を政治家のモデルとして自己を形成してしまったため、彼らの政治スタイルがが骨の髄までしみついている」と評しているが、それは単なるな小沢氏のイメージに過ぎない。
小沢氏は長らく政権与党についておらず、立法権力も予算編成権も持ち合わせておらず、田中・金丸両氏の真似をしようにも出来る環境にない。むしろ今の自民党議員の方が立法権力と予算を握っている分、田中・金丸式の政治手法を踏襲しているといえるのではないだろうか。
また、広く「政治と金」の問題を取り上げるのであれば、財界から自民党への献金額は民主党の比ではないであろう。それなのに自民党や自民党議員への献金を棚上げしにて、小沢批判しかしないのであれば、「木を見て森を観ず」の献金批判であり、また本末転倒で不公平である。これでは政権与党に与する自民党支持者の寄稿であり、高名な評論家の寄稿としては寂しい限りである。
立花隆氏といえば、一昔前に田中角栄の金権体質批判が文芸春秋で取り上げられ、それが偶然ロッキード事件を予言したような形になり脚光を浴びたが、今回の朝日新聞への一連の記事や寄稿を読めば、昔の鋭い感性もいささか切れ味が鈍くなり、色あせたような感じがする。そもそもいつから権力側に立つような評論家に変節されたのか、朝日新聞とともに愛読者を失望させてしまったのではなかろうか。
「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
厚顔の美少年