魔人の鉞

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司馬史観を卒業したい

2014-11-20 16:57:16 | 日本史
日本国内で高い人気を持つ司馬史観を冷静に批判した1冊、「司馬遼太郎の歴史観」 (中塚明、
高文研、2009年)。

司馬氏は、明治の日本は良かったが昭和になって驕り、道を踏みはずした、と考えています。
「(日露戦争では) 日本は (中略) 前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し、
戦場として借りている中国側への配慮を十分にし、中国人の土地財産をおかすことなく、さら
にはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した。」 (38p~「坂の上の雲」 文春文庫七 207-208p)

しかしすでに日清戦争の時、わが日本は国際法もなにも無視した作戦を平然と行っていました。
清国との開戦の2日前に朝鮮王宮を制圧し、清国軍を追い出すことを国王の要請と見せかけて開戦
の名分にしたのでした。(90-92P)
著者はその事情を詳細に記した 「明治二七八年日清戦史 第二冊 決定草案」 というものが福島
県立図書館に所蔵されているのを発見したそうです。これは公刊戦史とは似ても似つかず、日本が
何が何でも開戦の名目を作ろうとしたことをあからさまに証明しているとのことです。(98-99P)

そして日露戦争にあたっては、韓国政府の中立宣言を無視し、旅順への奇襲攻撃の2日前にソウルを
軍事占領しました。対露宣戦布告は、旅順への奇襲攻撃のさらに2日後です。(宣戦は当時必ずしも
ルールになっていませんでしたが。) 捕虜虐待・虐殺は樺太で実例があります。

その日露戦争の戦史についても、大山巌参謀総長名で 「日露戦史編纂要領」 という文書が出され、
日本にとって不都合なもの、以後も敵に知られたくない軍事機密に当たるものは書かないよう指示
されました。(140-147P) 司馬氏が日本軍の愚行の始まりと非難する、でたらめな公刊 「日露戦史」
は、こうしてつくられたわけですが、それは日清戦史に先例があるわけです。

何よりも重要なことは、司馬氏が、日清日露の戦争目的が最初から朝鮮の植民地化であり、その
独立や日本の自衛は名目にすぎなかったということを示す数々の歴史的事実を意図的に無視して
いることです。だから、「(韓国) 併合という愚劣なことが日露戦争のあとに起こるわけです」
などというピントはずれな言葉が出てくるのです。(司馬 「昭和という国家」 NHK出版、
1998年、37p) 
氏は日清戦争時の不法な王宮制圧や、その翌年の聞くもおぞましい閔妃虐殺事件、また日露戦争時
の違法なソウル占領などを書いていませんし、朝鮮民衆の反日蜂起などはまるで無視しています。
司馬氏がこれらを知らないはずがありません。
朝鮮や中国の民衆にあたえた被害・迫害について無知であり、彼らに蔑視感を持っていること、
それは日本人全体の弱点ですが、司馬氏の無知と蔑視は影響力が大きいので特に注意が必要です。

明治維新と日露戦争勝利が世界の被圧迫民族に希望を与えた世界史的事業だったことは誇りで
あり、明治は良かったというのは耳に心地よい。しかしそれは初めから周辺諸国民への差別・
蔑視を含むナショナリズムとともにあったことは確かです。明治は良かったが、昭和が間違った、
というような断絶論は誤りだし、そこからは何の反省も未来への展望も生まれないのではないか
と思います。
「坂の上の雲」 はあくまでも心地よいストーリーの小説に過ぎない。歴史書として祭り上げては
日本人のためにならないでしょう。
        (わが家で  2014年11月20日)
 
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