花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

天皇がお気に入りの開戦派・東條を選んだ?

2014年07月04日 12時36分32秒 | 本、HP制作、写真のアップ  
1942年大連に生まれ、2002年自動車会社を定年後大学で歴史学を学んだ著者が、近衛退陣から東條総理
への政権移行の謎を解き明かす、「対米戦争開戦と官僚」 (安井 淳、芙蓉書房出版 2006年)。
多くのことを教えられる、素晴らしい本です

平和主義者といわれる昭和天皇が主戦派として知られた東條に大命を下したのは歴史のひとつの謎と
なっています。著者は昭和天皇自身が東條に任せたかったのではないかと推定します。また、近衛は
優柔ではなく避戦の決意が固かった、と見ています。いずれも通説とは異なった見方ですが、丹念な
史料の読み込みと合理性ある推理でなかなかの説得力を持っています。

まず、近衛氏の辞表ですが、そこには東條陸軍大臣の反対のために政権を維持できないとハッキリ
書かれています。当時は首相に閣僚の任免権はなく、軍部大臣現役制もあり軍の了解がなければ内閣
は瓦解するほかありませんでした。しかし辞表にこのようにはっきりと事情を書くなどは異例という
べきでしょう。
いわく、「シナ事変の未だ解決せざる現在に於て、さらに前途の透見すべからざる大戦争にするが
ごときは、支那事変勃発以来重大なる責任を痛感しつつある臣文麿の到底忍びがたき所なり。」 
「臣は衷情を披歴して、東條陸軍大臣を説得すべく努力したり、之に対し陸軍大臣は・・・時期を
失せずこの際開戦を決意すべきことを主張して已まず。懇談四度に及びたるも、ついに同意せしむる
に至らず。」 (8-9p)

懇談四度はいわゆる荻窪会談などを指し、近衛が対米交渉続行を主張しましたが、東條がこれを拒否
しました。東條氏は
「日本では、統帥は国務の圏外に在る。総理が決心しても、統帥部との意見が合わなければ不可なり。」
(55p) と当時の正論を主張し譲らなかったのです。このため近衛が退陣して次期総理の奏薦になるわけ
です。

当時奏薦権は内大臣木戸候にありました。木戸は10月17日重臣会議を招集します。近衛はなぜかこれを
欠席しました。この重臣会議に関する史料で信憑性が高いと思われる 「木戸日記」 には、
「出席者から特別意見なく、木戸が東條陸相を主張したら反対論はなく、広田、安倍、原が賛成」 (149p)
してそのまま決定した、となっています。
しかし嶋田海軍大臣が巣鴨獄中で写し取ったといわれる 「木戸候手記」 (戦史叢書収録) には、若槻
礼次郎、岡田啓介らがかなり強く反対した経緯が詳細に書かれています。(150-155p)  木戸は東條で
押し切ってしまい、特に反対なしと虚偽を日記に書いたわけです。

木戸は東條を推薦したことについて、東京裁判の宣誓供述書で、「近衛辞任後の総理は東條しかないと
考えて近衛に相談したところ、近衛は賛成した。」 と供述しています。それどころか、木戸が 「11月」
付で日記に書いている、東條推薦の理由をほぼそのまま近衛が語った、と証言したそうです。(157-158p)
これでは近衛が指名後のやり方まで考えて東條を推薦したことになるが、これはどう考えてもおかしい、
と著者は言います。(私も、あのような辞表を出しておいて、数日で東條を信用できると思うなどはあり
えないと思う。近衛はのちに東條内閣打倒運動を展開し成功しています。)

木戸が 「11月」 付で日記に書いている、東條でよいとした理由は、「陸軍を抑えられる東條」 に天皇
から2つの条件を付けることでした。

1つは、開戦をやむなしとする9月6日の御前会議決定の白紙還元の御諚です。ところが、会議のメンバー
で交代したのは交渉継続を主張した近衛と、開戦を渋った及川・豊田の海軍側だけで、東條ら主戦派だけ
が居残ってしまいました。形式的に再検討はしたものの、結論は覆えりませんでした。

2つ目は、陸海軍協調の御諚です。東條に対して、開戦に慎重な海軍のいうことをよく聞くようにして
ほしい、という意図だったようですが、協調せよと言われた海軍が逆に陸軍に譲歩することとなって開戦
に進んでしまいました。戦えない、とは言えない軍人に曖昧な言い方では逆効果だったわけです。お粗末
なやり方でした。もし天皇が本当に平和主義者なら、2つのご意向が覆されたときにもっと困惑していな
ければならないはずですが、そういう形跡は見当たりません。それどころか、開戦を決定した12月1日の
御前会議では、ご機嫌は麗しかったといわれています。

巣鴨釈放後の木戸の証言に、内大臣は「陛下の御信任さえあればその役目範囲には制限はないが、また
反対に天皇の御信任がなければ何の用事もなく、またそれでは内大臣は1日も勤まらない。」(138p) と
あるように、木戸が陛下の意に反することをしないのは絶対といっていい。また、昭和天皇独白録に、
東條をたいへん評価していることを告白しています。(165-167p)
木戸内府が独断で、強硬派として知られる東條を重臣会議に推薦して押し切ってしまう、などという
ことはありえず、東條にという天皇の内意があったと考えるのが自然であると著者は推定しています。

天皇が東條を信頼したのは、天皇自身が官僚的で几帳面な性格であり、東條が能吏でこまめに上奏したり
することが気に入ったらしい。残念ながら2人とも、チャーチルやスターリンやルーズベルトと比較すべく
もなかったということでしょう。それにしても当時の日本は各閣僚、陸軍、海軍がそれぞれ並列で天皇を
輔弼・輔翼するという体制ですから、とても天皇一人ではカバーしきれないほどのコントロールスパン
だったということです。
しかし、その仕組みに安住し、立憲制という名目に隠れて権勢をふるった天皇の責任は免れないと私は
思います。また天皇の近衛に対する、「確固たる信念と勇気とを欠いた」という評価は不当ですし、それ
が定説になっているのも残念なことで、死人に口なしという感を禁じえません。
        (わが家で  2014年7月4日)
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4 コメント

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ありがとうございました (安井 淳)
2014-07-04 17:55:51
わたしの主張したい内容が、その通りに書かれています。
こんなにキチンと理解していただけたことは、はじめてです。光栄です。
ありがとうございました。
尚その後、昨年十一月、「太平洋戦争開戦過程の研究」と題して、今度は学術書の形態で上梓しました。すばらしい理解力をお持ちのあなたに、ぜひ読んでいただきたいものです。
安井 淳さま (rocky)
2014-07-06 06:55:11
たいへんな労作と感じました。
私は戦前の昭和天皇について、平和主義者とか立憲君主で無力だった、とかいう通説に疑問を持っていました。
安井様の研究はとても参考になりました。

新著もぜひ読んでみたいと思います。
Rockyさま (安井 淳)
2014-07-08 09:01:33
早速のお返事、ありがとうございます。
前著と違い学術書の形をとったためと頁数が多いため、高額となっております。公共の図書館か大学の図書館で借りてみていただければと幸いです。
埼玉県ですと、県立図書館にあります。よろしく、お願いします。
安井 淳さま (rocky)
2014-07-10 05:16:54
ありがとうございます。
検索したら、いつも使っている上尾市とさいたま市の図書館にはありませんでした。
国会図書館まで行くのはちょっと大変と思いましたが、県立図書館ならなんとかなります。

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