rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

成長したダミ

2017-02-14 15:08:15 | 


具合もすっかりよくなったので、そうするとしたいこと、しなくちゃいけないことが山とある中から、無理しないようにこなしていく。
カップ類やまな板と布巾の漂白殺菌、かつてはアトリエ今は子供たちの集う場所の掃除、ご無沙汰している親しい人への電話、猫たちの水のみ場となったメダカの水槽へ新しい水の注水、そして心に余裕を取り戻すためのカメラ遊び。
なのに、助六はどこぞへでかけていてダミしかいない。
まあいいさ、元気に育ったダミの写真もいいものだ。
助六がいなくて退屈なのだろう、ダミは玄関を開けた私を待ち構えていた。
なんというか、私も自称猫族、素直にダミの相手はしない、まずはブルーベリーやミモザの様子を見に畑へ向かう。
ゆっくりと新芽の具合を確認すれば、倒した柿木を平均台のように遊びながらダミはじりじりと私との距離をつめてくる
その様子が面白くてカメラを構えとろうとするたび、ダミは急に動きを早めカメラの目の前にやって来る。
何とかいい絵を撮りたい私は、春草の柿木へダミを誘導しようとして、柿木の幹とトントンとたたいた。
目論見通りダミは柿ノ木に飛び乗り、最高のポージング。
さあ、御覧あれ、結構な猫に育ったダミを。
岩合さんよろしくダミをほめながら、シャッターをすかさず切って、いい出来映えのを選び出す。
その後おまけに、気分を良くしたダミが、アップで鳴き顔を撮らせてくれた。
こうしてダミはなにやら満足したようで、梅の花を撮るため庭をうろうろする私の後を追ってはこなかった。

それにしても、通常の休みではなかなか得られないゆったりとした時間を、インフルエンザがもたらすなんて、本当に皮肉だと思う一日だった。








皮肉な肉じゃが

2017-02-13 21:59:58 | つぶやき&ぼやき
夕飯のおかずに、肉じゃがを作った。
おそらく1年ぶりに。
その訳は、おかずに煮物が登場するのを喜ばない子供たちの意見を知って、どうせ作るならば食べ残さないものを作りたいのと、煮物は手間と時間がかかるということ。
子供の言いなりを良しとしたくないのはあったけれども、食べてなんぼ、そちらを優先することにしたのだ。
果てさて、今回1年ぶりに肉じゃがを作ってみた一番のきっかけは、私自身がインフルエンザに罹って5日間休まねばならなくなり、しかも早々に解熱したおかげで体力気力ともに余裕ができたことにある。
そして当の肉じゃがは、好評を博し、大量に作ったはずが明日の朝食に間に合うかどうかといった具合だ。
なんとも皮肉なものだ、当たり前でなくなると、こうも人の気持ちは変わるものなのだろうか。
ならば、明後日あたりには、これも1年ぶりの豚バラと大根の煮物でも作ろうか。



2月9日木曜日、雪のち雨

2017-02-09 22:21:05 | 日記
今朝6時を回ったあたりから、雪が降り出しました。
小さい人はその様子を見て大はしゃぎです。
学校へ行ったなら、雪遊びをするのだと意気込んでいます。
学校へ向かう間ずっと、友達と雪合戦したいと言っています。
自動車から降りて校舎へ向かうその足取りは、楽しげにスキップをしていました。

それから自分の職場について見たものは、カバンを教室へ置くのももどかしく雪遊びの興じる子供たちの姿でした。
滅多に降らない雪のためなのでしょう、落ち着いて勉強に向かうのはなかなか難しいようでした。
雨に変わってほとんどの雪が解けてしまっても、かろうじて残っている雪を見つけては、雪遊びをしようとする子供の姿もありました。

はてさて、小さい人は願いがかなったのでしょうか。

仕事帰りに小さい人を迎えにいったならば、寒そうな顔つきで車に乗り込んできました。
願い通りに雪合戦をしたけれども、靴はびしょぬれになり、首から服の中に雪球が入り込んで体の心から凍えてしまったようです。
なんとも年の割には幼すぎる行いに、親としてはいささか頭の痛いことです。
どうやら雪が降って喜べるかそうでないかは、大人と子供を分かつ指標といえそうです。

明日の朝は、路面凍結となるかもしれません。
どうぞ皆様、お気をつけください。



冬、夜の音

2017-02-05 00:32:41 | 随想たち
夜中に、窓越しに伝わる冷気と遠くを走る車の音が、昔の記憶を蘇らせる。
寝台列車に揺られて北へ向かったときのこと。
初めてのヨーロッパで、フランスからイタリアへ行く夜行列車のこと。
懐かしいような、寂しいような、楽しいような、怖いような。
不思議なものだ、ちょっとしたことがきっかけとなって、奥にしまい込まれ忘れていた記憶を、目の前にぽんと取り出すのだ。
人は、今だけを生きているのではないと感じる。
隣り合う未来と、突然現れる過去たちの記憶、3つの時を同時に生きる。
何も消し去ることはできなく、変えられなく、すべて受け入れて自分なのだと思う、冬の深夜だ。