rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

家族のいる庭は、いいもんだ

2014-06-25 11:55:05 | ねこ


今日のねこは、歯槽膿漏で垂れ流されるよだれによって固まってしまったあごの下の毛をおばあちゃんにきれいに刈ってもらい、さっぱり気分がいい。
家族が庭にいると安心できる。
だから、家の見回りだってしちゃう。
やっぱりアタシ、幸せなねこなんだと思うの。


愛情を量るねこ、手玉に取られる私たち

2014-06-24 21:29:50 | ねこ
「ねこが昨夜からいない、死んじゃったかもしれない」と、義父が夕方庭をうろうろとねこを探している。
私も、「ねこー、ねこー、ごあん食べないのぉー?」と声を張り上げて探してみる。
でも、ねこはどこからも現れない。
夕食の支度の途中だった私は、台所へ戻って作業の続きをする。
それから間もなく、家人が玄関で「ねこがいたよー」と叫んだ。
急いで玄関へ向かうと、ねこは「何事か?」と他人事のように何食わぬ顔で「にゃー、にゃー」と鳴き、ご飯をねだる。
家人の話によると、ねこは玄関先で家の中を窺いながら中へ入ろうか迷っていたらしい。
そこへやってきた義父は、ねこがいたことにほっとし、屋敷じゅうくまなく探しても見当たらなかったねこがどこに隠れていたのだろうといぶかしがっていた。
昨夜から何も食べていなかったねこは腹ペコで、餌を強くねだって鳴くのであげていると、義父がニコニコしながら「美味しい特別な餌もあるんだよ」とパウチパックの小袋を提げてきたけれど、一回に多くを食べないねこの夜食にするのがいいだろうということになる。
そして食べ終わったねこは、玄関へ向かって悠然と歩き、玄関の中へ入るとちょっと悪賢そうな目つきで振り返る。
どうやら、みんながねこのことを心配してうろたえている姿がねこの出現で一転して歓喜したことをしてやったりと満足しているようなのだ。
なんとも、すっかりねこの手玉に取られている我が家族。
ねこも15年も生きていると、妖気を帯びてくるのだろうか?
それもまたよし、ねこがいるということが大事なことだから。

梅雨の晴れ間のモネ

2014-06-23 14:57:16 | アート


思いのほか爽やかに晴れて気持ちがいい。
このところ頭痛で悩まされているから、こんなことでも気分が違う。
おかげでちょっと休んでいたブログも、こうして書けるのだ。

今いるところからの眺めは、ハイトーンの緑の庭、影の部分も軽やかに明るい。
そこで思い浮かんだのは、モネの緑。
涼やかな初夏の風が吹き渡るイメージの絵がいいだろう。
このようなところを散歩できたなら、心も体も洗われて、清浄無垢な者へ生まれ変われそうだ。

メディアと世間を騒がせている東京都議会議員へのセクハラ野次への過剰反応と根深いジェンダー問題、集団的自衛権へのデモの報道がほぼスルーされていることへの危惧、TPPへの関心の薄まり、労働移民推進の動き、ほかにも多くの不安が時代の川を流れていっている。
癒してくれるものは、もう人ではないのかもしれない。
つかの間訪れる穏やかな自然の美しさだけが、拠り所となっていると思われることを感じた。
「世界の絶景」それに類似た出版物が書店に平積みされていた。
SNSの端を発するこの「世界の絶景」、自分もだいぶ前からフォローして美しい景色の画像を楽しんでいる。
あるいは、動物。
人の知恵も理想もあまり進歩はないけれど、心の闇はより深く暗くなっているのかもしれない。

だから、忘れるための、モネの緑。
実際の自然に触れられないのであれば、モネの絵を眺めようではないか。








どんどん生るよラズベリー、あるいは青春の鍵

2014-06-19 21:52:04 | 食べ物たち


このところの晴天が、我が家のラズベリーをすばらしいものにした。
きれいにみずみずしく熟したこの実を見て。
プチプチとした粒がかわいらしいでしょう。

初めて生のラズベリーにであったのは、パリのマルシェ。
野菜や果物を並べてある店先に、縁飾りの着いた紙の小箱に真っ赤な実が詰めて置かれている。
よく見ると、その実の真ん中にはぽっかりと穴が開いていて、とても不思議な感じがした。
そして、箱には手書きのラベルがついている。
”Framboise"、木苺のこと、英語ではRaspberry。
値段は、貧乏な遊学者には、とても手の出ないものだった。
そういえば、14区のデュプレックスの近くにラズベリー味専門のスウィーツ店があって、そのショーウィンドーを眺めては、どんな味がするのだろうと興味心身だったのを覚えている。
この魅力的な果実が、どんな風に生るのか、実そのものの味を知ったのはずっとあとのこと。
10年位前にとうとうラズベリーの苗を買い育てることができるようになった。
今では、増殖して大きなプランターに茂みとなって生えている。

ラズベリーは、私にとっていわば青春の鍵となる果実。
甘酸っぱくみずみずしいけれど、ほんの一時の輝かしい果実。
正確には、”フランボワーズ”と呼びたい。



じわじわジリリと暑かった

2014-06-17 22:49:38 | 日記
今朝の濃霧は、今日がまた暑くなるお告げだ。
晴天ではないけれど、薄雲越しに照りつける太陽は、あと一週間もすれば夏至だと言わんばかり。
おまけに湿度も高く、重苦しい暑さがのしかかる。
それでも、まだ盛夏ではないのだからとエアコンをつけず窓を開けて、歯医者に通うため車を走らせた。
30分くらいも走るとアスファルトがだいぶ熱を蓄えたとみえて、窓から吹き込む風が温風だ。
すると、じわじわと暑さが体力を削って、言いようのない睡魔が押し寄せてきた。
危険だ、集中力が途切れてくる。
もう無理だ、無駄な戦いはやめてエアコンをつけよう。
すると暑さと対抗しなくてよくなったからだろう、眠気は吹き飛んで運転に集中力が戻った。

中くらいの人が学校から帰ってきて、頭痛がするという。
「軽い熱中症になったのかもしれない。」
部活動と勉強の両立は、なかなか大変なようだ。
体力精神力ともにかなり張り詰めて疲れがたまってきているところへ、この暑さはてきめんだろう。

しかし、なんといってもまだ6月、夜になればそこそこ気温が下がり、すごしやすくなる。
今など、網戸越しに冷たいくらいの空気が吹き込んで、風の当たる首筋がキーンと冷えてしまった。
自然の涼しさは、エアコンで作り出す涼しさとは決定的に質が違う気がして、なおかつ体がよく休まる。
だから、今夜はよく眠れそうだ。
小さい人は、深く眠っている。
こういう時に英気を養はなくては、さらに暑くなる夏に負けてしまいそうだから。