rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

モグラ君、やたらと活発に

2013-12-24 22:39:47 | 生き物たち
しばらくおとなしかったモグラ君が、今月あたりから活発に庭の土を盛り上げている。
朝、庭に出てみると、根のしっかり張った芝から盛り上げた真新しい土の山が、点々と出来ている。
体長10センチほどの小さなモグラ君が、一晩で物凄い働きを見せる。
たしか以前にもモグラ君の熱心な働きで、家の周りの芝生に土の山が無数に築かれていたことがある。
3~4年前だったように記憶している。
義父が、モグラ君に家の盛土を崩されてはかなわないと、モグラを撃退する振動装置を家の周りに設置していた。
あまりに熱心に土を盛り上げるモグラ君は、ときどき猫につかまっていたこともあった。
時には、土手の脇で凍死していたことなども。
どうしてそんなにむきになって土を押し上げるのか。
ミミズが地表近くに集まってでもいるのだろうか。
そういえば、今朝、芝の上で凍っていたミミズを見かけた。
先週末の雨で乾ききった土が潤ったために、歓喜に我を忘れたか。
頑張っているモグラ君には気の毒だが、一晩で築いた土の山を見つけ次第踏み固める。
もぐら叩きのように。

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの豪華な世界、思い出と共に

2013-12-23 22:51:56 | アート

東方三博士の礼拝


The Coronation of the Virgin


Adoration of the Magi

15世紀のイタリアで活躍した国際ゴシック様式を代表する画家、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ。
北方の細密な画風の影響を強く受け、イタリアの優美さを黄金背景テンペラで表現した。
”東方三博士の礼拝”は、フィレンツェのウフィッツ美術館に収蔵されている。
30年近く前訪れたとき、くしくもクリスマス時期のフィレンツェで、 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にあるサン・ジョヴァンニ礼拝堂のあたりに赤い装束を身に纏って松明か蝋燭をもった隊列が、凍てつく夜に印象的だった。
まだ薄暗い朝、イタリアの美術館の短い開館時間を無駄にしまいと、石畳の道をウフィッツに向かって歩く。
美術館の入り口から程遠くないところに、ファブリアーノのその絵はあった。
きつくない照明に浮かび上がる、金で見事に装飾されたその絵は、ルネッサンス以前の中世の雰囲気を多くとどめる。
どこもここも緻密にびっしりと描き込まれてはいるが、息が詰まるというものではない。
中央の遠景に向かってジグザグに人々が描かれて、閉塞感を救っているからか。
その見事さにいつまでも見とれていたいけれど、ウフィッツの膨大な名画コレクションを思うと、そこで立ち止まるわけにもいかない。
名残り惜しみながら、先に進んだのを覚えている。
思い出を楽しむのは、年の瀬だからか。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、私の人生にしっかりと食い込んでいる画家の一人である。

遠くの山がひときわ鮮明に見える日

2013-12-22 23:10:32 | 旅先から
旅行なんていえるものではないけれど、生活圏からの離脱をそうと捉えればその定義に当てはまる。
西に向かって車は進む、右手には二つの峰を頂いた万葉の山が青くくっきりと見える。
先日の雨が、大気中の塵を洗い流したおかげなのだろう。
サービス業や弱小企業以外に従事している人にとっては年末の三連休で、田舎の道路も交通量が多かった。
空は青くどこまでも広く、やや強い西風が道路わきの枯れ草をたなびかせる。
冷たい空気がひりひりと頬を撫で、今日が冬至だという事を皮膚感覚に教えてくれた。
クリスマス前のショッピングモールは、そこそこの人出で賑わっているけれど、大きな買い物袋をもっている姿はまばらだ。
もう少し風が弱ければ、先に見た山へ行ってみたかったのだが、誰しも風邪をひくわけにはいかないのでその姿を見るだけに留めた。
帰りは、リサイクルショップに寄り、子供たちは自分達の好きなものを自分の財布と相談しながら買っていた。
気ままにところどころ寄り道しながら夕陽は雲を染める4時過ぎ、生活圏の長い坂を車が上り始めた。
家人が、今日の大気の状態だと富士山が見えるかもしれないから注意してみるといいだろうと言う。
坂の中ほどで後ろを振り返ると、夕焼けを背にした富士山のシルエットがくっきりと見えた。
4年位前だったか、西風が強く吹き付ける大晦日に買出しのためその坂を下っていたとき、やはり夕陽に聳え立つ富士山を見たが、今時期にしばしばある絶景なのだ。
富士山は変わらずそこにあり、万葉の山も劣らず美しい。
来年もまた、今日のように家族が健康で山の美しい姿を見られることを願うばかり。

孤独なマンボウの時速50キロ

2013-12-19 11:17:12 | 随想たち
今日は冷たい雨が降っている。
しばらくぶりの雨は願ってもないこと。
先日、家が揺らぐほどの強風が吹いたとき、季節外れの土埃が舞って、掃除に追われていたから。
畑で作っている白菜なども乾燥で育ちが悪い。
しとしとと降る雨は、土によく浸透するから理想的なのだ。

雨の日は子供たちを学校へ送っていく。
その帰り道、交通量の少ない田舎の道を、時速50キロで車を走らせた。
細く見通しの悪いところは40キロ以下で慎重に走る。
歩道のある太い道を、時速50キロで走っていると、周りの景色がよく見える。
とりたてて風光明媚でなくとも、景色を見渡しながら進むのは、とても気持ちがいいものだ。
新緑の頃、樹に萌え出る若葉の色の違いを愛でながら、真夏の強い陽射しに照りつけられて出来る濃い影の形を楽しみながら、秋の紅葉をオレンジ色に染める夕陽の移ろい、冬枯れの枝が澄んだ青空を突き刺すように上を向く様、二つとして同じ美しさは存在しないその瞬間に出会える、田舎道ならではの豊かな時間。
スピードは、アクセルを踏めば誰でも簡単に出すことが出来る。
速度を楽しむのも自動車の醍醐味といえるけれど、ゆったりとした速度で走るのもまた良い。
ゆっくり時速50キロで走っていられるのならば、運転するのも悪くない。
どこまでもマイペース、人のスピードに合わせるのが苦手なのだ。
流れの中に滑り込み、周りに合わせながら泳ぐことが出来ない孤独なマンボウ。

また帰りの迎えも待っている。
ゆっくりと車を走らせながら、子供たちの元へ向かおうか。


肩肘張らない抜け感のあるテリー・ハザード

2013-12-18 21:42:35 | 音楽たちーいろいろ

Thierry Hazard - Le jerk


Thierry Hazard - Poupée psychédélique

60年代の雰囲気を30年後にリメイクしたフランスのミュージシャン、テリー・ハザード。
当時、ヒップホップやR&Bなどがミュージックシーンを占めていたなかで、新鮮に聴こえた。
もっとも、気張らない抜け感が好みであるから、今もよく聴いている。
最近、当時聴いていた音楽をキッチンでかけ流す。
おかげで楽しい気分で料理が出来るのだ。