rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

美しい緑の野菜

2012-11-18 12:15:24 | 食べ物たち

路地ものブロッコリー 16/11/2012

今、畑にはブロッコリーが大きく育って食べごろだ。
このブロッコリーは親戚の畑で採れたもの。
太陽の光をふんだんに浴び、雨の恵みを吸い込んで、風に吹かれながら育った野菜の味は、複雑で濃厚。
塩茹でして口に頬張ると、歯ごたえもよく、柔らかな甘みがひろがる。
大地の生命力をそのまま、自分の命に取り込むような感覚だ。
畑には、長ネギ、白菜、大根、小松菜、青梗菜、春菊などの冬野菜が強かに育っている。
冬の間、我が家の命をつないでくれる野菜たち。

冬野菜ではないけれど、近所の方に大ぶりの濃い緑色したズッキーニを頂いた。
寒い季節には、濃厚な生クリームでズッキーニのソースを作り、パスタにかけて食べる。
コクがあってとびきり美味しい。
家人と満足のうなり声を漏らしながら、至福のズッキーニパスタを食べたのであった。

食べるって、幸せなこと。
新鮮な野菜を食べると、自分の生命力が上がった気がする。
他の命を頂くのだもの、ありがたくきちんと使い切らなければいけない。
野菜の命と、それを育てた方たちに感謝して、しっかりと頂きます。


生クリーム版ズッキーニのクリームパスタ 16/11/2012

地中海に浮かぶマルタ共和国、猫の島

2012-11-17 11:32:15 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」シチリア島の南にある、小さな3つの島からなる国、マルタ共和国。
ゴゾ島・コミノ島・マルタ島の総面積は、東京23区の半分以下という小国ながら、青く透き通った美しい海と、蜂蜜色の建物が立ち並ぶ、ヨーロッパ有数のリゾート地として人気が高い。
コミノ島は、地中海で一番の美しい海がある。
入り江になった穏やかな海は、ブルーラグーンといわれ、透明度がとても高い。
”マルタの青い洞窟”ともいえるところがあり、海底の白い砂に光が差し込み、神秘的な青い世界が広がる。
この青い洞窟は、泳ぐこともでき、透き通る青の世界に浸れて気持ちよさそうだ。

マルタの歴史は古く、5500年以上前に建てられたジュガンティーヤ遺跡などの巨石で造られた遺跡が、アトランティス文明の痕跡かとも言われる高度な文明の栄えたことを今に伝える。
中世に、マルタ騎士団によって治められた以降、360以上の教会を有し、国民の95パーセント以上がカトリック信者となっている。
ゴゾ大聖堂には、ドームの内側に教会内部の続きがあるようなだまし絵が描かれ、教会をより高く大きく見せる工夫が施された。
また、マルタの教会は、ほかにもある工夫が仕掛けられている。
それは、正面の左右の鐘楼に、時計が取り付けられ、左右指し示す時間が違うよう設定しているのだ。
向かって右側が正しい時刻、左側が間違った時刻を示している。
その理由として、ミサに集まる信者たちを悪魔が襲わないように、悪魔を惑わすため2つの時刻を示す時計を付けたのだとか、魔除けの意味があるという。
しかし、それで騙されるなんて、なんとうっかり屋で気のいい悪魔なのだろう。
美しいマルタでは、悪魔も陰険にはなれないらしい。

海に囲まれたマルタのグルメ。
マルタの人は、タコが大好き。
タコのマリネにタコのパスタ、タコのシチュー。
”タコのシチュー”は、玉ねぎとタコをオリーブオイルで炒め、塩とコショーで下味をつけ、ジャガイモ、トマトペースト、白ワインで煮込んだもの。
パンに乗せて食べても美味しい。
”タコのパスタ”は、チリペッパーを効かせピリッと辛く、タコの旨味でタコ好きにはたまらない一品。
「マショック・ベーカリー」の”フティーラ”は、石賀まで焼くマルタ風ピザでマルタの名物。
”アンチョビとツナのフティーラ”は、薄い生地の上に、アンチョビ、ツナ、オリーブ、ジャガイモ、トマトを乗せてこんがりと焼いたもの。
”ヤギのチーズのフティーラ”は、一番人気で予約しないと売り切れるほど。
濃厚で塩味の効いたヤギのチーズをたっぷり生地でくるんで焼き上げる。
ヤギのチーズは、癖があるけれど食べてみたい。

マルタの特産物に、蜂蜜がある。
もともとマルタは、ギリシャ語で「メリタ」の意味の蜂蜜からきている。
その蜂蜜を使った”ハニーリング”は、黒砂糖と蜂蜜を練って作ったペーストをパン生地に入れ込み焼いたもの。
蜂蜜とワインを合わせた”ハニーワイン”も飲まれている。
また、リゾート地なので、蜂蜜を使ったリラクゼーションがある。
インドのアーユルヴェーダを手本とし、蜂蜜には、肌の保湿と再生効果があるとしてハーブ、ミルク、蜂蜜で作ったトリートメントでマッサージするのだ。
脳のマッサージ、シロダーラもしている。

マルタの伝統工芸に、鮮やかで複雑な模様が特徴のゴゾガラスがある。
ゴゾガラスは、違う色のガラスを重ねて色を出し模様を作るので、一般的ガラス製品よりだいぶ厚みがあるのだ。
雰囲気、ローマングラスの流れを汲んでいるように思えるのは、その厚ぼったいフォルムのせいかもしれない。

マルタには、たくさんの猫が棲んでいる。
特に、マルタ猫というのは、長い耳が特徴。
島という特性もあってか、昔に連れてこられた猫、たぶんアビシニアンあたりのオリジナルな形質を受け継いでいるのだろうと想像する。
猫の姿からも、何千年にも渡った人類の軌跡を夢想して、時の旅人になれそう。

美味しい食べ物、美しい自然、蜂蜜色の建物、大好きな猫があるマルタ。
見ている間一時マルタの住人になれ、そして本当に住んでみたいと思った今日の番組であった。
海に浮かぶ地上の楽園マルタ、悪魔も骨抜きになるこのすばらしい場所ならば、ここに生きているだけで至福の人生を送れそうな気分だ。







光と影の戯れる庭、 冬の楽しみ

2012-11-15 11:31:20 | 植物たち

影絵劇場 14/11/2012


冬に添える花 14/11/2012

冬の光は、素敵な影絵アーティスト。
日ごとに様変わりする鉢植えの植物たちが、影絵の役者たち。
ほんの数メートルだけれども、この空間が劇場になる。
ここを太陽が照らす半日ずっと見ていて飽きない。
時折スペシャルゲストとしてねこが登場する。
まれに小鳥の場合もあるが。
ねこは、通り過ぎることもあれば、縁側の端で不動の役を演じることもある。
そうでないときは、舞台端で寝ころび出番を待つふりをしている。
劇場には、花はなくてはならないもの。
そうだ、冬を引き立たせるゴージャスなワインレッドのビオラを添えよう。
温かみのある光に照らされた花は、満面の笑みを浮かべて客を迎えるだろう。
プライベートなこの影絵劇場は、どなたも訪れることは出来ないが、注意してあたりを見渡せばきっと見つかるはず。
もしも、毎日通りかかるところであれば、日毎に変わる出し物に満足できること請け合い。
明日を楽しみにする立派な理由にもなる。
それから大切なことをお伝えしよう、影絵劇場を見出し楽しむ心、それが唯一の入場券であることを忘れずに!


寝ころぶねこ 14/11/2012

どちらかといえば大人たちが感傷的になる、「ヒューゴの不思議な発明」

2012-11-14 16:03:24 | 映画
マーティン・スコセッシ監督「ヒューゴの不思議な発明」を、家族で観た。
映像美に凝った、1930年代のノスタルジックなパリを温かなセピア調で描いている。
黒髪にコバルトブルーの瞳を持つ少年ヒューゴは、この世界に迷い込んだ天使のよう。
ヒューゴは、人知れず壁の中で、時計のネジを巻いて油を差し、今は亡き父との唯一の絆である機械仕掛けの人形の修理をする。
やがてそれがきっかけとでも言うように、小さな歯車が動き出し、大きなうねりとなって、ぎこちなく頑なになった人の心を再び立ち上がらせるようになるのだ。

中盤過ぎまでほとんど進展しない物語に、小さい人はすっかり飽きてしまった。
ところが、後半になるあたりから、物語は急にスピードを上げ進んでいく。
あたかも、小さなネジでぜんまいを巻き上げ、その動力が大きな歯車へと伝わり、順に小さくなっていく歯車に動きが移っていくように。
ヒューゴは言う、「どんな機械でも役目を持って生まれてきている。壊れたままなんてかわいそう。その機械が動けなくなったら修理するのが僕の役目。おとうさんもそうしてきたから。」
彼の真摯な姿勢が、やがて彼を取り囲む人々の強張り失くした自信を蘇らせ、人生の孤児院から救い出すことになる。
中くらいの人は、最後まで見ていたが、難しいといっていた。
それもそのはず、まだ人生を踏み出したばかりで、彼の前には選び取れる未来がたくさんあるのだ。
人生80年まで生きられるとして、その半ばを過ぎた大人たちにとっては、じんと切なすぎるものがあった。

この映画に登場する第二の主人公で実在の人物映画作家ジョルジュ・メリエスがいる。
しばしば映画の中に流れる、彼の代表作「月世界旅行」は、すばらしいエンターテイメントであり、芸術作品でもある。
映画の黎明期の溢れんばかりの希望に満ちたこの映画を、いつかじっくりと観てみたい。

30年後、人生半ばを過ぎた中くらいの人が、「ヒューゴ・・・」を再び観ることがあったなら、どう感じるのであろうか。
あのときの両親の複雑な心境を思い出して、苦笑いするのかもしれない。






何気ない身の回りの景色を美しく思う気持ちは

2012-11-13 15:46:39 | 随想たち
小さい人の下校を見守るために、毎日車で併走している。
といっても、自転車と自動車の速度は違うので、ポイントごとに止まって見ているのだ。
今は、夕日があたりを照らす具合だから、天気の良いときは、木々や刈り取られた田んぼなどにオレンジ色の光が照り付けている。
日ごとに変わる光の強さと角度が、同じ景色でも見飽きないものにしてくれる。
何の変哲のない、田舎の田畑に雑木の生えた小高い丘だけれど、心がじんとするくらい美しい。
小さい人も、自転車をこぎながら、周りの景色に目を向けている。
時々、こちらを向いて、「きれいだよ」と話しかける。
些細なことだが、感動する心を認めてうれしくなるのだ。

きのう、夕方もだいぶ遅く、ほとんど日の光が消えかかる頃に、中くらいの人がカメラを取りにやってきた。
外の田畑に靄が層になって立ち込めているところを、写したいのだという。
コンデジでは荷が重いと思ったが、その気持ちを汲んでカメラを渡した。
たしかに、地上1メートルあたりに帯状に漂う靄を、窓から見えて知っていた。
幻想的で美しいのだが、私のP50では無理と諦めていたのだ。
そうこう思っているうちに、中くらいの人が戻ってきた。
結果は、予想通り。
でも、靄の立ち込める景色を美しいと思ったその気持ちは、とてもいい。

小さい人も中くらいの人も、一生、この何気ない身の回りの美しさを感じる気持ちを失わないで欲しいものだ。
いたるところに散らばって無造作に輝きを放つ美を、感知できる心の繊細さと余裕を持ち続けることが出来れば、世界は豊かになっていくのではないかと希望を抱き夢見ている。
さまざまなものの価値を正当に見出し、人間本位ではない新たな未来が開ける萌芽は、こんなところにあるのではないだろうか。