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犬養道子「こころの座標軸」、”善い種子”は神からの公平なプレゼント

2011-06-27 00:50:46 | 本たち
前に、小川国夫の「弱い神」について書いた。
でもなんとなく後味の悪さと引っ掛かりが、抜けない棘のように心に刺さって、始終ちくちくいらいらと付きまとっている。
きっと、小川国夫の信じた神を、ある一辺で切り取り、決め付けてしまったせいなのだ。
そして、人間を救いのない悪しき者と、絶望しているせいなのだ。

犬養道子の「こころの座標軸」には、罪深き人間と愛すべき人間の両方をもってしても、なお希望を捨てない姿勢を貫こうという決心が書かれていた。
彼女は、それこそ歴史の渦の間近にいて、つぶさに人の愚行を見てきた。
長じてからは、世界各地で繰り広げられる紛争地域に出向き、凄惨な状況を肌で感じてきた。
いくら「神」を信じているとはいっても、この人間の浅ましくも愚かな仕業を見て、人間をまた人間を創造した神を捨てなかったものだと、その信仰心の強さに驚嘆する。
ただの情報だけでも、絶望しきっている自分は、なんと弱いことか!
彼女は、誰の心にも初めから備わっている”良心”を信じているから、これに全ての希望を見出していられる。
それは、「”善い種子”は、神からの公平なプレゼント」というのに、表されている。
その”善い種子”はとても小さくデリケートだが、生命力旺盛で、きちんとした環境で芽吹かせ大切の育てれば、素晴しい世界をつくり、その担い手になるはず。
だから、よい未来を望むならば、いまを生きる者たちが、この小さき種子を育まなければならないと。

キリスト教徒のカトリック信者でもある犬養道子は、教会で祈る。
でも、プロテスタントの教会でも、祈りを捧げる。
イスラム教徒や仏教徒も、尊重する。
目には見えなく、実証できない”神”に、尊い祈りを捧げるものたちを、愛しんでいる。
なぜなら、”神”は”愛”からだ。
善きも悪きも全てひっくるめて、”神”が創造した人間。
神は、大いなる何かなのだ。

古来、バビロニアのハンムラビ法典にある
      ・殺してはいけない
      ・父母をあしざまに扱ってなならない
      ・姦してはならない
      ・盗んではいけない
      ・嘘いつわりを言ってはいけない
      ・他人の持ちものを奪おうとしてはいけない・・・・・・
どこの誰にも共通することを、人類最古で最初の成文法として、石に刻み込ませた。
裏返せば、自分がされたら嫌なことの列記だ。
しかし、この単純素朴なことが、出来ないからこそ、忘れない為にもあえて言葉で刻み込まなくてはならなかった。
不完全な人間だからこそ。

梅棹忠夫の「光明」も、そんな不完全な人間が誰しも持っている小さな”善い種子””良心”の存在に、それを見出し期待したのだろう。

犬養道子も梅棹忠夫も、それから小川国夫も、小さな”善い種子”に神の存在と恩寵を見たのかもしれないと、自分の心に刺さった小さい棘が、絶望している心にささやいているのだろうか。
それが、冷たく冷え切っている心を刺激して、ちくちくいらいらと感じているのだ。

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