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寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」

2013-05-28 23:14:27 | 本たち
寺山修司が書いたものを、初めて読んだ。
そもそも、演劇や詩に暗い自分は、寺山修司の名と彼の主催した劇団"天井桟敷"についてほとんど知らないといっていい。
知人に寺山修司の熱烈なファンが一人いて、彼女が口にしたことと、美術雑誌の季刊「みずゑ」などのバックナンバーで触れたことをもとに、あるイメージを作っていたぐらいか。
そのイメージとは、猥雑とした昭和の新宿の込み入った飲み屋街とネオン、無頼漢、煙草と酒・・・か。
「書を捨てよ、町へ出よう」を読み、彼が青森の出身であり、毛色は違えど集団就職世代にも通じる故郷への恋慕と恩讐のない混じった怨念にも似てどろりとした重さが、少し自分が共感できる部分を持っていることに気が付いて、居心地の悪さを感じた。
自分にとって、北国の荒涼とした冬景色、異世界へと導くまるで三途の川の渡し舟のような青函連絡船の物悲しさ、これらは心にしっかりと食い込んで、死ぬまでフラッシュバックする光景だ。
彼の書くものからは、この光景が、競馬場の描写であっても、新宿などの酒場や今で言う風俗店の描写であっても、陽炎のように立ち昇ってくるのが見える。
それとも、単に自分の心象風景と、強引に重ね合わせているだけなのだろうか。

常に前を向け、過去を捨てよ、自立せよ、と謳っている。
理想とする母の居心地のいい守られた子宮回帰への根強い誘惑を断ち切り、個の視点を備えるのは、容易いことではない。
なぜなら、人生は希望に満ち、口に甘いものではないからだ。
自分は、彼からは、悲しみと絶望しか感じられない。
子宮回帰への願望の強さに抗って、停滞することを恐れ、心から血反吐を吐きながら転がり続けた痛ましい子供の叫びと思える。
かたや自分は、子宮回帰への願望すらなく、反発する足場さえないただの骸と成り果てようとしていから、救えたものではないのだ。
さても、時代の病と言えなくもないがな。

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