3210 あほうむ びぎゃn

暁に逝ってよしとはいわなんだ、千年の幽囚を経ておなぢみあおきひとし伝説が遂に復活!飲んだら詠むな、呼んだら呑むな

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年の初めのためしとて~アイデンティ・リアルを寿ぐ

2005-01-01 23:23:54 | Weblog
 あけまして、おめでとう。今年はなんだか素直に言える。
 というのも、去年の正月は癌で入院していて、抗ガン剤を打ちながらの年越しで、主治医が元旦に回診にやってきて、「来年のお正月は自宅で、迎えられるといいですね」などと、しごくのんびりした調子で言ったものだ。それが妙に心に染みて、死生一如なる言葉があるのかないのか、ふと思い浮かび、この時半分死を観念した。事実手術はこの一年で6回を重ね、するとおかしなもので、手術も段々緊張感が薄れてくるのが分かる。生きるか死ぬか、という博打からルーテーン・ワークに変わり、病院暮らしもなんかだれてくる気配があって、物事に関する執着もあまりなく、なんだか人生なげやりになったような気もしなくはない。
 それでも、昨年の秋も深まった頃ようやく1年ぶりに退院して家に帰って来たら、突然はらはらと涙が流れてきた。死から帰還したという思いがいっときにあふれてきたらしいが、鈍磨しているわが感性はそれをどこか他人事のように距離感をもって感じている部分がある。一年の入院生活で知らず知らずのうちに身につけた本能的な知恵とでもいおうか、恐怖をはじめとするあらゆる感情がなべて淡い。
 一年間、入院するということは世間との交渉をいったん全て断ち切るということで、一度跡絶えてみるとそれが通常の対人関係になってしまい、退院しても積極的に復旧しようとする気力もわかず、ずるずると実質的な世捨て人の境遇は今も変わっていない。訪れる人もなく、年賀状もほとんど来ない正月だったが、この静けさが逆に新鮮でないこともない。ともかく今年も生きられる限りは生きていこうと思う。
 誰かがこれを読むのか、読まないのかわからないが、もし読んでくれる人がいたら、素直にそのことを喜ぼうと思う。ありがとう。読んでくれて、嬉しいぜ。この一瞬だけでも僕らは友だちなんだから、と思おうじゃないか。
 
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5 コメント

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Unknown (kyoko)
2005-01-02 10:00:27
おだじまさんのところからきました。

よかったですね。

いい一年でありますように。
Unknown (ちゃんぽん)
2005-01-02 15:23:24
あけましておめでとうございます。



命の尊さを知らない私のほうが不幸であるようにおもいます。



お互いがんばりましょうれ!

あけまして (がんちゃん)
2005-01-04 15:26:53
おめでとうございます!

今年1年いい年でありますよ~に。
はらhらと腹が痛い (zzz)
2005-01-06 03:00:25
ひとしきり読みましたぜ。

あいかわらずのあおき節健在ですなあs



フレックス制電脳の友の会より

読ませていただきました。 (ランナー)
2005-01-08 05:55:41
一瞬だけ友達となったランナーです。

投げやりにだけはなってはいけませんよ。

と言ってみるテスト。

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