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愛人契約の小里泰弘議員-父君小里貞利氏の嘆きいくばくか!!

2019-12-19 23:24:56 | 「身の程」人生

 愛人契約の小里泰弘議員-父君小里貞利氏の嘆きいくばくか!!


 「週刊新潮」2019年12月19日号 によると,鹿児島県選出・自由民主党所属の衆議院議員の小里泰弘(おざと やすひろ)氏(61)が,愛人契約を結んでいた元上智大生から,“手切れ金”を請求されていた。女性が求めていた300万円に対し,小里代議士は180万円支払った。記事によると小里泰弘議員は,この女子以外にも愛人が2人いるとのこと。
 なお,代議士夫妻は地元の後援者に,「週刊誌に醜聞が載るが,女にハメられた」と電話で説明しているという。

 小里泰弘氏は,2世議員。父である衆議院議員(9期)を努めた小里貞利( さだとし)氏は,あちらの世界で息子さんの不祥事に心痛めておられることであろう。貞利氏は,国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり,「ミスター新幹線」の異名を取った。氏の業績を顕彰する「小里貞利先生胸像」が鹿児島中央駅西口構内に建てられているが,かたみの狭い思いをしておらるのではなかろうか。

 

 小里貞利氏は,自著『新世紀へ夢を運ぶ整備新幹線』(文藝春秋企画出版部発行・2007年)まえがきの冒頭で,新幹線への思いを次のように綴っておられる。

 私は九州南部、霧島連山の麓にある小さな村の農家に生まれた。昭和5年8月17日のことである。当時、近隣にはわずか3戸の民家が点在するだけで、電気、水道、電話などない。夜は石抽ランプで過ごしていた。ムササどやタヌキが家の周りに出没したものだ。
 母校の永水小学校まで片道4加もある山道を歩いて通った。同級生は16人しかいなかった。小学校を終えたのは第二次世界大戦のさなかである。旧制加治木中学(現・鹿児島県立加治木高校)へ入学することができた私は、自宅から最寄りの北永野田駅(日豊線)までの3・5kmを歩き、そこから汽車に50分間乗って、通学した。その頃、国鉄車両の座席は木製であったが、若い私には硬さなど気にならずむしろ快適で、田園風景が広がる窓を開け放ち、心地よい風を浴びながら読書にいそしんだものだ。
 北永野田駅は人里から離れていたが、近郷の人たちの心の拠りどころになっていた。駅長はじめ助役、職員あわせて8人くらいであったろう。私たち中学生にも大変親切にしてくれた。寒い朝など列車が来るまでの間、職員室にある石炭ストーブで暖をとらせてくれたものである。
 駅長は地域の名士でもあった。あの時代、山村僻地では鉄道が唯一の交通手段であり、駅はまさに村人たちの生活を支える場であった。 私にとって、この北永野田駅こそが鉄路への思いを募らせ、駆り立ててくれた原点であり、その後の政治活動を通じて整備新幹線建設運動に力を注ぐきっかけとなる。
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◇小里泰弘(おざと やすひろ)
 自由民主党所属の衆議院議員,自由民主党国土交通部会長。 自民党国会対策副委員長,衆議院農林水産委員会野党筆頭理事,自民党副幹事長,環境副大臣,内閣府副大臣,自民党大震災緊急対策プロジェクトチーム座長,衆議院財務金融委員長,農林水産副大臣を歴任。 
生年月日: 1958年9月29日 (年齢 61歳)
生まれ: 霧島町
学歴: 慶應義塾大学
                出典:ウィキペディア

◇小里貞利(おざと さだとし)
 1930年(昭和5年)8月17日 - 2016年(平成28年)12月14日)は,日本の政治家。衆議院議員(9期),自由民主党総務会長(第41代),自由民主党国会対策委員長(第39代),労働大臣(第55代),北海道開発庁長官(第61代)・沖縄開発庁長官(第30代),総務庁長官(第21代),震災対策担当大臣(初代),宏池会会長,鹿児島県議会議員(6期)を歴任した。国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり,「ミスター新幹線」の異名を取った。
                出典:ウィキペディア

 

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