記録の残ったものでは1981年はもう撮影記録がなかった。
飛んで翌年1982年3月と半年時間が経過していた。
1982年の6月には暫定の東北上越新幹線開業があり、北の大動脈にも大きな転機を
迎えた年であった。なので、ED16よりももっと被写体として勝るもの、目の前に迫った
ものが沢山あった。また1981年はDF50に力を入れ始めた頃で、いつでもいける
ED16よりも軍配は上がっていたのだろう。
記録によるとこの日は終日に近く撮影しておりフィルムも5本を記録している。
この日の撮影の中で特別な撮影記録があった。
同じフレームに3台のED16がインするというカット。
この頃あった御嶽駅での1コマ。両側の下り貨物2本の退避待ちの間を
上り貨物が通過してゆくもので、 問題は左の貨物の停車位置が悪いと
折角の3機のカマが横一列に並ばないというもの。この日は狙ったもので
偶然左の貨物の量数が少なく運よく横一列に近く並ぶことが出来、
お目当てのカットを頂くことができた。
これも当時の雑誌に掲載があり、是非真似てみたかったものだった。
列番などは一切不明。恐らく春の昼間のひと時、山間の駅の小さなドラマであった。
オマケでカマの部分撮影なども行っている。またこの頃は最後尾に必ず車掌車が
連結されていた。左の貨物も荷がないが、ヨ8000だけが連結されている。
今のような味気ない赤い丸看板だけという時代ではなかった。





1982年3月26日 御嶽駅
飛んで翌年1982年3月と半年時間が経過していた。
1982年の6月には暫定の東北上越新幹線開業があり、北の大動脈にも大きな転機を
迎えた年であった。なので、ED16よりももっと被写体として勝るもの、目の前に迫った
ものが沢山あった。また1981年はDF50に力を入れ始めた頃で、いつでもいける
ED16よりも軍配は上がっていたのだろう。
記録によるとこの日は終日に近く撮影しておりフィルムも5本を記録している。
この日の撮影の中で特別な撮影記録があった。
同じフレームに3台のED16がインするというカット。
この頃あった御嶽駅での1コマ。両側の下り貨物2本の退避待ちの間を
上り貨物が通過してゆくもので、 問題は左の貨物の停車位置が悪いと
折角の3機のカマが横一列に並ばないというもの。この日は狙ったもので
偶然左の貨物の量数が少なく運よく横一列に近く並ぶことが出来、
お目当てのカットを頂くことができた。
これも当時の雑誌に掲載があり、是非真似てみたかったものだった。
列番などは一切不明。恐らく春の昼間のひと時、山間の駅の小さなドラマであった。
オマケでカマの部分撮影なども行っている。またこの頃は最後尾に必ず車掌車が
連結されていた。左の貨物も荷がないが、ヨ8000だけが連結されている。
今のような味気ない赤い丸看板だけという時代ではなかった。





1982年3月26日 御嶽駅
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