

滝乃川学園跡の看板を見つけました。
滝乃川学園というのは、日本発の知的障害者施設。現在は、谷保にあるのですが、滝乃川という名は、設立時、北区滝野川に所在したことに由来するとのこと。
その場所はどこなのかなあと思い、調べてみたら、北区の教育委員会が建てた看板があるとのこと。しかし、明治通りの滝野川一丁目との記載しかなく、どこかなと思っていました。
実は、滝野川って結構広大。1丁目ということなので、かなり限定されますが。
グーグルマップで検索しても表示されていなかったので、明治通りを歩いてみました。
いったん、滝野川2丁目の交差点から飛鳥山方面まで歩いてみますが、見つかりません。滝野川1丁目の範囲を確認すると、交差点の先までありそうだというので、戻ってみると、見出し画像の看板が見つかりました。
看板から通りに面した建物を見ると鍼灸院の入ったビルが。でも看板の地図を見ると、もう少し奥の方に広がっていたのでしょうね。
看板は滝野川三丁目のバス停の近く、肉のハナマサの明治通りの対岸あたりです。
ちなみにこのブログで、グーグルマップを多用しているのは、gooのブログパーツの対象となっているからです。(Yahooやゼンリンはブログパーツの対象ではないようです。)googleでは、場所の通報を受け付けていますが、yahoo、ゼンリン、地理院地図ではそういった機能を見つけることはできませんでした。
原油価格と同じくらい、インターネットサービス関連での赤字が生じているとのことですけど、取り組みの姿勢からしてこりゃしょうがないねという印象です。
(参考)単発の旅行・地域カテゴリ記事
看板の内容を起こしておきます。
滝乃川学園跡
滝野川一 ー九〇地先
滝乃川学園は、日本で初め三ての知的障がい児のための教育福祉施設として滝野川七四三番地に設立されました。
学園創立者の石井亮一は、キリスト教精神に基づく知的障がい児の教育・研究に生涯をささげた教育者で、アメリ力で障がい児教育の見分を広め、こうした成果を自らの学園で実践し、妻の筆子と共に我が国の障がい児教育と福祉・女子教育に大きな足跡を残しました。
学園の起こりは、明治ニ四(一八九一)年に発生した濃尾地震で孤児となった女
児たちを引き取り、「孤女学院」を設立したことに始まります。この児童の中に知的障がいの子供がいたことから、障がい児の教区と福祉に力を注ぐことを決意したのです。翌年、滝野川の地に園舎を建て、明治三〇(一八九七)年に「滝乃川学園」と改称しました。「滝乃川学園」となってからは、従来からの孤女への教育と障がい児への教育を行うニつの教育部が設けられ、教員保母の養成も行われました。七・八百坪とされる敷地内には、生徒の居室にあたる建物や教室、祈りをささげる礼拝堂などが所在しました。
その後、園児の増加や設備の増設などの必要から明治三九(一九〇六)三、隣接
する巣鴨村に約四ニ〇〇坪の敷地を確保し移転しました。昭和三(一九ニ八)年にはさらに、現在の学園の所在する国立市谷保へと移転をしています。
平成二十五年三月 東京都北区教育委員会

