世間知らず

毎日のやられっぷりを書いていこうかなと・・・

創造すること

2006-05-30 | ニュース
何かを作り出せる人ってすごいといつも思います。
他の人と違う自分の何かをかたちにできる人、表現できる人はすばらしいと思います。

今回のニュースはこちら。

芸術選奨画家、盗作か 洋画の和田氏 文化庁調査 (産経新聞) - goo ニュース

今春の芸術選奨の美術部門で文部科学大臣賞を受賞した洋画家の和田義彦氏(66)が、受賞理由になった展覧会にイタリア人画家の作品と酷似した絵を多数出展していたことが二十八日、分かった。イタリア人画家は盗作だと指摘、和田氏は「一緒にデッサンしたためだ」と主張している。文化庁は、芸術選奨の取り消しも視野に事実関係を調査している。
(略)
 美術界では、他者の作品を一部借りる行為が珍しくなく、「盗作」かどうかの判断は難しいが、国内では動物写真を無断借用した画家が大学教員を辞めた例もある。美術評論家の瀬木慎一氏は「ほかの作家の作品を使う行為は多くの巨匠もしているが、これは全然違う次元の問題だ。なぜこんなことになるのか」と話している。


今朝のテレビでは、似た絵が最低でも12点あるとか言っていました。
テレビに写った二人の作品は本当によく似ていました。
たとえ今ニュースにならなかったとしても、近い将来、必ず誰かに指摘されたに違いありません。

何か新しいものを創造しようとするときには、何か新しい刺激が必要な場合があると思います。そしてそれが言葉や文章、絵画、彫刻や建築など『他の人の才能』であることも少なくないと思います。
もし、本当に和田氏の作品が盗作なんだとしたら、その『引用方法』を間違えてしまったのかもしれません。

単純な疑問なんですが、芸術家である二人が同じものを見たときに、同じように感じ、同じようなものを作り出してしまうことがどれほどの確率で起こり得るのでしょうか。
幼稚園児ですら、同じ花を見て、違う絵を描けると思うのだけど…。
『芸術作品』にするためには凡人にはわからない何か『きまり』があって、二人ともそれに忠実だったというだけなのかもしれませんが。

二人のどちらが本当のことを言っているのかはまだわかりません。
どのような結果になっても、どちらかの才能やキャリア、人生に傷がついてしまうことになるのが残念です。

模倣と創造についての考察 板倉聖宣氏、佐々木 豊氏の意見

このなかにあった佐々木氏の文章を引用します。

模倣、大いに結構。だれでも模倣から出発する。・・・似てしまうのだけれど、いつか必ず親離れする時期がくる。・・・ピカソは古典的名画からの構図盗りに徹して数々の傑作をものにしている。ヴァンダーリッヒにしても、デューラーやマネから構図を拝借した作品を数多く描いている。こうして模倣と剽窃の弊害を引き算で消していくと、どうしたって自分自身の独自性が浮かんできやしないだろうか。
誰にも何にも惚れ込めないことにこそ、絶望すべきだ。それは感受性の欠如に他ならないからだ。


泥棒美術学校

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作品の制作は報道によると『1981年から2004年』だそうで、この間20年以上。
もし、盗作だとしたら、ずいぶん長いこと『惚れ込み』過ぎたということなのでしょうか。
コメント
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