握り寿司(江戸前)は江戸時代の東京で、屋台として発達してきたそうな。
東京湾で取れた新鮮な魚介類を、おやつ代わりに、屋台で食べさせたのが始まりだそうな。
昔、大阪でお寿司を食べよう…と言うと、いわゆる、箱寿司のことだった。
今のような握り寿司は、あえて、「江戸前寿司」と言っていたように覚えている。
それが、昭和33年、東大阪で元禄寿司の1号店が回転寿司の元祖として登場。
今では、お寿司と言えば、握り寿司のこと。
箱寿司(いわゆる京樽のお寿司)の姿は、東京ではめっきり減ってしまった。
ご多分に漏れず、父は握りが大好きな人だった。
神田のお寿司屋さんのカウンター(付け場)で、大好きなマグロを肴に、ちびりちびり。
そんな父のお供で、母と共に親子で行くのが子供心にも嬉しかった。
お寿司はお寿司屋さんで食べるもので、流れてくるお寿司は邪道だと決めつけていた。
だから、私の回転寿司デビューは凄く遅い!
息子たちが成人し、一緒に連れて行ってくれたのが、初めてだ。
確か、私の回転寿司デビューは、環七のカッパ寿司。
まるで、体育館のような広さの中の活気に驚いた。
そして、美味しさと価格にも、目を白黒。
庶民の味方だと感じた。(笑)
早速、実家の父にも教えた。
はじめ、馬鹿にしてた父だったが、回転寿司の魅力にはまったのか、三日に上げず、通い出したとか…。(笑)
そして、舅が生きていればな…と、残念に思った。
明治生まれの舅は、年齢に関係なく、ものすごく進歩的な人だった。
だから、近所に、外食店(確かすかいらーくだったと思う)ができると、すぐに、孫たちを連れて行ってくれた。
何しろ、舅は、おおらかな人。
私たち家族の大スポンサーでもあったのだ。
そんな舅だもの。
回転寿司なんてものができてれば、喜んで連れて行ってくれたことだろう…。
う~ん! 凄く残念だ! (⌒▽⌒)アハハ!
僕の場合は回るお寿司が最初でした。
奇遇にも元禄寿司というお店だったと記憶しています。回らないほうのデビューは、生意気にも学生時代でした。大学の通学路にお店があり、サークル活動のあとなどに友人と暖簾をくぐったものです。
庶民派の中心に座する私は、
回転スシも大好き😊
最近回転してないみたいですけど🙄
鮮度が落ちるからかな?
私の家の近所に高級回転スシなるお店ができまして。寿司が好きな両親つれて行ったのですが(競馬勝った時ねw)メチャクチャ美味しいけど、お皿の色でとんでもない値段が付けられてました😅びっくりするくらい美味しく新鮮だったけど、両親は高級寿司に免疫がないから、お財布代わりの私に食べて良いか聞いてくる始末。。
適性な価格よりも、決まった値段で好きなものを食べれる普通の回転寿司の方がどうやら性に合ってるようです😊
アミさんはどうです?ww
学生の身で、(失礼!)回らないお寿司屋さんデビューとは…。
やはり、ボンボン育ちですね!(笑)
私が育ったころは、回転すしなどない時代でした。
だから、お寿司と言えば、町の普通のお寿司屋さん。
それでも、親と一緒でないと気後れがしたほどです。
今は、幸せな世になりましたよ。 (^_-)-☆
とにかく子供の頃からお寿司が大好きで。なぜ寿司屋の子供に産まれなかったのかを嘆いてましたよ。笑。海無し県の群馬。お客様や何かあれば出前のお寿司。これが楽しみでした。我が家は贔屓の寿司屋さんがあり出前ばかり。たまに家族で食事に行くのが楽しみでした。父が頑固で保守的な人でしたので回転寿司ができても、そんなもの!と。しかし晩年連れて行ったらハマったらしく。おい、行こうぜ!と。笑。大好きなサーモンを鱈腹食べて恵比寿顔な父を思い出します。
それは、親孝行、なさいましたね!
お馬さんも、たまには良いことありますね♪(笑)
私の実家は商家でしたから、サラリーマンの家よりは潤沢に育ちました。
だから、結婚したときは、経済的に苦しかった…。
でも、良くしたもので、舅がすごく高給取りでしたので、私は恵まれてました。
スポンサーの親たちが居なくなって、正直、今が一番貧乏です。(笑)
その貧乏の私が、今や、家族のスポンサー。
笑っちゃいますよね~。(*´σー`)エヘヘ
お父様の話。 思わず、声出して笑っちゃいました。
似てるのね~。
父も、最初は馬鹿にしてたのに、行きだしたら、はまってしまって…。
浅草や錦糸町まで、三日と揚げず通ってたらしいです。(笑)
群馬のお寿司、美味しかったでしょうね~。
海なし県と言われてる山梨なども、マグロの消費量は全国一だとか。
海に憧れる分、吟味するのでしょうか。
山梨のお寿司も、凄くおいしいです。
きっと、群馬も美味しいことでしょう。
あぁ~、食べたい♪ (^_-)-☆
>ご多分に漏れず、父は握りが大好きな人だった。
神田のお寿司屋さんのカウンター(付け場)で、大好きなマグロを肴に、ちびりちびり。
そんな父のお供で、母と共に親子で行くのが子供心にも嬉しかった。
アミさんは、お子様の頃贅沢だったんですね。
私はお寿司屋さんのカウンターで食べた事はありません。
どういう訳か年に一度ぐらい、親父がすし桶を取ってくれました。
それを贅沢だと思っていました。
>私の回転寿司デビューは、環七のカッパ寿司。
まるで、体育館のような広さの中の活気に驚いた。
そして、美味しさと価格にも、目を白黒。
庶民の味方だと感じた。(笑)
早速、実家の父にも教えた。
はじめ、馬鹿にしてた父だったが、回転寿司の魅力にはまったのか、三日に上げず、通い出したとか…。(笑)
私は回転寿司デビューは、一番上の孫が小学生になった頃かな。
アミさんと同じくデビューは、カッパ寿司でした。
安いのに、まあまあ美味しかったです。😀
実家は、商家でしたから、毎日の食事は、かなり、贅沢でした。
小さい頃から、洋食屋さんにも連れていかれました。
帝国ホテルでのお茶は、子供心にも、足がすくみましたよ♪(笑)
今は…。 本当にしがない年金暮らしになってます。
カッパ寿司は、ある意味、庶民にお寿司のおいしさを広める役割を果たしていると思います。
今は、スシローとか、三崎港など、沢山ありますが、カッパ寿司は庶民の味方です。
実は、私も回転寿司は数えるほどしか行けてません。実家は、あまり外食もしない家でしたから(デパートの食堂くらいでした)、結婚してから回転寿司も行きましたが、遅いデビューでした。その日がめちゃくちゃ混んでいて、だんなさんの「二度と行かない」になっちゃいました、(--;)
(⌒▽⌒)アハハ! 何事も、初めが肝心ですね。
私は、デビューが気持ちよかったので、今は、回転寿司、大好き🎵
何しろ、専門店よりお安いです。(笑)