三日坊主を自認してた私が、よほど、相性が良かった所為か、視覚障害者への対面朗読は15年も続いた。
もともと、アナウンサー志望(願望)だったから、読むと言うことは好きだったし、嬉しいことでもあった。
50歳を過ぎてから、一念発起。
プロの声優養成所の試験を受けたのだから、自分でも驚きだ。
わずか、10数人の集まりだったけれど、同じ志の仲間の集いは楽しかった。
講師はかの有名な野沢那智氏のお弟子さんであったS先生。
野沢氏譲りの、洗練された素晴しい声の持ち主だった。
わずか、3か月の授業だったが、読みに対するプロの技を垣間見た思いがした。
そこで、無謀にも、高田馬場にある「点字図書館」での対面朗読を願い出た。
その場で、すぐに、ある本の朗読をさせられた。
今でも覚えている。 宮沢賢治氏の「チェロ弾きのゴーチェ」の中の一文だ。
私の声は、美声ではないが、端切れが良く、聞き取りやすい声だと言われた。
即、採用が決まり、週に2~3回ほど、高田馬場に通い出した。
その当時、ボランティア活動ではあったが、読売財団から、一回、2.000円ほどの謝礼が出た。
対面朗読の他、リクエストされた本をテープに起こす仕事もあった。
自分では、絶対に読まないだろう…と思われる本を朗読する喜びもあった。
俵万智氏の短歌に出会えたのも、この時期だった。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
口語体の自然な短歌に驚いた。😊( ^)o(^ )
今まで、短歌は堅苦しいものと敬遠していたことが悔やまれた。
70歳を直前に、朗読の限界を思い知り、自発的に、辞職した。
午前中に高田馬場へ。
パンをかじり、午後からは、中野の耳鼻科の受付へ…。
若いから、出来たことだ…と、あの頃を懐かしく思う。
あっちこっち、飛び歩いていたのが嘘のように、今は、家に閉じこもっている。(´;ω;`)😭
アミさん向上心の強い方ですものねー。
色々なお勉強なさって来たんですね。素敵な経験ですね。私など家にこもってばかり、夫と要らぬ喧嘩をしたり😥なんだか実りない日々です😅ぬるま湯に浸かり切った毎日。
やる気スイッチ探して見ます。
実は短歌。密かに私も旅先で作り溜めてます。自由で楽しいですよね。
万物を黄金色に染め暮れなずむ
コタキナバルと同じ夕焼け。
神田に通勤している時、帰りに上野で乗り換えた電車が出発待ちしている時に見た夕日を見てコタキナバルを思い出して作りました。
素晴しい♬
俵さんの短歌を目にした時、ピッピッと感じました。
あぁ~、気持ちを素直に吐けばいいのだと…。
まるちゃんの夕日の短歌。 素敵です!(⋈◍>◡<◍)。✧♡
驚きの経歴です😊
朗読。。噛んじゃうw
川柳から俳句・短歌へ私もコツコツと勉強していこうと思っていますが、どこかで朗読してもらえる短歌でもできたら。。🙄
最高ですね✨
子供のころから、読書が唯一の趣味でした。
だから、かなりの本は読んでるはずだったのに・・・。
他人様が欲する本は、本当に種々雑多。
驚きと勉強の連続でした。
初見で読むのですから、読めない字も多く、ずいぶんと恥も書きました。 (*´σー`)エヘヘ📚
アミさんもせっかく学ばれた事、生かす方法があれば良いですね。今時は在宅でもボランティア出来るんですよ。
私は今日は俳句です。
凍雲、茜に照りて冥の道
親しい友達の訃報を聞きました。帰り道、こごえる様な風の中雲を眺めました。
お友達のこと、残念でしたね。
お悔やみ申し上げます。
凍える風の中の雲・・・・にありすさんのお気持ちが痛いように伝わってきました。 合掌
朗読を自分から辞めることを申し出たのは、「魔の空白」を感じるようになったからです。
時間にすれば、短いものですが、書体が真っ白になって、言葉が出ない時がありました。
眼で字を認知して、声に出すまでの時間。
空白が徐々に長くなるような気がして…。
取り返しのつかない場面になる前に、こちらから、辞めることを申し出ました。
こんな私にも,フアンが居たんですよ!(笑)
随分と引き留められましたが、辞めました。
寂しかったですけれどね~。😭