一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
人間関係
思うようにならないのが人生です。全員が自分に対してイエスマンではありません。
どうしてこうなってしまうのか。よく若い頃は思いました。嫌ってもないのに嫌われるのは。今もです。もともと私平和主義者で相手をとことん追い詰めることは嫌いです。
もし自分が相手から心底嫌われたとしてもこちらも嫌うことはしないタイプです。
でもやはりそう簡単にはいかないのでしょう。こちらの言い分を通せばあちらが立たず、あちらの言い分を通せばこちらが立たない。
かと言ってまだ自分が泥をかぶってもいいから相手の為になるところまではいきません。やはり自分をなくしてまで相手を立てようとするのは本当のやさしさではないからです。
誰もが自分がかわいいのです。自分を偽り、その結果自分のことを守れないのであれば本当の意味で相手のことを思いやることはできないでしょう。
やはり自分があっての他人だと思います。自分がしっかりしていての他人に対しての思いやりだと思います。
自分という国土を疲弊させてはいけません。しっかりと豊かで安全で立派な自分でなければ。
その上での人間関係だと思います。
どうしてこうなってしまうのか。よく若い頃は思いました。嫌ってもないのに嫌われるのは。今もです。もともと私平和主義者で相手をとことん追い詰めることは嫌いです。
もし自分が相手から心底嫌われたとしてもこちらも嫌うことはしないタイプです。
でもやはりそう簡単にはいかないのでしょう。こちらの言い分を通せばあちらが立たず、あちらの言い分を通せばこちらが立たない。
かと言ってまだ自分が泥をかぶってもいいから相手の為になるところまではいきません。やはり自分をなくしてまで相手を立てようとするのは本当のやさしさではないからです。
誰もが自分がかわいいのです。自分を偽り、その結果自分のことを守れないのであれば本当の意味で相手のことを思いやることはできないでしょう。
やはり自分があっての他人だと思います。自分がしっかりしていての他人に対しての思いやりだと思います。
自分という国土を疲弊させてはいけません。しっかりと豊かで安全で立派な自分でなければ。
その上での人間関係だと思います。
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