My Own Way~I am me~

悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫)の
現在進行形闘病記録&自己満日記

病院服と気管支鏡(主演・長澤まさみもどき)

2006年10月11日 20時11分19秒 | 闘病記
気管支鏡検査、さまさまでした。
なにがいいたいかというと、



今、37.7度の熱でちゃいました。



やってらんねー。



検査で身体を壊してたら、みのもんた、じゃなかった、身もふたもない。
仕方ないとわかりながらもぶーぶー言ってます。


はじめてやったときよりは、数倍、楽に終わったんだよね。よし、この調子!
と思ってたら、こうだもん。ぷりぷり。


そしたら、トゥデイズフラッシュバック!!


まず、服を着替えて、いすに座り、検査中、眠くさせるための
安定剤を点滴でおとし、のど全体に、麻酔スプレーを満遍なくする。
そのスプレーのまた苦いこと。つばと麻酔をぺっとだすよう促され、
ぺぺぺっとだし、

次は、のどの奥の痛みも軽減するために、呼吸のすうときに合わせて
気管が開いたら、そこをめがけて麻酔スプレーをかける。
それがまた、はばけるのなんのって大変。それを5回くらい繰り返し、入念に
麻酔をかける。そうしないと、後々大変だからね。でも、涙なしには語れないよ。

で、ひと段落してから、ベッドに仰向けになるよう促され、目に薬が
入らないようにタオルを目の上にかぶせ、口にはマウスピースを
はめられ、血圧を常時測り、足の親指には、酸素濃度をはかるやつを
はめて、いざ、口から気管支鏡を挿入。
奥に入れば入るほど、身体が
電気ショックを与えたときのように、波うち、肺の中?でも麻酔をかけ、
そのたびに、噴火湾でとれた活きのいい鮭のように激しく波打ち、
息ができなくなり、死んでしまうのではないかと錯覚する。

そうして、安定剤のせいでぼけーっとしてる間、約20~30分で
検査は終了。寝てるだけなのに、なんだこの瀕死感。
移植がはじまれば
こんなもの苦しいうちに入らないと思うかもしれないけど、苦しいものは
苦しいんじゃい。

そんでもって、帰りは、車椅子で病室まで送ってもらい、2時間くらい安静に
なり、その後、水を1口飲んで、なんともなけらば、食事解禁!
もちろん、なんともなく、ちょうどお昼の時間に食事解禁となり、カレーライスを
ほうばる。朝、食べてないので、それだけでは足りなくて、買い置きしてあった
せんべいもほうばる。

そうしたら、身体が急にだるくなり、ベッドに横になった。
気づいたら、3時半。。。あらら、けっこう寝てたのね。

でも、身体は一向にだるいというか無気力。

仕方なく、そのあと、ぼけーーっと
して、夕食を食べ終えて、東京のおとんが貸してくれたDVDの「変身」を
ボーっと見て、蒼井優をぼーっと見て、体温を見ながらはかって、
ぱっと見たら、


37,7度。

あれま。

蒼井熱?いやいや、そんなこたぁないぞ。
検査した人も「今日は熱がでるかもしれない」
と言ってたから、それだと思う。
決して、外出疲れじゃないっすよ。
どっちでもいいけどさぁ、だるいのさ。

あーー、やっぱり、気管支鏡はトラウマだよぅ。

明日、熱下がってるといいな。




全然話し変わるけど、そういえば、中日優勝したんでしょ。
まったく、知らなかった。
誰か、詳細を教えてくれ。

PET検査4回目

2006年09月29日 22時54分20秒 | 闘病記
今日はPET検査を受けてきた!
「PET検査は、ポジトロン核種(「陽電子」といってプラスの電荷をもっていて、陽電子は不安定なために、すぐに電子と結合し、その時に2本の放射線を正反対の方向へ放出する)を標識したブドウ糖[18F]FDGを投与し、その集まり具合を画像化することができる装置。がん細胞は通常細胞に比べて、ブドウ糖を約 3~8 倍消費するので、この性質を利用することにより、がん細胞を発見することができる。」

今までは、函館にPET装置を取り入れた病院がなかったのさ!
検査するたびに札幌に行ってて、めんどくさかったんだけど、
なんと今年の4月から、函館でも導入する病院ができて、
めでたく函館でできるようになったのさ!
車で15分、らく~~~♪

それにしても検査料たかぁ!2万5千円。あ~~~~。
どうにかなんねーべかぁ。

なんだかんだ4回目。やれやれ。
いいかげん、飽きたなぁ。
楽しい検査なんてないけどさぁ。ちぇ。

12時から検査開始だったので、それまで絶食だった。
うーーー、これがおれにとってはきっついのさ!
朝ご飯を食べないと、元気もうんちもでなーーい。(ゴメンなさい!)
運転の途中で、美人の人を見つけて、目で追ってたら、信号、無視しかけたし。
あぶねーあぶねー。集中集中。

病院着いても、フラフラして、
いきなり立ったりしたら、目の前ぱぁっっとなって貧血気味なっちゃったし。
やべーやべー。造血がんばれーーー!!フレーフレー♪

結論として、朝ご飯って大切ですね。


検査自体は、全部で2時間くらいで終わり。ひたすら寝てるだけ。

それでもな~んかだりゅい1日だったぁ。
薬の副作用かなぁ?

夜は東京のおとんが来客して、わいわいがやがや。
パワー頂きました♪

ふやぁぁぁ、それにしても今日はちかれたよぅ、もう寝る!
おやすみ~♪

闘病記第6章。。。

2006年09月20日 13時41分32秒 | 闘病記
あ~~~~~、やっちまったよ。




アウトだった。



今日、生検の結果出た。

「ホジキンリンパ腫に間違いない。」

つまり、再燃ってこと。

やっぱり、だましだましやってきたけど、こうなっちまったか。

んーこれからのことは、まだ決めてない。

でも、おかんとの同種移植が有力。


めちゃめちゃ、元気なって、楽しくなってきた矢先なので、

けっこうショック。

でも、けっこう冷静。

もう、慣れたわ。

なかなかしぶといなー。

ま、なんとかなるでしょう!!!
てか、何とかしてやる!

応援してくれてた皆様、不甲斐ない結果にごめんちゃい。
でも、必ず、健康を取り戻すので、これからも見守ってください♪

さぁ、自己免疫力あげるのに、とりあえず、パン焼くか!笑

壊死してませんでしたー☆(^o^)☆

2006年02月22日 00時14分03秒 | 闘病記
今日は整形の診察がありましたー。MRIの評価です。大腿骨頭壊死かどうか。。。
結果は、、、、、

股関節に全く異常なく、骨頭壊死ではないとのことでした。ぱんぱかば~んつ♪良かった~o(^-^)o心配してくれたみなさんありがとう!まだ、腰はふるチャンスがありそうです(*^_^*)
でも、
「痛みがあるのは、腸骨に何らかの異常があるからでしょう」
と、言われて、問題はまだ完全解決しませんでした。

痛みがある以上、リンパ腫から来る疑いは捨てきれないんだよね。そのことで、こんな状況で治療をするべきか、病気からくる痛みなのかどうかを前の主治医に相談してみた。
「病名の診断がつかないかぎり、積極的に医師としては治療をすすめられないでしょう。

ステロイドを使ったら、痛みとか集積は小さくなるかもしれないけど、それであなたはリンパ腫ですと断定はできない。

治療をして、集積が小さくなったとしても、ステロイドを使った治療となればその集積がリンパ腫であるとは断定できない。

だから、あとリンパ腫と断定する方法は骨を開いて細胞をとってくるしか今はない。

治療をするにしても、移植が前提になるし、リンパ腫と診断つけて治療に入るのは今段階では難しい。

患者が治療してと言うならすることはできるけど、あなたの場合は治療となれば移植になるから。リンパ腫と断定できない状況で、たぶんリンパ腫だから移植しますというのはきついだろう。

今、状況に変化がないことから放射線をかける方法もあるけど、腸骨にかけると骨髄抑制が強く出るし、もぐら叩きになるからあんまりすすめられない。

結局、言い方が悪いけど、悪くなってこないかぎり治療は難しいんじゃないかな。」
ってなことを言われた。
んー、そうなんだよねー。痛みはつらいけど、画像上、悪くなってないし、リンパ腫と断定されないうちは治療に踏み切れないんだよなー。難しいね。。。(〃_ _)
痛みさえなくなりゃ、なんも悩まないんだけど、今に満足、して今を楽しむべきなのかなー。走りたいなー。欲がでてくるとダメなのかなー。



お疲れー!

2006年02月21日 00時15分19秒 | 闘病記
今日は骨盤のMRIをとってから、咳と微熱が続いてたから、ついでに採血と胸のレントゲン写真を撮ってもらった。
最近、息苦しくて肺炎なってる懸念があったんだけど、主治医はレントゲン写真を見て、
「なんともないよ」
と言ってくれて一安心。
「ただの風邪だと思うからそのうち良くなると思うよ」
とも主治医は言ってくれた。

大腿骨頭壊死

2006年02月17日 15時44分09秒 | 闘病記
大腿骨頭壊死かもしれない。今日の整形での診察結果。次回MRIを撮影してはっきりすると思うけど。

俺の場合、ステロイドの感受性がいいからって去年大量のステロイドを投与したからそれが原因かもしれないってさ~。
ずーっと腰治らないし、ガリウムも取り込みあるからなー。かもなー。

リンパ腫じゃないならそれはそれで嬉しいけど、骨頭壊死だと人工股関節にしなきゃならなくて手術が必要になるから、微妙な気持ち。
リンパ腫が治ったんなら人工股関節でもかまわないと今は思ってる。人工股関節なってもすぐに死ぬことはないから。リンパ腫もなおってなくて、骨頭壊死だったら最悪だけど、それはないことを祈るしかないよね。

そうそう、この間、自然食のお惣菜を売ってる知り合いに、ガトーショコラ(マクロビ仕様)をお世話なってるお礼に持っていったら、それが好評だったらしく、
「お店でおいてあげるからまたつくって。あと値段も決めてね」
と言われ、ついにプチデビューできるかも!あははは~♪

人工股関節なって走れなくなったって、絵かいたり、お菓子作ったり、いろんな楽しみ方とかみんなへの恩返しはできるからね。落ち込んでられないぞー!

まーまだ骨頭壊死って決まったわけじゃないし、なんともないといいなー。ぷりぷり。


ホジキンリンパ腫闘病記録

2006年01月04日 12時47分59秒 | 闘病記
●17歳(高校3年生)2002年
8月 血痰出はじめる。
9月 空咳が出始める。
10月 検査入院。肺が真っ黒。微熱と、肩のリンパ節腫れはじめる。
    肩のリンパ生検、肺生検するも、病名わからず。
11月 食事療法(マクロビオティック)をはじめる。
    砂糖、動物性食品、油脂類を一切食べないようにする。
   (2004年9月までの2年間続ける)
12月 医大に検査入院。
    縦隔生検により、ホジキンリンパ腫4期と判明。
●2003年
1月 地元の病院で治療開始。
   ABVD療法1クール目
3月 18歳になる。
   愛犬ちゃっぴーが、死ぬ。
5月 友達家族が千羽鶴を折ってくれる。
8月 ABVD療法5クール終了。
   髪は抜けなかった.
   4クール目と5クール目で、CTの影の大きさ変わらず、
   残骸であるか、薬が効いていないかのどちらかであると
   いうことになり、経過観察することにする。
9月 PET検査で、胸腺に米粒大の集積みられるも、治療が嫌で様子を見る。
   
11月 見事に胸腺が腫れ始める。
12月 治療がいやで、民間療法(食事療法、ビワの葉温灸など)で治そうとがんばる。
●2004年
2月 病気の進行による栄養失調になる。
3月 胸水左肺に2,3リットルたまる。手足、パンパンにむくむ。
   自分の家の前の階段すら登れなくなる。
   19歳になる。
4月 病院に入院
   体重37キロまでおちる。骨皮になる。
   ステロイド、アルブミン点滴により、胸水、むくみなくなる。
5月 医師に治療勧められるが抗がん剤がトラウマになり、拒否る。
   あきず民間療法(ヒーリングなど)で治そうとする。
   笑えなくなる。
6月 高熱が出始める
7月 視神経がおかしくなり、目の焦点があわなくなる。
   寝たきりになる。
8月 舌下神経がおかしくなり、舌が動かなくなり、話せなくなり、
   食べ物もうまく食べれなくなる。
   親友の一人が、急死する。
9月 再入院
   頭、鼻、肺、肝臓、脾臓、脇、首、あご、胸のリンパ節が腫れる。
   あごにゴルフボールができる。
   BEA-COPP治療開始。これが効かなければアウト宣告される。
   このまま、死ぬんだろうなーと思う。
10月 運良く、治療が効き始める.
12月 BEA-COPP治療5クール終了。
    髪、ここでも抜けず。
    体重55キロまで戻る。
    東京の駒込病院にセカンドオピニオンに行く。
●2005年
1月 ほとんどの腫瘍がなくなる。奇跡に近い.医者も正直、びっくりする。
   自家移植のための幹細胞採取をする。
   4回やり、ようやく1回分の幹細胞がとれる。
   はじめて、髪抜けてツルツルに。
2月 落ち着いていた病気がまた、動き出し、胸がはれ始める。
3月 ステロイドで病状を落ち着かせて、自家移植をする。
   高熱が1週間以上続く。
   2週間ほどで生着する。同時に20歳になる。
4月 PET検査で取り込みなく、寛解!!!
   高校に復学する。
   髪ツルツルで行ったら、学年が2ケ下のクラスだったので
   かなり、ひかれる。
5月 寛解のはずが、また、胸腺腫れ始める。
   放射線治療(マントル照射)、頭、首、肩、胸にかける。
   学校を2週間ほど行き、しんどくなり、また、休学する。
6月 放射線治療1ヶ月間終了
   動物性食品でも砂糖でも多少食べるようになる。
   自分の細胞1個1個と会話するようにする。
7月 ガリウムシンチで取り込みなく、経過観察に。
   貧血続き、赤血球輸血。とにかくだるい。
   リリモコ(犬)を飼う。
人生最大に太る。良い事だけど、悲しい.
8月 PET検査で、腰椎、腸骨、胸に集積みられる。
   腸骨生検する。結果はシロで、悪いもの検出されず。
   リリモコ、ご飯の食べすぎでケイレン起こす。
   ガンが治ると言われている秋田の玉川温泉に一人旅に行く。2泊三日。
9月 腸骨生検した所が痛くて、動けなくなる。
   笑うことに本腰を入れる。
   水分(海洋深層水硬度300)を1リットル以上はのむようにする。
   死に対して恐怖が薄れる。人は死ぬためにいきているらしいから。
10月 ミニ移植を受ける準備をする。母親とHLA(遺伝子型)が
    一座不一致で適合し、母とミニ移植できることが正式に
    わかる。
    札幌にセカンドオピニオンに行く。
    非血縁者(他人)との同種移植をすすめられる。
    腰がだいぶ楽になり、ガンが治ると言われている、秋田の玉川温泉に一人旅に
    行く。9泊10日。
11月 東京、築地の国立癌センターに見ミニ移植の打診をする。
    実験的治療になると言われる。
    母とのミニ移植をすすめられる。
    成功率30%くらい。というか、前例が
    少なく、データがない。
    治療に向けて入院する.
    腸骨生検(前回より正確に)。結果は、またもシロ。
    しかも、炎症が下がり、かなり、体調良くなる。
    ガリウムシンチをとっても、8月と比較して
    変わりなく、病気は進行していないことがわかる。
    しかも、前回あった取り込みが一部なくなる。
12月 体調が良く、生検しても悪いものが検出されないので
    ミニ移植は白紙になり、経過観察になる。医師も首をかしげる。
    また、生検したところが痛くなり、寝たきりになる。
●2006年 
1月 腰がよくなってくる。
    現在にいたる 
 
これからの予定
4月 定時制高校に編入。
6月 自動車普通免許を取得。
7月 背が伸びはじめ、175センチになる。
8月 楽なバイトを始める。
9月 社会人サッカーはじめる
●2007年
 ハーフマラソンにでる。