私が幼稚園くらいの頃だったと思う。
母が少し膝を曲げて、私に言った。
『私はあなたがして欲しいような事は出来ないの。
だから、して欲しい事は自分の子どもにしてあげなさい。』
そう、母は言った。
それまでの母の言動でなんとなく頭で分かってた事で、
でもあらためてばっさりと線を引かれた様で寂しかったのは覚えてる。
でも、そうだろう、そういう人だ、とも思ったのも覚えてる。
その日から自分がして欲しいと思ったことはいつも『ああ、自分の子どもにそうしてあげよう』
母がすることは『自分の子どもにはこんな事するのは絶対やめよう』
と考えるのが癖になった。
小学校で女の子特有のイジメが回ってきた時も母は知ってたのに何も助けてくれないばかりか兄弟ケンカ中の私と兄に表情一つ変えずに言った。
『お兄ちゃん、ririは学校でもイジメられてるんだからそのくらいにしてあげたらぁ~?』
小1で痴漢にあった時も泣きながら仕事場の母に電話したが『そのくらいの事で!学校に言えばいいんでしょ!』
名前も呼ばれない。
近所の人は母は兄が大好きなんだと噂話をしていた。
お母さんがお兄ちゃんの為にご馳走買いに行ったわよ(笑)と声を掛けてくる。
私はこんな事しない。絶対にしない。
子供にはたくさん愛を伝えてあげよう。
一緒にいてあげよう。
困ったことがあったら、絶対助けてあげよう。
たくさん名前を呼んで、たくさん抱きしめてあげよう。。。
小学生の私は そう決めた。
おすそ分けを届けてお土産もらってくる話とか
見てると穏やかな優しい感じなんですけどね^^
大人になって少し変わったのかな
でもその分ririさん、子供たちに
優しいお母さんになれたね
私が大人になったのと、母が兄が結婚して目が覚めたのと(笑)
父もちょっとやんちゃな人で奥さんとしてストレス解消は子供に向けるしか無かったのかもしれません。
辛かったですけど、今の私はこんな時代を越えたから今の私なので^^
私の子供たちには優しくしてくれるんですよ^^
昔は昔、引きずるのは私大嫌いなんです^^
それに私は子供たちに学費も出してあげられない、父親もいない事にしてしまって、そんな当たり前の事もしてあげられないって思うとそういう心配が無かった母の方が凄いのかもしれません。
自分の常識は他人にとっては非常識なのかなと思う事は沢山あります。
人は育った環境に大きく左右されるとしたら、
ブログ上のririさんしか知らないけれど私はririさんの事が好きです^^
だからちゃんと伝えようと思います☆
あああ愛してるよ(〃∇〃)えへ
Me too♪
『普通』私も追いかけたことあります。
結論、普通という基準は自分を中心に物事を見ただけのひとりよがりな基準でした^^
だから私はあまり使わないようにしてるんです。
また育った環境のせいにするのも嫌いです^^
親がどうでも同じ事を繰り返す人、親を反面教師に出来る人。
結論、自分です。
親のせいにしてれば楽だけど成長しないし。
自分の人生ですから大人になって親から離れられたら、自分で歩けばいいんです。
それが親を越す、ってことなんじゃないでしょうか^^
3人姉妹の真ん中だった私は、甘え下手だったと思います
それは今でも変わらないですけどね(笑
子供の頃の母は、とにかく忙しい人で子供の事なんて
ほとんどかまってくれませんでしたね・・・・
小さい時から家事全般は、私と姉の仕事でした
祖父母が厳しい人でしたし、父の手伝い(自営ですから)と畑や田んぼ
母がよく泣いていた姿は覚えてますが、甘えた思い出はないですね
父に抱きしめられることはあっても、母は無かったな~
自分が親になって、なんで母があんな理不尽な叱り方をしたかとか
話した事をほとんど聞いていなかったとか
やっと想像できるようになりました
で、私は子供たちにちゃんと“母親”してたんだろうか・・・・自信ないですけどね(^^;
「大切だから心配するんだよ」とは、よく言ってたか
あと、とりあえず抱きしめましたね
娘は今でも何かあると、私にぎゅっと抱き付いてきますね(笑
気持ちが落ち着くんだそうです
愛してる 大切なんだよ
この二つは言葉で伝えないといけないと思ってました(思ってます)
なんか 考えちゃったな
でも「過去の自分があるから今の自分がある」ってのはよく解ります
私もずっとそう思ってきました
思い出すのはいいけれど『たら・れば』は大嫌い(笑
甘え下手wそうです、そうです。
真ん中っ子で、家事全般やって…ってそっくりですわー!!
私~!?
なないろさんのお母さんは農家のお嫁さんだったんですね~☆
子育てどころじゃないですねー…(TT
お父さんは抱きしめてくれてたんですか!?ほぉーいいお父さんですねー^^
私の父は親に育てられてないのでどーも父親役がうまく出来ないようでした。
母は真面目で不器用な人なんです(笑)
そんな母だからストレス解消が必要だったんだと思います、か弱い女性なんです(笑)
私の離婚騒動の時もランがおかしくなった時も『怖いからヤダ!』と1回も手助けしてくれませんでしたし(笑)
笑っちゃうくらい頼れない人なんです(笑)
〉で、私は子供たちにちゃんと“母親”してたんだろうか・・・・自信ないですけどね(^^;
。。。ドキッ☆です^^;
そうそう、大事、と抱きしめる、はします。
なるべくスキンシップをするようにしたり。。。
女の子は特にそうですね。
なんかねー、最近の親の事を書いてて、それだけじゃなんだか気持ちのズレがあるような気がして。。。
過去を踏まえて今がある事を一度だけ書きたかったんです^^
今は親とも良好な関係ですし
私も『たら、れば』嫌いですもん♪
前を前を見て笑って生きていきたいです^^
ririさんは自分の母親がおかしいのでは?と気がついた時期はいつ頃でしたか?
私は「自分が悪いからこうなってる」とずっと思っていました。
父も妹もそう思っていたので(あ。私がやっぱり悪かったのか?)家庭は逆に安定しました。
怒るとそこで気持が発散できるんですよね。
怒ると母は落ち着きました。^^;
兄弟順は最初は損だと思いました。
妹は妹で写真の数や服とか思う所はあったみたいだけど、先に経験を見聞きできるのは羨ましいです。
小学校時代は、注射もウンテイも修学旅行も怖いことばっかりでした。
ririママもきっと言わないけど何かあったのかな。
うちの場合、母が幼少時代色々あったようです、だからものすごく、自分はちゃんとした家庭を築けるお婿さんと結婚しよう、って気持ちが強かったらしい。
で、飛び切りお金持ちなわけじゃないんだけど、絵に描いたような幸せな家庭(但し若干1名異端児が突然変異で生まれた為悩まされる(苦笑)として生きてきました。
私はそういう、母の言う「普通」や「常識」ってのが理解できなくて、いつも普通ってなに?って。。そんなにあたしって恥ずかしい人間??って思ったものでした。
褒められたこともなかったなあ。。。褒める箇所が全くなかったのかもしれんけど(笑)
まぁ色々みんな事情があるってことで、、、
うちらも大人になったしね、今はそうやって踏ん張ってきた母のこと、私も好きですよ^-^
そう!止まるときは死んだ時ですわ(笑)
前へ前へ歩いていかなきゃ♪
みんな必死だぜぃ~。
って、何かかぶってる、あたしも今日そんなこと書いたわ^^;
>自分の母親がおかしいのでは?と気がついた時期はいつ頃ですか?
最初からですよぉ~(笑)
幼稚園児に『して欲しい事は出来ない』って宣言したり、食事中に延々『子供産まなきゃ良かった』と話したり、病気になっても看病してくれないし、兄にだけ執着したり…
怒るのは父の役目なんです。
母は人に怒るとか諭すとか、出来ないんです。
だから、怒りきったら落ち着くとかそういうのではないんです。
ただ、八つ当たりを私にしてた、って感じです。
たぶんね、ちょっとウツっぽかったのかなー、と思います。
兄弟順もだいぶ影響ありますね。
ランも何でも初めては大変だった、と言います。
じゅちろうさんのとこ行ってきたよ♪
みんな日々色々考えてる、ってことですねー^^
じゅちろうママは自分の経験からちゃんとした家庭を築ける人と結婚しようと思ったんだねー。
私もそう思って会社の人たちがおススメする元旦那に決めたつもりだったんだけどなー(苦笑)
人のおススメなんて当てになりませんねーww
母はたぶんウツっぽかったんだと思います。
真面目な人で人によく見られたくて、人前で無理するタイプだったんじゃないかなー。
離婚したことも実家近所に言うな、と言われておりますww
父がボケたことも言うな、と言われましたがこればっかりは無理ですww
まあ、昭和初期の人はこういうプライドがあるから気丈なのかもしれません。
それに、されたことより、してもらった事もあるわけで。。。
学校を出してもらった、離婚しないで家庭を守ってくれた、家においてくれた、習い事をさせてくれた、、、
言ったらきりがありません。
自分だって正しい事だけして、正しい事だけ言って生きてはいけないのに
人にされた事を被害者顔しているのは私は嫌いです。
それよりしてもらってる小さなことでも感謝して前へ前へ生きていきたいです。
ねっ♪たぶんじゅちろうさんもそういうタイプだな♪
じゅちろうママのように踏ん張る人生が私は好きです^^