さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

道念の相続、裏表のない修行

2015-05-06 20:30:00 | 合掌の郷・写真部

 

世間はゴールデンウイークのようでしたが、お寺は関係ありませんでした。

お寺の仕事はもちろんですが、さまざまな出来事があって、このひと月あまり落ち着かない日が続いています。

そのせいでとはいわないものの、家の牡丹と藤の見ごろを逃してしまったのは本当に残念でした。

家人の話では、今年の牡丹はかつてないくらい見事な大輪の花を咲かせたそうですし、藤も花房が長くてそれは見事だったそうです・・・うう、残念。

    

牡丹は白の写真が撮れたのですが、藤にいたってはまったく写せずじまい・・・。

今年には今年しか見ることができない美しさがあるのです。いま、ここ、なのですね。

 

     

鯉のぼりを写しながら緑地を散策していると西洋タンポポやアザミ、むらさきつめ草が咲いていました。

いろんなことを見落としてしまっていた感じです。ヒトの思惑とは関係なく、いろんなことが過ぎて行きます。諸行無常です。

   

今年はサクランボの実がきれいに生りました。いつもなら先に鳥が来て食べてしまいますが、今年は食べることができました。

佐藤錦とかそういう品種ではないのですこし酸っぱいのですが、初夏の気分を先取りです。

さきごろ山形の親戚の兄さんが亡くなりました。

長距離ランナーとして県内でも名をはせた兄さんでした。果樹農家に生まれた兄さんは、親父さんに似て働きものでした。

勤めを終えていよいよこれから親父さんを超えるべく果樹栽培に専念するはずだったのですが、病には勝つことができませんでした・・・・。

サクランボ農家のその家では大黒柱の働き手を失ってこれからどうなるのかと心配していましたら、せんだって奥さんから連絡があり、収量は少なくなるけれど頑張って続けていくとのこと。

私たちにはうれしい知らせであるのですが、サクランボだけでなく、リンゴや他の作物もある広大な畑。面倒をみるのは本当に大変です。

その重責を独りの肩に背負わせていいものかと心配したりもします。

 

つねちゃん、むりせずにやってください。

亡くなった人から心配されることがないようにしてください。

 

     

 

先月下旬に出かけた宮津の智源寺さまで、良いお話を聞くことができました。

 

道念の相続。

裏表のない修行。

 

人に見せるための修行ではない、一日一日の仏道への念(おもい)の積み重ね。

腰を悪くした玄明さんが智源寺を下りることになり、その迎えに行った時に高橋堂頭さんから頂いた言葉です。

 

修行にしても果樹栽培にしても、根っこは同じところにあるのかもしれません。

一粒の実が輝きを放つのも、一人の人間がおおいに羽ばたくのも、裏表なく一日一日を大事に過ごしていくことがなくてはならないのでしょうね。

 

今日はここまで。

さんぜのまなざし goo別院 1505



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