さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

コロナ禍のなかで

2020-06-05 16:18:05 | 倫勝寺の日々


 もうすぐ百歳になる祖母が食事中に嘔吐したと入所している施設から連絡があり、
緊急事態宣言の不要不急には当たらないだろうと、5月下旬に山形の実家へ行ってきました。
 妹がラインで送ってくれた祖母の写真はいつもと変わらぬ様子なのですが、
誤嚥性肺炎になったら、喉になにか詰まらせたりしたらと心配は尽きません。

 10ヵ月ぶりの祖母との面会はウイルス感染防止のため窓越しとなりましたが、認知症のためぼんやりしてはいるものの相変わらず顔色もよく、
とりあえず少し安心しました。
 しかし帰り際の、家族が手を振っても応えてくれない様子に、私が誰か解らないのだろうと思うと寂しさが胸をよぎりました。

 担当の職員さんから急に何かが起こることはなさそうですと説明を受けたのですが、
いかんせん百歳ですし、コロナウイルス蔓延するこの時期ですから、いつなにが起きても不思議ではありません。
 そんなことから、万が一の時のために母や妹の家族と相談をすることになりました。

 実は数年前に家族や本家寺、葬儀社さんと打ち合わせしたことがあるのですが、
今回のコロナ禍で葬儀を取り巻く状況もかなり変ってきました。
 地縁血縁の濃い山形の習慣では、大勢の親戚や会葬の方が集まってお葬儀をするという事になるのですが、
今の時期は大人数での儀式も難しいでしょうし、祖母のきょうだいも亡くなった方や寝たきりの人が増えて焼香にくることもかないません。

 いろいろ話し合った結果、年内にもしもが起きた場合、葬儀は実家の佛性寺で行おう、ということになりました。
小さな本堂なので、自宅葬と変わりません。
 地縁血縁の事を考えれば十分とは言えませんが、感染症対策をしっかりとったうえでささやかに執行させてもらうことにしました。
来年になればウイルスへの不安も払しょくされると思いますが、今後は都会だけでなく、地方も旧来の大掛かりな葬儀の形式は変わっていくのではないかと、ふと思いました。

 今回のコロナ禍で、私たちの日常生活は大きくそして急激に変化しました。今後もその影響は続いて行くと思います。
しかし、仏教の縁起の教えには、今の自分のありようについて次のような言及があります。
 過去の沢山の選択肢から選んだもので今の自分が出来ている。逆に言えば、今何を選ぶかをしっかり考えないと未来が変わってくる、と。

 ウイルスという目に見えない恐怖や先行きの分からない不安は、時として私たちから冷静さを奪い、気付かぬうちに正しくない感情が引き起こされてしまいます。
貪りの心が買い占めを引き起こし、怒りの気持ちが虐待を招き、愚かさから罹患した方への差別や風評被害を起こす。
そんなことにならぬよう、互いに支え合うことが必要です。
私たちの心の健康を保つためにも、今回のコロナ禍を、自分自身を見つめ直し良い選択ができるよう促す大切な機会としたいものです。

 さて、いろんな話が出た翌日、ひとりで佛性寺を護ってくれている母が食事中に「うーん、私は施設には行きたくないな、できればね」と一言。
毎日御本尊様にお給仕し、庭の草取りをし、ご近所さんと氷川きよしのDVDを見て乙女になり、子や孫の心配をし続ける母ももう八十三歳。
元気でいる限り、そして最期もお寺で過ごしたい気持ちはよくわかります。
コロナ禍の不安が続く中、母に元気でいてもらうためにどのような選択をしていけばよいのだろうか、とまた悩む私であります。

・・・・・・・・・・

瞬く間に6月、でありますね。
節分までは例年通りのペースで来ていましたが、それ以降は皆さんと同じ、コロナに振り回される毎日。

いまできることをコツコツ続けていくしかない、と腹を据えて日常を見つめ直してみれば、学びの機会はたくさんあるものです。
いつの間にか溜まって「積ん読」になっていた本を読み、晴れれば歩き、降れば坐るのお坊さんらしい朝の生活を送り、
様々な会合を不慣れなリモートで行い、法要を配信するための設備を整え・・・

前にも書いたように、次に何が来ても大丈夫なように力を蓄えるための期間として、大事に日々を送ろうと思います。

今日の写真は境内に咲く紫陽花の写真と、港が見える丘公園のバラの写真。
バラはすこし時期が遅かった感じです。

今日はここまで。



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