さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

3月20日 春彼岸合同供養法要が行われました。

2012-03-25 09:14:33 | 倫勝寺の行事報告

                                       ・・父母未生以前の紅・・


3月20日 春彼岸合同供養法要が行われました。

法要に先だって、午後1時半から「神戸、東日本大震災に学ぶ~被害を減らすために今できること」と題して
戸塚消防署東戸塚消防出張所・中村寿男所長の防災講和が行われました。

穏やかな風貌の中村所長さんですが、命を守る仕事に着いておられる方だけあって、熱い心でお話をしていただきました。


避けきれない地震や台風、津波などの大災害。それらの災害を「防ぐ」のではなく、どれだけ「被害を少なく」できるのか。
そしてそのために、いま私たちが何をできるのか。

自助:自分で自分自身や家族、財産を守ること
共助:初期消火や初期救出活動など、地域の人の助けあい
公助:行政や公益機関が災害支援活動を行うこと

上記の3点を踏まえ、私たちにできる様々な事例を紹介いただきながらお話を伺いました。

日頃の備え

       災害が起きた時の家族の役割分担を決めて置く(火の始末や持ち出し品の搬出)。
       最寄りの避難場所の確認。防災訓練への参加。家具の転倒防止。
       3日分の食料や水、トイレパック、常備薬等の備蓄。
       タンスや戸棚など、倒れそうな物のある場所での就寝は避ける。
       近隣とのあいさつ(顔見知りになっておく)。

災害が起きたら
 
 「その場にあった身の安全」
       
        机の下に身を隠す、クッションなど頭部の保護のために手近なものを利用する。
        閉じ込められないよう、出口の確保。外に飛び出さない。
        落下物、転倒物から身を護る。
        揺れが収まってから、初期消火。
        避難時は家のブレーカーを落とす、ガスの元栓を閉める。

  「時と場所にあった正しい状況判断」

        ラジオや携帯電話のワンゼグ等で、正確な情報を入手する。
        車両による避難は行わない。
        高齢者、障害者、乳幼児がいればみんなで協力して避難する。
        避難所での生活、隣近所での助けあい。
        帰宅困難な外出先では、むやみに移動しない(二次災害を防ぐ)。

法要の準備があったりしましたのですべてを聞くことはできませんでしたが、
以上のほかにも、1時間半にわたって示唆に富むお話をたくさんいただきました。

なかでも住職がフムフムなるほどと思ったのは、中村所長さんの家で実際に行っている「訓練」のことでした。
中村さんも奥さんも消防関係の仕事に就いているので、いざとなれば子供たちだけが家に残されることになります。
停電やガスが止まってもご飯だけは炊けるようにと、子供たちにときどきお鍋でご飯を炊かせているのだそうです。
子供たちにしてみれば、キャンプで飯盒炊爨を行っているような感覚かもしれませんが、
家族でわいわい楽しみながら災害時に生き抜く術を身につけていくことが出来るのは、とてもいい試みだと思いました。

真似させてもらおうかな。


さて、最近、街に出かけるとあちらこちらに無駄な電気が使われているのが目につくことが多くなりました。

デパートやパチンコ屋さんの真昼間からの煌々とした電灯。
スイッチが壊れているのか、昼間から付いている街灯。
扉を開けたまま、つけっぱなしにしている暖房。

去年の今頃はみんなで少ないエネルギーや食糧を分け合い、節電、節約して病院や本当に必要なところへ回していたのに、
たった1年で助けあい、分かち合いの心を忘れてしまったのかなあ、と感じてしまいます。

電気だけではありません。
歩くのに困るほど歩道に乱雑に置かれた自転車や、無造作に捨てられた紙くずやごみ。
去年の震災の頃は、みんな気持ちよく暮らせるよう互いに気をつけていたのに最近は・・・、と嘆く声も聞かれます。


震災はある意味、日本人の心、プライドを取り戻すことのできた大きな出来事でもありました。
しかし、今の状況はどうでしょう?あれほど叫ばれていた「絆」や「がんばろう東北!」は、ちょっとした「ブーム」だったのでしょうか?
日本人の誇りはどこへ行ってしまったのでしょう?

忘れてはいけません。東日本でいま起きていることは、他人ごとではないのです、自分のことなのです。
自分のこととして考えれば、何が大事なのか、おのずと見えてくるはず。
そして、彼の地の人たちの心を慮り、何かをせずにはいられないはず。

震災がれき受け入れの問題や、原発輸出の件にしてもまたしかり、であります。

修証義にも「同事というは不異なり、自にも不異なり、他にも不異なり」とあります。
自らのほとけ心にそむくことなく、また、他の立場を犯すことなく、相手の心を自らの心としてほとけ心を働かせてゆくこと、とでも言えましょうか。
そしてこの「ほとけ心」こそが「大慈悲心」なのだと思います。

簡単に言えば、そんなことどうでもいいや、だれかがやるだろ?じゃダメなんですよね。

このところ、千葉東方沖を震源とする地震が多くなってきました。
水や物資の備蓄だけでなく、そんな「心の備え」も持ちつづけていきたいと念じている今日この頃であります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

境内の花も色鮮やかさを増してきました。

        

よろしければ下のチャンネルもご覧ください。

 

さんぜのまなざし goo別院 1203

 

 

今日はここまで。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。