『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

日が照らす時、心が居る所

2008年12月23日 | 
朝日は一日の始まり

心は太陽を求め

体は光を求める


日が昇り始めると

心は太陽を忘れ

体は光を当り前に思う


日が沈む頃

心は太陽を懐かしみ

体は光を名残惜しむ


心は常に今にあらず

心は常に今を見失う


ブッダは常に心を今に置き

ブッダは常に心を今から離さない

だからブッダはいつも幸せの中で生きる


足りないものがあった時……

2008年12月23日 | 
足りないものがあった時……


他から、新しいものを見つけ出してくるか

あるもの、を工夫して乗り切るか


外に見出すか

内に見出すか


欲望でいくか

知足でいくか


愚者は前者をとり

ブッダは後者をとる

苦しみも楽しみもありのままに見れれば幸せが訪れる

2008年04月17日 | 
苦しみをありのままに見ることが出来ない私は
何か苦しい事に出会うと、苦しみを誇張し、苦しみを大げさに見る

楽しみをありのままに見ることが出来ない私は
何か楽しい事に出会っても、何度か経験するとその楽しみをあたりまえのことに感じてしまい更なる楽しみを求める

苦しみをありのままに見ることが出来る人は人生を足取り軽く歩む
楽しみをありのままに見ることが出来る人は毎日が喜びで満たされる

苦楽をありのままに見なさい、とブッダはこの世の真理に基づいた智慧を授けてくれた
その智慧を自己の内に開発していく事で幸せになることが出来るとブッダは仏法を説いてくれた


幻の現実

2008年04月14日 | 

無明であるがゆえに

無常という、苦しみの大海に住む魚でありながら

常という、楽しみという幻の大海を探し求める

幻を求め、真理に逆らうから苦しみが起こる


ありとあらゆる見方

2008年04月03日 | 

一つの峰につき、見晴らしがたいそう良かったからとて、そこに立ち止まってはいけない

一つの見方にとどまってしまうからである

真理を抑えれば、ありとあらゆる見方が存在することを知る


2008年04月02日 | 

信すらなくなってしまった時代だったから

信から始めようと

親鸞は言った