おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

駿河紀行 04

2015年11月06日 | 思い出


駿河紀行 04

10月13日 久能山・日本平・駿府城址公園 天気 晴れ

朝、ホテルでゆっくりする。久能山下行きのバスが一日に数本しかなく、
タクシーで行くにも4000円ほど。最悪の場合でも清水駅9時57分発の
バスで行けば十分である。次は13時頃に発車するバス。

観光地であるのに、なぜこんなにバス便がないのか、乗って見て理解する。
なんと始発から終点まで私一人の貸切状態。
バスを利用する人がいないから運行してもするだけ赤字なのだし、
これではバス路線があって運行しているだけで御の字。
しかしこのことは自治体にとっても大きな問題をはらんでいる。公共交通の充実は
現実的に不可能だし、また、交通弱者は出歩くなということにもなる。

バスはイチゴの栽培地を通って行くが、確かにこの辺りはイチゴの栽培が
盛んだと子供のころに知った覚えがある。
バスには私一人だったので、これから行く久能山東照宮も随分と人が少ないものと
思っていたが、案に相違して久能山への登り口の駐車場には車が多い。
つまりは公共交通を使わずに自家用車で行く人がほとんどだということだ。

山上の東照宮まで1159段の石段を上るとのこと。登り始める。
途中で駿河湾の写真を撮る。海が青い。初めの画像の対岸は伊豆半島。
二枚目の画像は御前崎方面。







石段の段数は多いが、20分しかかからなくて、きついというほどではない。

登りきった所に東照宮の楼門。唐門、拝殿、本殿と見て回る。















家康が1616年に死亡して一年間はここに葬むられ、その後に日光に改葬されたのだが、
あの狸親父もこのような廟を建てられて、非常に幸運だったと言える。
造りは贅を尽くした権現造り。こんなにきらびやかなものを作る徳川も悪趣味だとは思うが、
建築学上は素晴らしいの一言。しかしまあ、見れば見るほど虚仮脅しである。


     駿河の國久能の山寺にて、月を見てよみける

  涙のみかきくらさるる旅なれやさやかに見よと月はすめども
   (岩波文庫山家集128P羈旅歌・新潮1087番)

ここには600年頃に「久能寺」ができて、時代とともに隆盛を誇っていたのだが、失火により灰塵。
西行がここに来たのも失火以前のことであるし、久能寺の殷賑ぶりを見ているということだ。
武田信玄がこの地に久能城を築いた。その時に久能寺は移転させられている。移転したのは
鉄舟寺のある場所。鉄舟は衰退していた久能寺を再興して、寺名を「鉄舟寺」と改める。

武田氏を滅ぼした家康が久能山も支配して、風光明媚なここを自ら墓所と定めたのである。

久能山と日本平の間にはロープウエイが通じている。片道券を買って日本平に渡る。
遠いが富士山も見える。「赤い靴をはいた女の子」の像もある。














写真を撮れば、日本平自体には特に施設も無いので静岡行きのバスに14時すぐに乗車。
そのまま京都に戻るのもどうかと思い、駿府城址公園に歩いて行く。さすがに広い。












公園から駅に戻り、コーヒーを飲んだり土産物を物色したりしてから新幹線乗車は18時前。
京都の自宅着は20時過ぎ。早いものである。
かくして、短い旅は終わる。記憶に残る良い旅であったと思う。
3日間歩行数は65000歩弱。意外と少ない。