林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

石灯篭の行方

2007-01-18 | 知ったかぶり

 飯能市能仁寺

西武沿線の多くのお寺には、同じ形の古くて立派な石灯籠がある。
それぞれの場所で、周りの風景に良く馴染んでいる。

石灯籠は、西武鉄道が寄付したものであり、元は東京港区芝の増上寺にあった。
石灯籠を寄進したのは約300を超える大名家で、作らせたのは徳川将軍家だ。

増上寺が徳川家の広大な墓所を西武鉄道に売却。
西武鉄道は跡地に「東京プリンスホテル」を建てた。
その際、石灯籠を捨てるわけにもゆかず、結局各地のお寺に持ち込んだ。

東京港区教育委員会が、遺物の扱いを批判する人たちからの請願を受けて調査した。

処分された石灯籠は約1000基もあった。
その内642基が埼玉県を中心に東日本の14都道県220カ所のお寺に移された。

残りの石灯籠の行き先を、西武鉄道は移設先のプライバシーを楯にして明かさない。
本当は捨ててしまったのだろう。

 近畿日本ツーリストHPから

徳川家の墓所の後に出来たホテルは、別のプリンスホテルに較べると優美である。
他のホテルはオーナーの趣味に合わせてゴツイ。
ここだけは「サンシャインの幽霊」の実母とされる、3番目の正夫人が細かく指図した。
正夫人の美的感覚は優れていたようである。

ホテルの地階には「PISA」という高級輸入品専門店が出来た。
店内に高級呉服の売り場もあった。

売場の老番頭さんに原因不明の体調不振が続いた。
占い師から「ここに埋葬された皇女和宮の祟り」と宣告され、転勤後体調を回復した。
祟りの真偽はともかく、以上はご本人から直接聞いた話である。

 鎌倉霊園旧HPから(新HPはこちらです

いま、徳川将軍家の墓地は西武鉄道の創業者が造成した「鎌倉霊園」にある。
広さは創業者の墓所の数十分の一にしか過ぎない。
創業者の墓所は、新体制の西武鉄道に見放され、維持管理に苦労するだろう。

創業者の正妻権妻2系統に分かれる大勢の子どもたちはしたい放題.
挙句に多くの会社をダメにし、経営からは追い払われた。
徳川家の祟りではなく自業自得というべきだろう。

 秩父市HPから

西武鉄道は昨年末、秩父市郊外の「秩父ミューズパーク・スポーツの森」を市に無償譲渡。
土地182haと126棟の建物や施設で簿価43億3800万円。
時価100億円にもなり、赤字経営だった。

秩父市長は喜んでいるが、固定資産税は入らず、維持管理運営費が必要になる。
市営にすれば「事業の活性化と地域の発展が見込める」のだろうか。
いずれ秩父市も持て余しすだろう。

西武鉄道は美しい長尾根丘陵を大規模に造成改変して、逃げ出してしまった。
今後は石灯籠の寄付のようにはゆくまい。

増上寺の石灯籠の行方を追い、HPで詳しい報告をしている方がいる。
尊いお仕事だ。

  参考文献
  朝日新聞記事(05/03/26+06/12/02)。
  月刊「文藝春秋」87年8月号記事「わが堤一族 血の秘密」上林国雄著。
      墓が無い第2番目正夫人の立場から、創業者の子の2社長を批判した内容。
  猪瀬直樹著「ミカドの肖像」小学館刊。


1月17日

2007-01-17 | 遠い雲

 

1月17日は忘れられない日である。
湾岸戦争が始まった日に、海洋療法施設を併設したリゾートホテルの着工式を行ったからである。

着工式といっても、単なる鍬入れ神事だけでなく、記者会見、海洋療法の説明会、宴会等を行った。

当初は内輪にやる予定だったが、県市の強い要請により、派手で豪華な着工式にすることになったのは、前年の11月の末だった。

会場は市内の超一流ホテルは手狭で、団体客の多い全国展開をしている大型ホテルの集会場を全て借上げた。

この約20年前に用地を取得し、植物園や大規模プールや別荘群などで構成する「リゾート村」を建設する計画が、石油危機で頓挫。

次はグループの力を結集して「芸術村」を建設するという大風呂敷を広げたが、社主の気まぐれによる資金不足で、また頓挫。

過剰な下水処理施設と凝った造成工事を残したまま放置しておいたため、地域の政治問題になっていた。
出資をしていた県市は事業を再開したことを、県民に周知する必要があったのだ。

3度目の計画は、社主の親族がタラソテラピー付きのリゾートホテルを突然持ち込んだ。
バブルが弾け、自己資金ゼロ状態だったにも拘らず、であった。

山の「音楽堂」から海の「芸術村」に移った森男は、芸術村が中止になった時に、原籍の会社に戻れば良かったが、新しい仕事は面白そうだし、帰ったところで浦島太郎。結局この仕事に参加した。

着工式と一連の行事の立案、会場手配、物品の調達とレンタル、社員への業務の割り当て、その他一切合財は休みを返上し、森男が一人で準備した。
親会社(既に倒産済み)では、コンセプト作りは熱心だったが、実務は全くダメ。だから何も注文を付けられず、やり易くもあった。

経費は建設業者に負担させた。宴会の酒類は大手洋酒会社の寄付。
案内状や説明会台本と映像の選択等は森男自作。新規作り物は避け既製品の活用など準備は完璧だった、と今でも思う。

ところが、当日、湾岸戦争が始まったのである。
県内の多くの有力者を招待して、全ての行事は完全に、滞りなく消化出来た。

中央の3大紙をはじめ、報道関係者も大勢来てくれた。
しかし、翌日の新聞紙面は戦争一色。リゾートホテル着工の記事は、地元紙以外は一切報道しなかった。

この着工式では、困った役得があった。
スタンダードを指定しておいたが、会場のホテル側が気を使って最上等の部屋を用意したのである。

理由は年末に会場のダブルブッキングが発覚して、大騒動を起こしたからだ。
ホテル側が、お詫びにご夫妻でご招待、という提案を断固断っていた。

着工式前夜の仕事を終え、指定された部屋に入って特別待遇に気付いた。
部屋は二つ。便所は2畳分もあり、風呂の窓からは港が見下ろせた。お茶には金箔が入っていた。
社長より格上の部屋には、居心地は良くなかった。

派手な行事は、県市にとっては地元対策。森男たちには親会社と銀行対策でもあった。

計画は完璧。親会社から応援に来た社員は良く働き、ホテル側は水も漏らさぬ協力で、一連の行事は滞りなく終了したときの達成感に満足した。
但しこれ以後、資金調達に奔走する地獄の日々となり、定年前に会社から逃げ出す破目になってしまった。

また、ホテルは親会社の採算性を無視した介入により、ますます豪華絢爛な施設になっていった。そして社会保険庁と同様の推移を辿ったのである。

会社はその後、ある会社に買い叩かれて買収され、親会社は倒産。資金を直接間接に供給してくれた銀行も倒産した。

だから、1月17日は忘れられない日になったのである。

□関連記事060903「タラソテラピー」。
■写真は「Architects Office」HPより。


あおさ

2007-01-17 | 拍手

  あおさ雑炊

三重県の伊勢志摩地方に旅行したら、お土産は伊勢の「赤福」。
これ、常識である。確かに旨いし、誰からも喜ばれる。
伊勢神宮前のおはらい町の本店は素晴らしい。おかげ横丁も楽しい。
だが、いつも赤福ではセンスが無いね。

赤福は日持ちがしないし、いくつも買うと重い。
甘いから辛党には向いていない。
そこでお勧めはこの地方特産の「あおさ」である。
軽いし、旨いし、日持ちはするし、安いし、料理法もいろいろある
栄養価もすごく高い。
豊穣な海の香りが強い。

通信販売をやっている会社もあるので、試してソンはしない。
何度も使って、好評だった森男の言うことにウソはないよ。


日本の歌百選

2007-01-16 | 歌の翼に

 

文化庁と日本PTA全国協議会が作った「日本の歌百選選考委員会」が日本の歌101曲を発表した。

選考基準は、
 ・家族で歌うのに適している歌
 ・子や孫に歌ってあげたい歌
 ・日本の伝統文化として次世代に残したい歌
であった。
公募したら、6671通895曲の応募があって、100曲選ぶつもりが絞りきれず、101曲になった由。

で、どんな歌が選ばれたか?。HPを見ると、こういう清く正しい委員会が選んだものらしく、順位は付けずアイウエオ順に101曲を列記してある。
一番始めに「仰げば尊し」を持ってくるなんて、お見事。
全101曲を見て、「むすんでひらいて」や「幸せなら手をたたこう」が、外国生まれとは知らなかった。勉強になります。
上の2曲や「埴生の宿」、「蛍の光」も舶来曲だが、これ等はまあいいだろう。
ところが、「ドレミの歌」や「大きな古時計」は、日本の伝統文化云々基準から見て、如何なものか......、と思いませんか?。童歌や子守唄や民謡をもっと入れるべきだった。
まあ、これもどうでもいいか。

次に、選考委員が知りたくなった。ついでに、タウンミーティングでお役人は大盤振る舞いしたから、ギャラもね。
文化庁やPTAから選考委員が出るのは、主催者だから当然。
ナツメロ番組にはお馴染みの安田祥子(声楽家)と由紀さおり(歌手)姉妹が入っている。姉妹仲が宜しいようで、肩書き差別が可笑しいが、結構でしょう。
その他の選考委員の先生方は、妥当なところだろう。

ただ、ヘンなことを発見してしまった。
つまり、文化庁長官が二人いる! 近藤信司長官と河合隼雄長官である。
不思議なことに、後者は「休職中」にも拘らず、選考委員会顧問をお勤めだ。
河合隼雄先生は高名な心理学者で、民間から選ばれた文化庁長官だった、と記憶している。近藤氏は副長官でも、権長官でも、長官代理でも、長官心得でもない。
河合先生は前長官でも、元長官でもない。そもそも「休職中」だ。仕事ができるのか。まさか本間阪大教授じゃあるまいな。
文化庁は忙しくて間違えたのだろう。かなりいい加減なお仕事だったのでした。

ギャラは分からなかった。ま、あり得ないが、手弁当で選考したんだろう、ということにしようや。
こんなこと気にしている森男も、お互い平和で暇ですね。

ここで、訃報です。
ソニーのウォークマンでボサノバを聞きながら meditation している「チョロ松」氏が、14日に亡くなった。享年29歳8ヶ月。人間で言えば100歳近い大往生だった。
眠るように逝ったそうだ。合唱ではなく、合掌。

  ▲写真はSONY提供の朝日新聞記事(1/15)から。


家出のすすめ

2007-01-15 | 歌の翼に

  

  あなたの後ろ姿に そっと別れを告げてみれば
  あなたの髪のあたりに ぱっと明かりがさしたよな
  裏の木戸をあけて 一人夜に出れば
  灯りの消えた街角 足も重くなるけれど
  僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない

  許してくれるだろうか 僕のわかいわがままを
  解ってくれるだろうか 僕のはるかなさまよいを
  裏の木戸をあけて いつかつかれ果てて
  あなたの甘い胸元へ きっともどりつくだろう
  僕の遠いあこがれ 遠い旅の終わるときに

  帰るその日までに 僕の胸の中に
  語りきれない実りが たとえあなたに見えなくとも
  僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない

小椋佳作詞作曲歌の「木戸をあけて」である。
副題に「家出をする少年がその母親に捧げる歌」とある。
とても美しい旋律を、小椋さんが見事に歌い上げていたが、流行らなかった。

正月のTVで塩野七生女史と五木寛之先生が、「ローマ帝国の興亡史」について語り合う面白い番組があった。

番組の本筋からは離れ、五木さんが例の憂いを含んだお顔で深刻に、「近頃の日本はどうなってしまったんだろう。自殺、苛め、親子兄弟殺し..........」、と始めたら、塩野女史ニヤリと笑って、

 ・戦後60年、平和が続いた対価ですよ。
 ・苛めは昔からあった。私も、私の子供も苛められた。世界中に苛めはある。
  みんながひ弱になったのよ。
 ・戦争が始まれば、自殺を考えてる暇は無い。親子で殺しあうことも無いわ。
 ・死に値することなんか、何も無い。

と、五木先生を軽くいなしてしまった。
お二人は昔からの仲良しのようで、五木先生、ちょっとたじろいだが、結局塩野女史の話に合わせていった。

塩野女史、言いも言ったり、である。流石に勇気がある。
抗議のファックスが沢山届いたろうが、森男は塩野女史に同感だね。
ニュージランドでホームステイした韋駄天さんも大賛成だった。

さて、親子兄弟夫婦、家庭学校会社で行き詰まったらどうするか。家出をすればいいのである。特に扶養家族が無い若い人には、家出をお勧めしたい。
理由は「木戸をあけて」の中にある。

「花はさくら木」の作者の辻原登さんも、10代から20代にかけて、何度も家出をした、と話していた。
理由は歌の中のようなことであった。

家出をするには体力が必要である。
学校の勉強や、会社の仕事よりも、ノロウィルスにも負けない体力が必要である。
渡り鳥になるのだから、鳥インフルエンザにも負けない頑健さも必要だ。

また、自分の気持ちを整理して他人に伝え、他人の気持ちを理解するには、話し方、聞き方、読み方、書き方を身に着けておく必要がある。
外国ならその国の言葉である。まあ、外国はともかく、日本各地の放浪をお勧めする。

奈良の高校生も、渋谷の歯学部受験生も、家出をすればよかったのである。
夫をバラバラにした妻も、家出すれば、別の生き方がみつかったはずだ。
マスコミは家出文化を流行らせるべきである。

暖かくなったら、皆、どんどん家出しよう。
後のことなど、構うものか。

■老人だって家出する。(2/28追記)

ロシアの文豪トルストイも家出をした。御年82歳で。
理由は「悪妻」ソフィアにうんざり、という説が流布されているそうだが、ソフィアは「貞淑な良妻」だったとする説もあり、かって、正宗白鳥と小林秀雄が論争したこともあるそうです。

この度、シンガポール在住のふみ子・デイヴィスさんが、群像社から「トルストイ家の箱舟」という本を出版。
どうも、森男には難しくてよく分からないが、この本では小林秀雄説の「心が《人生に対する抽象的煩悶》で燃えていなかったらば、山ノ神を怖れる要も無かったであろう」に、軍配を上げているような、いないような........。

立派な本ですが、これを全部読まなければならないなら、森男も家出したくなります。
まだまだ春秋に富む貴兄は、どうぞご一読を。


議員特権コンテスト

2007-01-14 | 床屋放談

  
 ▲朝日記事(1/8)部分。写真は某議員が受け取った永年勤続バッジとタイタックの一部。

議員という職業は美味しい仕事。いろいろ特権が付くらしい。
数年に1回、頭を下げれば後は極楽だ。
例えば、愛知県議員は議会に出席するだけで、居眠りしていても1日15000円の「費用弁償」(何だこりゃ?)を受け取れるそうだ。もちろん給料の他にであろう。
朝日の記事による議員表彰制度の主な事例一覧表を読むと呆れてしまう。
その特権は「内規」とされ、住民が知らない場合が多いそうだ。
これは地方議会に関する調査だが、国会議員なども、あのみの・もんた氏さえもが、時々槍玉に挙げるのだから、相当なものだろう。
何かといえば「国家国民のため」と格好を付けるが、本当は「自分のため」である。

ただ、地方議会議員の中には、こういった状態を正そうとする動きもあって、この度「議員特権ワースト大賞」を出すことになった。各地の議員特権を収集して、みんなで審査して大賞を授与するのだ。
いいですねぇ、こういうの。面白くて鋭い。尖んがってるだけの社民党さん、見習ったら。

森男は30年前に、会社の業務改革運動の事務局を勤めたことがある。
業務改革と言っても、会社の経営の中枢は対象外であって、結局、運動のための業務が増えるばかり。上や中央は安穏のまま。末端にばかりに無理強いや、皺寄せが行くばかりで、会社はますます危なくなってしまった。
その頃、いろんな業務改革本を読んだ。殆ど全ての本には、「改革」は中央の中心がその気にななって、自ら改革しなければ失敗する、と書いてあった。そのとおりだった。末端が出来るちまちました「改善」でさえ、本部の中心の偉いさんが改革されなければ難しい。

今度の「(地方議会)議員特権ワースト大賞」は貴重な試みだ。
だから、国会議員に対しても、愉快な形でこういう運動を始めてくれる団体があればいいと思う。
国会議員欠勤率大賞、暴言失言野次大賞、外国視察最多大賞、企業献金最高獲得大賞、とかはどうだろう。
「美しい国」にするためには必要だね。


恋愛のすすめ

2007-01-13 | 林住期

  

正月の朝日新聞は分厚い。正月の新聞は、夢、希望、世界、宇宙......だった。
森男は夢も希望も、もはや全く関係ないから、無視した。

今年の別冊の一つは「脳特集」だった。
手遅れ森男はこれも関係ないと思っていたら、南伸坊さんの短い随筆があって、読んでみた。
いい。例によって分かり易くて、面白い。

冒頭からして、「私は本を読まない方の人間だが、若いころから”脳の本”は好きで、割合に読んだ。脳のことを脳で考えるのがおもしろいからだと思う」、とあんなに見事な装丁を沢山しているのに、謙虚である。
そして、「脳の本といったって、読むのは通俗科学書であって、主に”今ここまでわかってきた”みたいな話題を追っかけていたにすぎない」、と続けて、「愛は脳を活性化する」(松本元著・岩波科学刊)という本の中身を紹介している。

この紹介が実に分かり易い。あのバカを連発する有名教授との共著である「解剖学個人授業」とは大違いなのだ。
やはり、伸坊さんは教授よりもお脳がいいのだ。
あんまり感心したから、以下お裾分けする。(短文化のため少し書き換えた)

○知・情・意の内、最も脳にとって重要なのは「情」である。
○快感が脳を活性化し、活性化した脳は快感を得る。
○脳は予め分かっていることを分かる。
○二つの脳は成り立ち上、分かり合えないのが普通だが、分かって貰いたがる。
○脳は好き嫌いで判断し、気持ち良くなりたくて考える。
○脳を電脳の様に「出力」で評価するのは脳の実力を理解していない。

伸坊さんは、ご自分の感想も付け加える。

・「好きこそものの上手なれ」が脳の構造的特性だ、と知れば興味が深くなる。
・「分かった」と嬉しいのは、薄々分かっていたのに言葉に出来ないでいたからだ。

森男は、よ~く分かったつもりである。
つまり、脳を活性化するには、「恋愛がイチバン」なのだな、と。
このしょぼいブログ「林住記」を始めた理由は、呆け防止でもあった。
そうだ、ブログを捨てて町に出よう!

?@☆!..........................。
嗚呼....。既に、カネも無ければチカラも無い。もう時間も無ければ、イロ男でもない。
残っているのは、「妄想」ばかりとなりにけり、さ。

 ▲画像は約30年前のPARCOの2月カレンダーから。全身像はもっともっと素敵なお方です。
 ▼関連記事「バカの壁」と「変装」もご覧下さい。よろしかったら「花はさくら木」もね。


団地住民のお行儀

2007-01-13 | 高麗便り

        

隣の団地の住民のお行儀は、総じて悪い。

ブランドものに着替えて、お犬様のお供をするが、タバコのポイ捨てをなんとも思っていない。生塵、空き缶、ペットボトルを平気で捨ててゆく。拾いにくいところに投げ込んだりするから、少しは気にしているのかも知れないが.....。
いくら拾っても、また捨てる。
引っ越して以来、一度も道路掃除をしないお宅もあるが、落葉がそのままくらいならなら、ま、いいとしよう。いちいち目くじら立てたら、身体を壊すからな。

団地の名前は(東急)高麗武蔵台。北向きの強風地帯。
小学校の学力は埼玉県内で一番との噂があった。
素直に言うことを聞かないから、市役所からは、西武団地と共に敬遠されている模様だ。

一方、犬の散歩をしながら、塵を拾っている人がいないわけではない。
公園の周りを掃除している人もいる。借り農園の腐葉土目的のようではあるが。
何もすることの無い団塊世代の人々。一日に何回も団地内を徘徊したり、奥方の尻にまとわり付いてスーパーに通うなら、掃除くらいすればいい。
健康にもいいと思うよ。

▲東急ホームの住み良さそうな新築住宅を、無断で使っている森男も、相当お行儀が悪いね。


札所は蕎麦まで

2007-01-12 | 風に吹かれて

  横瀬は山間の町

西武電車の横瀬駅で下りて、9番明智寺を通り抜け、横瀬橋を渡り、ようやく「花いかだ」に着いた。友人の誘いで、3人が集まり蕎麦を食いにいったのである。
日陰には出初式に降った雪がまだ残っていた。

「花いかだ」は小さな店だった。母と大きな子で営業する志の高い蕎麦屋だ。
駅のそばでもなく、国道299号線から入って、ちょっと気付かない店だが、近所の人たちに愛されているようだ。
蒸篭蕎麦と柚子豆腐1200円が旨かった。
1回転でお客が途絶えたので、お母さんと息子さんと、近所のおばさん二人も加わって蕎麦全般の話題を楽しんだ。

  棚田に迫る文化住宅は左上に

晴れてきたので、歩くことにした。
8番西善寺は車が多い国道の反対側だから避けて、7番法長寺の前を過ぎ、6番卜雲寺をかすめ、刈米の棚田へ上った。
横瀬町は名所扱いだが、最上部には文化住宅が密集して景観を破壊している。
しかし、麓の真正面の冠雪した武甲山は迫力があった。

  武甲山に蝋梅の花(横瀬町HPより)

5番語歌堂上流の横瀬大橋を渡り、10番大慈寺に着いた。
古寂びた小さな山門は屋根を銅板葺きに変え木部は洗って新しく砥の粉を塗ったが、黄色くなって落ち着かない。しかも、ちょっと傾いている。
本堂を大改造中の職人さんに確認したら、渋々認めたが、別にケチを付けるつもりは無い。緑内障になっていないことを自己診断しただけだから、怒らないで。

  農園ホテルから城峰山

裏山の狭い急坂を登って、聖地霊園へ向かう寂しい尾根道を歩いて、「農園ホテル」に入った。途中、猪に逢わなくて、幸いだった。
広くて清潔で、景色のいい簡素なホテルである。従業員も感じがいい。
自然農法と関係のあるホテルで、研修や結婚式に使われ、年末年始は家族連れの宿泊が多いそうだ。付近の鉱泉宿よりずっといいと思う。
秩父盆地を見下ろす素晴らしい喫茶室で、リンゴジュース315円を飲み終えたら、真面目そうな女の子が、客室に案内すると言う。3人を宿泊客と勘違いしたのだ。
西武秩父駅から、随分遠いので、ホテルの送迎バスに乗りたい、と聞いたら、無いといわれた。
一寸からかって、貴女の車で送って欲しいと言ったら、すっかり困惑されてしまった。
少年は可愛い女の子を苛めたくなる。三人とも少年に帰って、人畜無害。御免なさいね。

  虚空蔵尊寺の縁日

ホテルから薄暗い林間の急坂を下りたところに、いつもは薄暗い十三仏霊場の一つ虚空蔵寺があって、たまたま縁日だった。参詣人より露店の方が多い。
商売が心配で、鼻ピアス金髪の若い香具師見習いに縁日のことを聞いたが、何も答えられない。もっと勉強しろ、と出かかったが、怖そうなので止めた。

延々と歩いて、15番少林寺の下の線路際の小道を蟹歩きして、秩父鉄道「お花畑駅」を通り抜けた。
オトメティックな名前だが、鄙びて萎びた路地裏の小さな駅だ。
夜祭のとき、山車を引っ張り上げる団子坂を横切って、ようやく西武秩父駅に着いた。4時半近かった。
札所のそばまで行ったのに、お参りをしなかったのは、もうじき仏様のお膝元に行くし(行けるかな?)、現世の時間はあまり残されてないからです。
蕎麦一枚とジュースだけで、よく歩いたものよ。
寒くて、駅舎内の仲見世通りは閑散としていた。

暖かいがらがらの電車内で、大言壮語をしていたら、高麗駅で降りるのを忘れて、飯能駅まで行ってしまった。
夜の飯能は厳しい寒さだった。

「花いかだ」所在地は、
秩父郡横瀬町大字横瀬1247-6
電話0494(24)2330 町立福祉センター前。
下ははないかだ(花筏)の花。実は黒い。


頓珍換で珍紛漢

2007-01-12 | じゃじゃ馬馴らし

 

文書作成にもエクセルを使っている。ワードはあまり使わない。
ローマ字で平仮名を入れて、漢字に変換している。
漢字変換用の一覧には呆れるくらいの頓珍漢な変換が出てくる。全く無駄な変換が出てきて、これを作ってる人は日本語を誤解している外人じゃないか、と思う。
管理監督責任者はいないんじゃないか、と思う。

日本漢字能力検定協会が面白いコンテストを実施している。
この度、前年度の「変漢ミスコンテスト」の年間賞を発表した。

 「遅れてすいません。怪盗アンデス」

が念干渉(月間賞はあるのに年間賞は無い)だが、森男は以下のほうがいい。

 「お客彷徨うトイレ」

である。トイレの在り処は森男世代には切実だから、これがいい。
この小は10月からの1年間に2079点応募があった中から、月間賞を22作品選び、一般のオンライン投票で、念干渉を決めたそうだ。

パソコンを弄っていると、出て来る警告や指示や説明が分からない。
チンぷん漢(頓珍漢はあるのに珍紛漢はない)である。
ヘルプも分からない。やはり森男の灰色の脳は分かっているものだけ、分かるのだ。
誰か、ヘンなパソコン語の正しい日本語案を募集して、月間賞、年間賞を出して貰いたい、と考える正義感(無頼漢はあるのに正義漢はないのは当たり前かな)の今日この頃です。

ところで、「漢」は男の意味。
悪漢、暴漢、無頼漢、変節漢、頓珍漢、珍紛漢.......、など悪いか、困った男かと思ったら、「好漢」があるし、「前漢・後漢時代」もある。
それで珍紛漢になってしまった。


あいさつ

2007-01-11 | 林住期

 

ニュージーランド政府観光局が、素晴らしい挨拶をしてくれた。
1月23日から東京国立博物館で始まる「タオンガ(TAONGA)展」の予告広告の写真である。

ニュージーランドの原住民はマオリ族である。広告では「テ・アラワ族」となっているが、マオリ族の一派であろう。
マオリ族の挨拶は、鼻の頭と鼻の頭を擦り合う。いい習慣だ。

この頃、道路工事の警備員に挨拶をされることが多い。
友人がアルバイトでもやってるのか、とびっくりする。
別に偉くなったわけではないから、よほど危なっかしくみえるのか、そこが気になる。
ま、人々が優しく美しくなったと考えることにしよう。

 

お隣の姫たちは、小学校生の頃は学校から帰ってくると、すぐ我が家にやってきて、飛んだり跳ねたり、カレーライスを食べたり、といい関係だった。
しかし、中学生になると急に無愛想になり、道で行き逢ってもソッポを向かれた。
学校参観日に行ったパパでさえ無視されて、悲しませていた。

ところが、全員大学に進学したら、正しく成長して、向こうから声をかけてくる。
あんまり格好良くなって、背丈もオジサンを超えて、眩しくてドギマギしてしまう。
街で逢ったら、誰なのか咄嗟には分からない。
いま、道路工事のお父さんはもういいから、姫たちとマオリ式挨拶が出来たら、と思うが..........。
餃子は止めてもいい。

隣町の古くからの友人が、定年後俄かに英会話を練習し始めた。
昨年70近くにもなって、ニュ-ジーランドでホームステイをしてきた。
相手もびっくりしたろうが、森男もびっくりした。
近いうちに、ドトゥールで珈琲3杯くらい飲みながら、マオリ事情を聞いてみよう。
この友人とは「南極大陸展」で、係りのお嬢さんと3人で、拝み倒して記念撮影をした。
「タオンガ展」にも誘って、行ってみよう。

 ◇TAONGAとは、マオリ語で、金銀以上の価値を持つもの、という意味。
 ◇
マオリ出身者には人気ソプラノ歌手のキリ・テ・カナワがいる。
 
◇可愛い女の子はダスキン「幸せのタネまき新聞」から遊びにきました。


走れ山タク

2007-01-10 | 床屋放談

  将軍様お誕生日の「喜び組」

ヤマタクさんが北朝鮮に飛んで、騒々しい。
批判する人が多いようだが、悪いことだろうか。
安倍さんは北朝鮮にだけは強硬。亥年だから一直線に突っ走る、と公言している。
それでいいんだろうか。
ご主人のアメリカは、君子じゃないけど豹変しそうだ。
気がついたら、イラクにいるのは日本防衛省の軍隊ばかり、じゃあるまいな。

外交ってものは、片手に棍棒、片手で握手。約束や条約は破るためにある。
これ、歴史の常識である。
何もかもが手詰まりな今、ヤマタクさんのような動きがあってもいい。
成果が無くてもいい。何もしないでイナ・バウアーより、ずっといい。
国論を二分するといっても、日本のように政治的に幼い国で、国論が一本にまとまる方が危ない。

だだね、ヤマタクさんでは、失礼ながら心配だ。
今回の狙いや背景を詳しく説明しないのは当たり前だが、この先生、以前から何を考えているのかサッパリ分からなかった。
噂では、政策の大転換を狙うアメリカの要請を受けての行動、とも言われる。
ご婦人大好きのヤマタクさんが、5日間もピョンヤンに滞在するのは、なお更に心配だ。
「喜び組」の工作員に誑かされて、一緒に入浴しているところを、撮影されないように、精進潔斎、斎戒沐浴をお願いしますよ。
国家国民のためにね。


天覧富士

2007-01-10 | 高麗便り

 

上天気。家にじっとしていられずまた山へ。
今日は見返り坂を下り、天覧山に登り、尾根伝いに常盤平、寶篋印塔、御嶽八幡社と経由して、多峰主山に登り、家に帰った。
急ぎ足で約90分かかった。

天覧山から、今日も富士山が見えた。多峰主山より低いが、富士山の形はここの方がいい。
風がないので靄がかかってはっきり写らなかった。
天覧山の昔の名前は愛宕山。明治天皇がここに行幸して、周囲を見晴らしたので「天覧山」に名前を変えた。

 

天覧山の登山道で見たくないものを見た。
赤松の大木を2本伐採したのである。枯れていたから仕方が無いが、例によって後片付けをしていない。
1本は偽木の柵を壊し、1本は柵にひっかかったまま、2本とも登山道にはみ出している。危険であり、見苦しい。
作業は数人の専門作業員がチェンソーでするのだから、短く切断して目立たない所に片付ければいいのだ。
飯能市役所の担当者が、指示も作業後の点検もしていないのである。
点検をしたかも知れないが、見えていないのである。
可哀相に「あき■くら」なのである。


多峰主富士

2007-01-09 | 高麗便り

 

肌を刺す強い北風の日は、快晴になる。
今日こそ富士山だ、とまた多峰主山に登った。
見えた。雲ひとつ無い。
葉山海岸あたりに較べると、情けない富士山だが、富士山である。
神奈川県の丹沢山系まで見渡せる。
デジカメの電池が切れて、これ1枚しか撮れなかった。
また、来りゃいいさ。

常盤平では、ケーナお父さんとは別のお父さんがいた。
サンポーニャで「津軽平野」を吹いていた。


旦那ハイケナイ

2007-01-09 | 知ったかぶり

 

NTT東日本が「電報コンテスト」で、電文を募集している。

メールを便利便利ともて囃すが、パソコンを開けなければ受信に気付かない。
また、一瞬の内に消えてしまう儚いもので、実は不便である。
更に、小さな間違いをあげつらい、英語で送信を拒否する。

そこへゆくと、電報は親切だ。
寝ていれば叩き起こしてくれるし、電文は紙に残っている。
NTTの商法には?印を付けているが、このコンテストは褒めて上げたい。
関連するHPには、いろいろ愉快な電文例が載っている。

森男は、明治時代の西南戦争前の神風連の乱のときの、有名な電報を思い出した。
高校の日本史の先生が教えてくれたものであり、以下のとおり。

  ダンナハイケナイワタシハテキズ 

旦那は死んだ、私は手傷、という意味です。

これは、当時の鎮西鎮台司令官の種田政明の愛妾宅に、反乱軍が乱入して、司令官は殺害。
お妾の小勝が東京の実父にあて、熊本電信局から打った電文だ。
当時、簡にして要を得た名文、と電報の利用増加を狙った当局が、大々的に宣伝した。

おおらかな時代ですね。
大阪大学教授本間前税調委員長がこれを知ったら、生まれるのが遅すぎた、と羨むだろう。
なお、三島由紀夫先生は神風連に憧れて、「楯の会」を作ったらしい。

補講。下記は書状の歴史的名古文例。同じ高校の漢文の先生が教えてくれた。
戦に出た侍が、国に残してきた愛妻に送った書状である。

  一筆啓上仕る おせん泣かすな 馬肥やせ

なお、句読点は本来は要らないそうだ。
句読点は、文字を読み慣れない、浅学の人々のために考案されたものである。
ダイレクトメールに句読点を入れるのは失礼だ、と後年、業者の老社長から教わった。
確かに、樋口一葉女史は句読点を使わない。

  画像は夭折のイラストレーター井坂芳太郎のもの。
  オリベッティタイプライターやエドワーズのイラストを担当。
  今でも隠れファンが多い。