林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

従兄弟の家

2007-01-29 | 遠い雲

  谷戸にあった従兄弟の家

同い年の従兄弟の家は、母の生まれ育った家である。
子供の頃はよ出かけたし、泊まることも多かった。
昨年の春、叔母が亡くなって葬式に行った。50年ぶりの従兄弟の家をなかなか探せなかった。
あたりは田畑だった。しかし今は家が犇き、山の上にはマンション群が万里の長城のように並んでいる。

谷戸の奥の従兄弟の家のあたりは、僅かに昔の面影を残していた。
母屋、離れ、風呂小屋などは昔のままの配置で建っていたが、母屋は大きな茅葺屋根を外して、2階を付け足し、何の変哲も無い家になっていた。
それでもまだ土間があり、1階部分は昔のままの間取りだった。
子供の頃、1階の隅の部屋に泊まった朝、目が覚めると、深い庇が掃き出し窓の中ごろまで下りていて、いつも不思議な景色を見た気がしたものだ。

庭にある井戸は、釣べや手漕ぎポンプで水を揚げ、竹樋を通って母屋の台所の水がめと、風呂小屋の五右衛門風呂に流れるようになっていた。水が流れるのが面白くて、従兄弟と競争で水を汲み上げた。
水道を引いたため、井戸は今は使われていない。
神社の下の岩壁の矢倉の灰置き場はただの穴倉になった。
母屋の便所は祖父と客用で、家族は屋外の便所小屋を使っていたが既に無い。
今は日向の便所の匂いさえ懐かしい。

幼い頃は母に手を引かれて、山崎の北大路魯山人邸の前の暗い切り通しを過ぎ、長い道を深沢の谷戸まで歩いた。鎌倉山の別荘地に行く乗合バスがあったが、乗った記憶は全く無い。
小学校の高学年になってからは、梶原の山伝いに神社まで歩いて、岩壁の下の従兄弟の家に行った。
その山道は探そうとしても、山は切り崩されて、団地になってしまった。

母の次弟にあたる叔父と、叔母さんのおかげで、森男の兄弟姉妹は、戦後の食糧難を辛うじて生き延びた。おおらかな叔父と、気丈な叔母さんには深く感謝している。
叔母さんの葬式が済んで、叔父は折り畳み椅子を100脚、お寺に寄付した。
叔父は家を本当は甥にあたる従兄弟に任せ、住職とカラオケの夜を楽しんでいるらしい。

雪椿


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