2019.02.08
四日目
日の出鑑賞組は5時20分ロビー集合。 日の出鑑賞には参加しないのでゆっくり。
今日の観光は、アンコール・トム、タ・プローム、アンコール・ワットの3ヶ所。
アンコール・トムは、ジャヤバルマン7世によって造営されたアンコール・ワットの北に位置する12世紀末の城砦都市遺跡。周囲12km、広さは9平方km。高さ8mの頑丈な城壁で囲まれていて、南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門がある。バイヨン寺院は須弥山を、城壁はヒマラヤの霊峰を、環濠は大海原を摸しているそうだ。
アンコール・トムへ向かう途中、無理矢理乗り越えようとしたみたい・・・。
山盛りのバナナ。
アンコール・トムに到着。南大門から入る。 入り口の近くには象が・・・。像に乗ったまま中まで入るのかと思いきや、ちょっと進んだところで写真を撮っておしまい。
入り口の橋にはナーガ。左側には神々の像と右側には阿修羅の像。
お堀を掃除中。
門の中まで入る車で橋の上は渋滞。
修復中のバイヨン寺院
バイヨン寺院に向かって左側、道路を挟んで後にあるパゴダ。
アンコール・トムの観光スタート。 バイヨン寺院を囲む廻廊(壁面)には沢山の彫刻が彫られている。
ガイドさんの説明が続く。
塔の最上部には観世菩薩像の人面像。
内側には崩れた石が積んである。
バイヨン寺院の中心には54の搭があり、塔の四面にはひとつひとつ微妙に異なる観世音菩薩の人面像が刻まれていて、バイヨンの微笑とかクメールの微笑とか呼ばれている。
顔を間近で見ることができるテラスは観光客で溢れ、写真を撮るのも一苦労。
デヴァター。ジャヤバルマン7世には王妃が二人いたそうだ。最初の王妃は即位した直後に亡くなってしまい、その後、前妻の妹と結婚した。
塔の内部。
混み合ったバイヨン寺院からバプーオン寺院へ。
猿の親子が群れで歩いていたけど、日光みたいに観光客にちょっかい出すようなことはないみたいだ。
バプーオンは「隠し子」という意味・・・
***************** 伝説では・・・その昔タイ(当時ジャワ)と交流していた時代、タイの国王が自らの子をカンボジアの王に預けたとされています。しかし、カンボジア王の妃は、ゆくゆくはこの子供がカンボジアを統治して、タイの手中に落ちてしまうと危惧して殺害してしまいます。怒ったタイの王はカンボジアに向けて進軍。自分の子を殺害されることを恐れた妃は、幼子をここバプーオンに隠しました。そのことから、この寺院はバプーオン=隠し子と呼ばれるようになったと言われています。 *****************
2011年に修復を終え、一般公開された。 11世紀中頃、ヒンドゥー教の神シヴァに捧げられ、ウダヤーディチャヴァルマン2世 (Udayadityavarman II) の国家的寺院として築かれた3層からなるピラミッド型寺院。東西120メートル、南北100メートル、高さは34メートル。以前は約50メートルの高さの塔があったそうだ。 正面へと続く参道は、高さ1.5mの円柱に支えられている長さ170m。空中参道と呼ばれ、地上と天界をつなぐ虹の架け橋という意味を持っている。
バプーオン寺院は遠くから見ただけで次へ移動。せめてもう少し近くで見たかった。
象のテラス ジャヤヴァルマン7世の時代に造られ、高さは約3~4m、長さは300m以上。クメールの王族たちがここに鎮座して整列した兵たちを閲兵していた。 ジャヤヴァルマン7世の建立当時はこれほど長くはなく、8世のときに現在の長さに改修された。
こちらの壁にはガルーダの彫刻。
ピミアナカスは、バプーオンよりも早く作られたアンコールトムの遺跡群の中で最も高台を築いた寺院でその目的は定かではない。典型的な3層のピラミッド型の造りで、バプーオンと同じ幅と高さの回廊があり、中央には小さな祠堂が建っている。 かつて金箔で覆われた黄金の寺院であったといわれていた。 言い伝えによると・・・ かつてこの宮殿には美女に姿を変えるヘビが住んでいて、王はそのヘビと毎晩交わらなければならなく、一度でも怠ると王は死に国が滅びるとされていた
色遣いがクラブツーリズムのロゴに何となく似ている?
ジャヤヴァルマン5世が10世紀末に建立した、歴代の王が鎮座したとされる王宮の跡地。現在は東西600m、南北300mの周壁と「男池」、「女池」があるのみで、当時の面影は残っていない。
門。
ライ王のテラス このテラスの目的は不明。また、ライ王のテラスと呼ばれるようになった理由は諸説あり、歴代クメール王の中にライ病を患っていた人がいたから・・・という説が有力。 高さは約6メートルのテラスには、とても細かい阿修羅と神々の彫刻が連なっている。
次はタ・プロームへ。
移動中のバスの車窓から。
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