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日光二荒山神社別宮 滝尾神社 散策その6

行者堂
帰りは「大小べんきんぜいの碑」から、来た道と違う二荒山神社方面の山道へ行ってみました。

行者堂

しばらく山道を歩くと行者堂がひっそりと建っています。行者堂は、日光山輪王寺行者堂というくらいなので輪王寺に所属?しているみたいです。
こちらの狛犬は、なかなかめずらしい顔をしています。修行の場と言うことなので、狛犬まで険しい顔をしているのでしょうか。
「栃木県指定 有形文化財
輪王寺行者堂
所有者 輪王寺
昭和50年1月28日指定
輪王寺行者堂は、修験者の修行場として建てられた切妻造りの簡素な建造物である。当堂の創建は平安時代、山獄信仰の盛んな頃と思われるが、現在の建物は輪王寺明細帳によると天正三年(1575年)桜本坊宗安再興と伝えられている。その後幾度か修理を経て今日に至っている。正面の一間は土間で、二間目から一段高くなっており、奥の一間に壇を設けて、役小角と侍鬼二体を配している。」


行者堂

行者堂

誰が下げたのか麦わら帽子が一つ。

行者堂

行者堂

「行者堂
本尊は奈良時代の山岳呪術者、修験道の祖、役小角。役行者が非常に健脚であったので、足が丈夫になるようにとの信仰があり、草鞋の奉納が多い。ここは女峰山へ向かう登山口で、峰修行の行者の拝所でもあった。堂の創立年代は不明であるが、天正十三年(一五八五)に再建したという記録がある。
現在の堂は、平成二年に改築され、同四年に彩色を新たにした役小角の木像と前鬼、後鬼が祀られた。」


行者堂

今まで誰一人ともすれ違わなかったのですが、ここで初めて下から登ってくる外人さんに出会いいました。不思議なことに、相手が外人だと自然に挨拶を交わせます。
こちらの道はかなり急な上り坂(こちらからは下り坂)になります。滝尾神社に行くときは、滝尾道をお勧めします。
樹齢三桁くらいの大きな杉が並ぶ道をひたすら降りていきます。中には麒麟の顔に見える枝もありました。

杉の道

杉の道

やっと壁が現れ、二荒山神社の脇にたどり着きました。
途中「縁結びの御神木」という木がありました。
「杉に楢のやどり木
縁結びの御神木
すぎ(き)ならいっしょに!
好きならばと一緒になりました。」

駄洒落です。

縁結びの御神木

滝尾神社の山道を往復したので、東照宮はまた次に機会ということにして宿に行くことにしました。

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社

神橋
国道120号沿いを流れる大谷川に掛けられた世界遺産の橋です。
「奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとなりました。
山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられています。」

神橋の伝説
「奈良時代の末、下野の人沙門勝道は、その伯父・大中臣諸清たちと、かねて深く尊崇する霊峯二荒山(男体山)の登頂によって鎮護国家、人民利益のための大願をたてました。
 天平神護2年3月(766年)勝道上人一行は大谷川のほとりにたどりつき川を渡ろうとしましたが、岩をかんで流れる大谷川の激流のため渡る方法がなくこまりはてました。上人はひざまづいて一心に祈念を凝らすと、川の北岸にひとりの神人が現われました。その姿は夜叉のようで、身の丈一丈余、左手は腰にあんじ、右手に二匹の蛇をまき、上人に向って「我は深砂大王である。汝を彼の岸に渡すべし」といいながら手にもった蛇を放つと、赤と青二匹の蛇は、たちまち川の対岸とを結び、虹のように橋をつくり、背に山菅が生えたので、上人一行は早速これによって急流を渡ることができたといいます。ふり返って見ると、神人も蛇橋もすでに消え失せてしまっていたので、上人は合掌して、深砂大王の加護に感謝し、それ以来この橋を山菅の蛇橋と呼んだといいます。」


いずれも神橋オフィシャルサイトより抜粋

神橋

パワースポットはひとりひとりそれと感じる場所は違うと思います。ここで紹介した場所は、私がパワースポットだと感じた場所ですので、すべての人に当てはまるというわけではありません。

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