気がつけばシニア

老犬介護生活でした。
寂しさを振り払って今は日々の生活の諸々を綴っています

白いカーネーション

2020-05-11 06:05:00 | 日記
子供の頃、母親が居なかった私は祖母に育てられました。
祖父母、父親、叔父3人、私の7人で暮らしていました。
とても賑やかで明るい家でした。😊

小学生のある時まで、私は母親が居ないという寂しさも知らずに元気に暮らしていました。

誰にも、母親が居ないということでいじめられたり、うしろ指を刺されたことは一度もありませんでした。
母親が居ないということに、恥ずかしいとか思ったこともありません。

近所の友達や、そのお母さん達からも私の母親について言われたり聞かれたこともありませんでした。

今思うと、その母親達が子供に、〇〇ちゃんち母親が居ないという話題をしなかったのだなと思います。


近所の家には皆、私のお茶碗やお箸が置いてあり、逆に私の家には近所の友達のお茶碗やお箸が置いてあり、色んな家でご飯を一緒に食べたりしたものでした。
まさに、隣三軒両どなりでした。😊


小学校の入学式も祖母が来てくれましたが、誰もそれを不思議に言う人はいませんでした。
友達に聞かれたこともありません。


それが、入学して母の日のことです。
各々が10円持参して、学校の正門入った所で、カーネーションの造花を買うのです。
そのカーネーションは安全ピンが付いていて、制服の胸に留めるのです。

何と、赤と白のカーネーションがあって、母親の居ない子は白いカーネーションを付けるのです。

何ですかこれ、今だったら大問題です。
私は抵抗が有りましたので、買いましたが胸には付けませんでした。
付けていなくても別に何も言われませんでした。


家に持って帰って、見せるのも何となく嫌で、カバンの中に入れたまま後から捨てた記憶があります。

白いカーネーションなんて、今は見たことがありません。
いつ、その白いカーネーションが廃止になったのかわかりませんが、昔って酷いことしていたんだなぁと思います。💢

でも、私はそう言う寂しさやイジメも知らずに育ちました。
取り巻く環境、周りの人達のおかげだなぁと感謝します。


叔父が3人居ましたので、いつも遊んでもらえました。
だから、少年モノのアニメが好きで、鉄腕アトムや鉄人28号、エイトマン、七色仮面、そんなのばかりが好きでいつも見ていました。笑


祖母には感謝しています。
成人して、赤いカーネーションをプレゼントしました。
東京へ老人会から旅行へ行くというので、お洒落な洋服とバッグをプレゼントしました。
お小遣いもあげました。

もったいなくて要らないと言われましたが、是非プレゼントさせてと頼んで買ってあげました。

喜んで東京へ行ってくれました。
私はこれをしなかったら、後々もの凄い後悔をしたと思います。

親孝行したい時に親は無しって言いますが、本当にそうです。
もっともっとしてあげれば良かった。


母親にも高校卒業してから一度会いました。
突然手紙が来ました。
一度会っておくのもいいだろうと思い会いました。
母親は喜んでくれました。

離婚の理由は知りません。
母は、どちらも自分の言い分しか言わないだろうから言わないでおくねと言いました。
私も聞きませんでした。
それはもうどうでも良いことでした。

今、こうして幸せに再会出来たのだからって。

会ったのはそれ一回だけです。
祖父母にも悪いと思いましたし、母親にも家族があるからです。

でも、会って良かったです。
後から後悔したくなかったからです。

私は強く生きることが出来ました。
白いカーネーションなんかに負けません。


カーネーションは赤です❗️
毎年、私は祖母に感謝して赤いカーネーションを思い切り捧げます。
お母さんありがとうと。




🍀ご訪問下さりありがとうございました。今日も良い一日をお過ごしください。🍀