吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その3

2015年09月09日 05時57分07秒 | 日記
 今回東京五輪エンブレムの取り下げに関して佐野氏は「いわれなき誹謗中傷でスタッフや家族が危険にさらされており・・・」ということをロゴの撤回理由としている。つまり「自分は正しい」のであるが、周りからの圧力で「撤回せざるをえない」状況に陥れられていると、あくまで自身の正当性を主張している。もっとも盗用していても、今後自身のデザイナー生命にかかわるため「私は盗用しました」とは絶対言えないであろう。またあくまで自分は周囲のネットやマスコミからの被害者であるというのであればそれはそれでまた別の問題である。しかし残念であるが世界中に向けて日本のお家騒動という負のイメージを発信したのは、彼の空港ロビー写真流用、そしてトートバッグデザインの盗作という事実が少なからず原因の一端なのであるのだから、彼が五輪ロゴも盗作したと疑われてもしょうがないのである。五輪エンブレムは一番目立つところに位置するものである。制作過程において一点の曇りでもあったなら、それは疑惑が生じてもやむを得ないだろう。今後、本人が「盗作していない」と言い続けるのであれば、それこそ証拠がないので五輪エンブレムの盗作疑惑は闇のままである。しかし実際のところは今となってはどちらでもいいのである。彼の写真流用、バッグデザイン盗用で引き起こされた東京五輪の負のイメージのほうが問題の根が深いのであり、これで被った有形無形の被害の責任は彼にも少なからずあるのである。

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その2

2015年09月08日 05時25分04秒 | 日記
 ネットでは一部、佐野氏サイドに近い人の意見で「一般市民や素人には(専門分野のことは)わからんだろう」というコメントがあったらしいが、その「上から目線」で火が付いたらしい。確かに専門分野は素人にはわからないこともたくさんある。それを知らないで「盗作か?」などとネットで発信するのは無責任な部分があるのも分かる。しかし多くの人がその盗作疑惑に同感したがため、これだけの波紋が広がったのである。この「素人にはわからん」発言はデザイン界の内部だけで完結するならいいのであるが、五輪ロゴは大多数が「素人」としての一般市民が対象となっているのである。その対象となるmajorityの存在を無視して、「素人は口出すな」的発言は如何かと思う。五輪はデザイン界の人口よりもはるかに多くの「デザイン素人である一般市民」が楽しむ場なのである。くだんの「素人なんか・・・発言」がこのような結果のきっかけになったのは当然であろう。

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その1

2015年09月07日 06時06分51秒 | 日記
 9月1日、佐野某氏のデザインした東京五輪エンブレムが撤収されることになった。盗作なのか、盗作ではないのか、あるいは「本歌取り」なのかは一切不明である。今後真相は一切やぶの中であろう。いずれにせよ世界中に問題を巻き起こしたことが問題なのである。いろいろな疑惑が五輪に付きまとうのはやはり「日本の恥」ともいえる。本人は「断じて盗作ではない」といっているが、周辺状況でのプレゼン資料で羽田空港ロビー写真の流用や、また飲料品メーカーのトートバッグデザインが完全な盗用であった事実が浮上している。このようなことから彼がデザインした五輪ロゴが「盗作ではない」とするには極めて説得力に欠けるのである。デザイナーの慣習で「ロゴ作成過程におけるコンセプトが異なれば、デザインが類似していても別のものである」などとのコメントを聞いた。しかしコンセプトなど「後づけ」でどうにでも理由がつけられるのでそれは言い訳にすぎない。そのような専門家のいう理解しがたい理由よりも、素人目に見て「見た目が酷似」しているかどうかが問題なのである。つまり玄人の「言い訳」ではなく、素人の「見た目の印象」ほうが重要と思うのだが。どうやらデザイン界の慣習とやらが理解しがたい。

芥川と偏頭痛 その4

2015年09月05日 06時06分47秒 | 日記
 ところがこの前の医師会での偏頭痛の講演である。演者は、その件を例にあげて「芥川は実は偏頭痛持ちだったんですねー」と解説してくれた。数十年ぶりに自分の誤解もとけたのである。実は芥川は閃輝暗点の前兆をもつ偏頭痛にずっと悩ませられていたのである。「そーか、彼は実は狂人ではなく、偏頭痛に悩んでいた病人だったんだー」と納得できた。しかしながらそのような事情を知らない高校生が読み込んでも訳が分からず、心を惑わせてしまうばかりである。やはりこれは有害図書なんだろう。結局のところ芥川は自殺してしまったのである。現代社会では自殺と言う行為は公序良俗に反するものでありその行為自体は社会的に認められているものではない。自殺未遂の患者の治療費は医療保険では認められないくらいである。しかし彼がもしかしたら気がふれているという強迫観念により自殺という最終手段を選んだとしたならそれはとても無念である。現在の医療水準では偏頭痛と診断し投薬治療が可能である。もし芥川が現代に生きていたなら自殺することなくもっと多くの作品をのこしただろうと思うと何とも妙な気分になるのである。

芥川と偏頭痛 その3

2015年09月04日 06時09分41秒 | 日記
何故「歯車」の話になったかと言うと、芥川は偏頭痛もちだったらしい。以下、歯車からの引用である。
「僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?——と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖(ふ)やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失(う)せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、——それはいつも同じことだつた。」
高校時代、この文章を読んだら「あ これは精神異常をもった人の文章だ。これを熟読して、どのような意味なのかを熟考したなら自分も気がふれてしまうかもしれない」と思ったのである。今でいう、青少年に対し有害で不健全な書籍であると自分で早々と納得したのである。当時は「いくら芥川とはいえこのような作品の出版は不適当なのではないか」と思っていた。

芥川と偏頭痛 その2

2015年09月03日 06時33分25秒 | 日記
 さて自分は高校時代に芥川龍之介の「歯車」という短編を読んだ。あの訳の分からない描写と不気味になるほどの幻視の表現には、生理的に悪寒を覚えたような記憶がある。それ以来、一度も読み返していない。晩年の作品だというので「きっと芥川は気がふれてしまったんだ」とずっと理解していた。多感期の高校生にはとてもお勧めできないような悩ましい病理を抱えた作品である。でも芥川の他の作品、たとえば「蜘蛛の糸」とか「鼻」などは教科書でよんだが面白かった。そして期末テストでは「他の芥川の作品をあげよ」などとの設問があり、自分は「歯車」とかいて〇をもらった記憶がある。しかしながらどう考えても「歯車」を高校時代の多感期に引き合いに出すことは、とてもお勧めできないような作品だと思うのだが。

芥川と偏頭痛 その1

2015年09月02日 06時27分04秒 | 日記
少し前であるが医師会で「頭痛診療」という講演があった。偏頭痛や緊張性頭痛の鑑別、治療薬の選択について講演された。なかなか面白い講演であった。偏頭痛は、片側拍動性の強い頭痛であり頭を振ったり身体を動かしたりすると痛みが増強される。したがって発作中、患者は安静にしていることが多いのであると。そして前兆のみられる場合があり、その前兆とは視覚異常、感覚異常、運動異常など様々であるがこれらが5~60分続いた後に偏頭痛が襲ってくるのである。視覚異常のことを閃輝暗点といい、突然、視野の中心部に太陽を見た時の残像のようなキラキラした点が現れ、無数の光輝く歯車のような点が集まり回転して見えるような症状である。その見え方は千差万別、個人差が大きくいろいろな見え方があり、時に患者は精神疾患における幻覚(幻視)ではないかと不安にも陥るそうである。

8月も終わり その2

2015年09月01日 05時58分50秒 | 日記
 小学校時代は、転校しましたので後半は都電で通学しました。しかし今でもそうなのでしょうが、この都電は朝ものすごい混みようでした。いわゆるぎゅーぎゅー詰めの状態であり、体の小さな小学生には苦痛でした。一番つらかったのは、宿題の工作物を学校にもっていくのが至難の技であり、いかにつぶれないようにして都電の中で保持するかが課題でした。細いラワンで作った工作物などは、学校について確認すると半壊~全壊していたことはよくあります。車内に人が雪崩れこんできた瞬間に「バキバキ」という異音を何回も聞きましたが、この音だけは極めて不快な音として今でも嫌なものです。なに、ラッシュ時をさけて朝早く登校すればよかったのでしょうが、それは無理です。なぜなら前日夜中まで宿題の残りを片づけているのですから・・・(泣)。