麻原の遺骨は通常人のものとは別の意味があります。信仰の絶対的な対象となるため親族に「遺骨を悪用する意志はない」といってもなんら保証はありません。当時、麻原の入浴した風呂の水さえ信仰の対象として信者に売られていました。例えば毛髪の1本でもあればそれは信仰の対象になります。仏教の仏舎利の場合でも、ほんのわずかでも何らかの関わりさえあれば信仰の対象になっています。麻原の遺骨が散逸しないという保証は全くないばかりか、むしろ散逸の可能性は高いですね。地裁判決ですので控訴後の高裁判決に注視したいところです。これはどちらに転んでも高裁までいくかもしれません。
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